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2-2」への応援コメント


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     初めまして。音楽を題材にした作品ということで興味を持って、読み進めていく内にどんどん世界の中に惹きこまれて行きました。
     クラシックなど、不勉強な為、表現に間違いがあると申し訳ないのですが、言葉が音となって頭に満ちるような文章がとても好きです。文章を読む度に音が聞こえるような、温度まで感じるような、コンサートのお話はまるで会場の中にいるような不思議な心地でした。
     時折、「私の名前はミミ」、「歌に生き、愛に生き」……等々、自分の知らなかった音楽を聞き、改めて小説を読むことでみそらと、三谷の歌った曲、弾いた曲にああ、この人たちなら屹度、こんな音を出すのだろうな、と読み返したりしていました。
     北原白秋の詩がとても好きなので、名前が出てくる度に密かに嬉しく思っております。みそらがあの詩を歌う時、どんな声をして、どんな風に歌っているのか、文章を読みながらふと目を閉じて自然に頭の中に流れる音楽に改めて、山本しお梨様の言葉の、表現力の高さに惚れ惚れとしてしまいました。
     学生時代特有の、その先にある未来を選ぶ彼らを見ながら、どうかどんなことがあってもこの先も音楽と共に生きていて欲しい…なんて読み手のエゴを願ってしまいました。
     お忙しい中での執筆、大変かもしれませんが、続きをこれからも楽しみに待っております。これからも密かに応援しております。

    作者からの返信

    白原さん

    お返事が遅くなり申し訳ありません!
    そして改めて感想をお送りいただき、ありがとうございます。とってもうれしい内容ばかりで、ずーっと噛み締めていました……噛んでも噛んでも味がするのでぜんぜんお返事できなそうなのでいい加減にします。苦笑

    >クラシックなど、不勉強な為、
    クラシックに限らずどの分野だって知らないものは知らないのですから気にされる必要はないと思います!(握りこぶし)
    それよりも、

    >自分の知らなかった音楽を聞き
    こうあるということは、曲を探して聞いてみてくださった……ということですよね……?
    それが私にとっては何よりもうれしいです。クラシックは当時のポップスなので(※)、あんまり気にする必要はないと思います。いまでもポップスは年単位で流行が変わるものですし、当時もああいう感じだと思います。

    ※1900〜2000年代から見て“相対的に”「古い=クラシック」という意味なので、クラシックも当時にしてみれば先端の流行歌みたいなものだったようです。江戸中期に町民文化が花開いたと同じような流れだと思います。

    なので、まずは興味をもってくださったということが本当にうれしいです……!
    テレビ番組や全国ツアーなどで活躍され、羽生結弦くんの曲の演奏などでも注目されているピアニストの清塚信也さん、アリス・サラ・オットーさんなども「クラシックをもっと身近に」といつもおっしゃっているので、プロでもそういう感覚はお持ちのようです。
    そういうところは遠慮なく作品に入れているので、興味を持っていただけたというのは、まじで、作品の目的のひとつにたどり着けたのだと、本当にうれしく……。

    清塚さんはコンサートも人気ですが(MCがやばいから…w)、NHKなら彼自身の番組である「クラシックTV」、関ジャニ∞の番組の「関ジャム完全燃SHOW」でもよくゲストにいらっしゃるので、「クラシックの本来のフランクさ」を感じてもらえるのではないかとおすすめしておきます!

    また、私の拙い小説としてでも臨場感が伝わっているようで、それは本当にうれしいです。
    これはクラシックだけではなく、自分が好きなアーティストさんなどライブで受ける感覚なども反映させているので、ここにもクラシックだからどうの、というボーダーはないと思っています。
    だからこそ、普遍的なものが伝わっているのかも、と思えてうれしいんです……! ありがとうございます。

    >この人たちなら屹度、こんな音を出すのだろうな
    その上で、こう思っていただけるのは、ほんとうに……もう感謝しかないです。

    そして、北原白秋先生、お好きなんですね!
    私は福岡県民なので、福岡出身の白秋先生の詩は、習うとかではなく、学校でなんとなく触れる、という入り口でした。
    その後声楽の伴奏をするにあたって、またあらためて先生の言葉選びのすごさなどに感銘を受けたり。
    白秋先生をお好きな方と出会えるとは……いやまじで書いてよかったな……石碑にご報告に行こうかな(真顔)。

    >どうかどんなことがあってもこの先も音楽と共に生きていて欲しい…なんて読み手のエゴを願ってしまいました。
    うっ……わああああああ……うれしい……うれしいです。
    本当は、4章ないし6章で終わるつもりでした。でもそこで終わると、作者としての責任を果たせていないと思いました。それこそ、彼らの未来をここまで示唆した作者としての責任がある、と考えたからです。作者であり、ほとんど担当講師(葉子ちゃん的立場)もあるかもしれません。
    読み手のエゴ、という言葉がすごく胸に刺さりました。書き手のエゴと読み手のエゴに齟齬がほぼないことは、書き手としての最大の幸せの一つなのではないかと思います。
    ありがとうございます。励まされました。彼らの未来、絶対に幸せにしてみせます。

    と、うれしいコメントばかりで、つい長くなってすみません!
    そちらのノートコメにも書きましたが、ほかにも読み物として気になる点やわからない点などがあれば、遠慮なくコメントなどでご連絡くださいね。

    このような感想をいただけること、本当に本当に(略)本当にありがたいです。
    またお時間のあるときに、彼らに会いにきてくださるとうれしいです^^

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