5
ロビーに出る前に、みそらは「ちょっとお手洗いに行ってくるね」と言って、先に人の隙間を抜けていった。それからゆっくりとした歩みでロビーに出、四年生の三人はそのままロビーで感想などを言い合っていたけれど、ふと
「
「ありうる。休憩なしだったもんね」
三谷を見て思い出したのか、清川と白尾もおなじようにスマホのスリープを解除していた。それから何も言わないということは、みそらからの連絡はない、ということだろうと思う。
挨拶に行くなら演奏会が終わったあとで、と、始まる前に
「ごめん、楽屋、先に行っといて」
「え、三谷いないとあのメンバーの中に入っていくの、気がひけるんだけど」
江藤先輩や
「ごめん、待たせるよりいいかなと思うし」
重ねて言うと、「わかった」と返したのは清川だった。
「いいよ、先に行っとく。なんかあったら連絡入れて」
微笑んで言う清川には、自分が何を考えているのかばれているんじゃないか、という気もした。でもそれがいまは、同門の友人としてこれ以上なく心強い。
じゃあまたあとで、と言い合い、二人が楽屋口のほうへ向かうのを数秒見送って、三谷はもう一度スマホを見た。通知は増えていない。
そのままお手洗いのほうへ行こうかと思って――やめた。ここはそんなに広くないホールだし、ということはお手洗いだってそんなに数が多くないかも。そんなところにみそらが長い時間閉じこもっていたりするわけはないだろうと思えたからだった。それに――
ガラス張りになった建物の中からは、並んだケヤキの木と行き交う車や人が見えた。その奥、空の色は少しずつ、夕暮れの色に染まり始めている。
一階は楽譜や楽器が並んだ楽器店になっている。まだ人の多いそこを抜けて外に出ると、夏の湿気のある空気が肌に触れる。でもすぐに、夜を呼ぶ風がそれをさらっていくのがわかった。地下鉄の駅が近いので人通りはかなりあったけれど、左右を見ているとその姿はすぐに見つかった。
「山岡」
人も多いので、そんなに大きな声ではない。でも数メートル先にいて、楽器店の姿を見上げていたみそらはすぐに気づいてこちらを見た。
「あれ、三谷」
軽く駆け足で近づくと、みそらはちょっとだけ苦笑したようだった。
「ごめん」
「ううん、――清川と白尾は先に行ってるから」
それだけ言うと、みそらは「うん」とうなずいた。その左手を取ると、みそらがつけていた指輪も指先も思いのほか冷えていた。やっぱり――最初からここにいたんじゃないだろうか。
軽く周囲を見回す。アクセスを調べたときにあったと記憶しているのだけれど。
「――たぶん」
「うん?」
「あっちのほう、カフェっぽいのあったと思う。行く?」
それだけを言うと、みそらはびっくりしたように長いまつげを数回またたかせ、――それからちいさく、「うん、行く」とだけ言った。そっと握り返してくる指にある指輪が、そのときにはかすかに熱を帯びていた。
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