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姉が帰ってきたのは、二十一日だった。五日後にはあちらのコンサートを聞きに行く予定があって戻らないといけないらしい。スーツケースを引いて帰ってきた姉は、どこか大人っぽく見えた。大人っぽい……と考えて、いや、と思う。社会人ぽいんだ。学生っぽくない、という感じ。年明けから行き始めたというインターンのせいかもしれない、と思い至って、もしそうならすごいと思う。姉がというよりも、「社会」というものが。
姉のお土産には、また
久しぶりの家族四人が揃った夕飯だった。自然と姉の言葉がこちらのイントネーションに戻っていることに少し感心しながら話を聞く。帰ってきた瞬間はあっちにいたときみたいだったのに、この変わりようは、なんだかすごい。これもインターン効果なのかな。
メインの話題になったのは姉の進路と今後の生活のことだった。どうやら夕季さんのおばあさんが、就職しても防音つき物件に住めるよう多少の手助けをしてくれると言うので、恐縮だけど話を受けたい、ということだったけれど――それってつまり、あれじゃん、うん、やっぱり
年末に会った頃はなかった姉の手の指輪を見ながら思う。姉が本格的にあちらに住む――他の誰かとあちらに住み続けることが現実に迫ってきた。自分ときたらまだ実家で、しかも杏奈も料理を作ってくれたりしながら至れり尽くせりの生活を送っているのに、この差はなんなんだろう。これでいいのだろうか。いやいいんだっけ、長男なんだし。
長男が姉の隣で内心こんなことを考えているとはつゆ知らずの父と母の反応は、当然ながら良かった。これも親同士、夕季さんの場合はおばあさんも含めたこまやかなやり取りのおかげなのか、と思うと、つい感心してしまう。
夕飯後、学部の先輩とのつながりで在籍することになった文化祭実行委員の下調べなどをしていると、部屋の扉がノックされた。
「入っていーい?」
「うん」
姉だった。ドアを開けた姿はまだ帰ってきたときのままで、風呂の呼び出しではないことがわかる。
「どしたの」
「うん」
うなずいて、姉はいつものようにベッドに座った。左手にある指輪が部屋の照明をはじく。そのまま姉は手の指を組んだ。
「さっきの話、どう思う」
「引っ越しの?」
「そう」
「めっちゃいいんじゃん? てかすごいよね、夕季さんちのおばあさん。勉強に理解あるっていうか」
「だよね。うちの学校受けたのも、
「へー、すごい」
それで着付けとかもできるとか、普通に感心してしまう。と、そんな自分を見て、姉は小さく苦笑したようだった。
「
「え、――好きだとおかしい?」
「ってわけじゃなくて。でもありがたいなと思う。姉置いてけぼりでチャットとかしてるし」
「えー、それ姉ちゃんの許可いる?」
「いらないよ。逆にそれがうれしいのですよ」
そこまで笑って言って、それから姉は微笑んだまま、ひとつだけ息をついた。視線が何かの景色を追っているのがわかった。それが何かはわからないけれど。
「――諦めなくて済むなら、大人の思惑に乗ってみよう、って言われたんだ」
「諦めないって、――大学の勉強を?」
「うん。実際問題、講師の件や、いまの先生のレッスンに通い続けるっていう点でも、すごくありがたい提案だったし、それに遠慮しなくてもいいんじゃないかって」
「たしかに。断る理由ないね」
「だよね……」
姉はうなずいてから、もう一度こっちを見た。こういうときの姉は、彼女が憧れていたミュージカルの中の歌手のような目をする、と思う。そこがきっと、杏奈とはぜんぜん違う。
「だからさ、亮は、できるだけこの家にいてあげてほしい。って、わたし、すんごいわがまま言うけど」
「――父さんと母さんのこと?」
「うん。亮と杏奈ちゃんまでいなくなったら、家、すっからかんになっちゃう」
すっからかんの感じは――わかる。記憶は薄れつつあるものの、むかしは祖父も祖母もいた家なのだ。姉が出ていって、隙間は大きくなったような感じは、たしかにあった。それが歳を重ねるということなら――まだ、いまの亮介にとってはそれは少し空虚なことに思えた。だからわざと肩の力を抜いて、「でもさあ」と亮介は続けた。
「正直、一人暮らしとか、杏奈と住むとかは、大学生のだっさくて甘っちょろい夢のひとつではあるんだけど」
「わかってるよ。お母さんたちもべつに気にしないって言うだろうけど」
「だよね」
亮介がうなずくと、そういう場面を想像でもしたのか、ふふっと姉は笑った。そのようすを見てまた、祖母が亡くなったときのことを思い出した。――離れて暮らすと、何かあったときに「間に合わない」ということも起きるんだろう。でも姉の場合は、その隣にこの地域の人とはべつの人が――
そして、姉がいま自分に託そうとしたのは、その逆なのだと思う。いや、もしかしたら、あのときから――受験を決めたときからかもしれない。亮介がここにいれば、あちらにいることの不安が少しだけでも拭えるのかもしれない。適材適所、という言葉が浮かんだ。適材適所――合っているだろうか。
姉はそんな亮介に気づかないのか、そのまま話を続けた。
「学校、楽しい?」
「うん、楽しいよ。そろそろ要領つかめてきたし、あ、でも学祭実行委員に巻き込まれたのはめんどうかな」
「今年の?」
「も、なんだけど、だいたい一年から入ると、そのまま三年まで持ち上がって幹部になるらしくて」
「ああ、後輩育成を兼ねてるのか」
「そうそう。毎年テーマ違うし、場数踏んどけってこと」
「なぁるほど」
姉は感心したように言った。ということは姉の学校はそうじゃないのか、それともただたんに、姉がそういうところに首をつっこんでいないタイプなのか。――なんとなく後者な気がした。練習に時間をあてそうだもんな、この人。
そう思っていると、姉はまたふふっと笑った。うれしそうに。色がついた笑い方をした。
「なんにせよ、安心しました」
「なにが?」
「亮が学校、楽しいのなら何よりだなと思って」
頬杖をついてにこにこして言うものだから、ちょっと毒気を抜かれるというか、そんな気分になった。――姉自身、学校が楽しいと思っているのが、それだけではっきりわかる。いや、年末訪れた時点で、もうわかりきっていたことだけど。
だからこそ離れがたいんだろうなと、その気持ちもよくわかる。自分もそうだからだ。
家族がいて、杏奈がいて、学びたかった学校があって、
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