4-2

(承前)


 なにかが爆ぜるようなかすかな音がしてはっと顔を向けると、拍手に送られて先に下手しもてから出てきたのは森田だった。そのすぐあとに菊川きくかわ先輩が続く。セコンドの楽器が上手かみて側、かつ手前にあるからだ。

 森田のようすはいつもどおりに見えた。いつもどおり――舞台上にいるときのいつもどおりだ。練習を見ていたみそらが「ヨーロッパの気の強い公爵っぽいよね」と言っていたのは、森田の特徴をよくつかんでいると思う。――いまもまさにそういう雰囲気だった。燕尾ではないが、男子らしい白いカッターシャツと黒いパンツの上下で揃えている姿は清廉で堂々として見えた。――いつものりょうだ、と思う。けれど、そうじゃない気も、する。

 森田と先輩は慣れたようすでお辞儀をし、そのままそれぞれの椅子に腰掛けた。森田の楽器も譜面台は取り外してある。もちろん楽譜もない。あの短期間で暗譜まで済ますのは、彼が森田涼だからだ。

 大きなピアノを挟んで対面に座った二人が視線を交わす。先輩がうなずくと森田はプレスのあとが美しい袖口から見える筋張った両手を、鍵盤に載せた。

 ショパンのピアノ協奏曲、第一番、ホ短調。ホ短調のある種のシャープさと深い赤紫の色を連想させるような音――ショパンの故郷への強い思いが込められたような前奏がはじまる。

 ああ、ぜんぜんちがう、と愕然とした。自分と練習していたときとまったく音が違う。練習よりもさらにオーケストラの厚みをまとっていて、それでいて多彩な音の連なりに驚く。

 自分と森田が練習したのは都合四回。それ以降は実際に菊川先輩と練習をしていたと聞いているが、――これはかなり注文がついたのではないだろうかと思う。自分もそうだったからだ、江藤えとう先輩とは。

 みっちゃん、さっきのところ全然ホルンじゃないからもうちょっと柔らかくできる? 今のところ、弦が弦じゃない気がするんだけど、どう思う? ――そういうことを、菊川先輩からも言われたんじゃないだろうか。しかも、かなり細かく。

 もちろん室内楽は自分たちも授業として勉強している。けれど、今聞いている音はそこで聞こえるものの比ではなかった。いくらアジア人の留学生がヨーロッパで増えているとはいえ、そもそもそこに住むのはキリスト教とともに歴史を重ね、キリスト教ともに発展した音楽――を生まれながらに知っている人たちが多いはずだ。その中で鍛えられた菊川先輩の耳には、こちらの授業程度の内容では物足りなかったはずだ。

 でも、音は涼らしい、と思う。森田のもつ音の渋みのようなものは、自分にはない。さらにフレージングもかなりよくなっている。朗々と歌われていくメロディーライン、そして全体を支える低音部の弦、管楽器を追っていく。この歌い方――節回しは日本人にはない、と思う。とすればこれもやはり菊川先輩の助言ゆえだろうか。

 こんなときでもつい、涼はひときわ姿勢がいいなと思う。これはもう羽田はねだ門下のお家芸だと考えながら、贅沢な前奏を堪能していく。

 三分以上もかけた前奏が終わりをむかえる。本当の主役を迎えるために閉じていく。ゆっくりと、話が終わるように見せかけて――その話にゆっくりと耳を傾けていた菊川一夏いちかが、ふいに瞳を開けたのがわかった。前奏の終焉と合わせ、その体がピアノに近づくのが見える。手を鍵盤に載せ、そして――

 主役プリモが合流した。ホ短調の主音がとんでもない重みを持って世界に降臨する。

 圧巻だった。これがほんとうに女性の音なのかと思うほどの圧倒的な重量をもったユニゾンとアルペジオ。目の前で手を叩かれたように視野が一気に明瞭になる。女性らしいしなやかさ、そしてショパンらしい高貴さの中に確固としてある芯――そしてセコンド、いやオーケストラとの自由自在な対話。

 対話だった。間違いなく対話だ、と思う。いまこの瞬間にも二人は曲について、ショパンについて、ポーランドについて語り合っているのだ。ショパンのピアノ協奏曲一番という音楽を、ピアノフォルテという楽器を通じて。

 このフレーズから得られるインスピレーションとは何なのか、どの楽器にどういう役目があるのか、この音量でいくならつぎはどうするのか、――ひいては彼が見ていたものはなんだったのかを語り合い、議論し、分析し、音で言葉を重ねていく。

 圧倒的な彩度で構築された世界観に、けれど自分の脳は冷静だった。わかっていたことだ。わかっていてなお、それでもこれに感動する自分がいることが喜ばしくもあって、そこまでしかいけない自分がほんのわずかにつらくもあった。

 自分は絶対に音楽だけで食べていく道を選ばない。理由は簡単だ、そうできるほどではないからだ。誰かとこうやって楽器だけとで会話できるほどの能力はない。でもそれが理解できないほど無能でもない。――どうやっても中途半端だからだ。

 プロをめざすには足りなくて、アマチュアでいるにはすこしだけ出来がいい。そういう自分が本当は嫌いでもあった。だからはじめから一般就職を選んでいたし、ピアノだけでやっていこうとも思わなかったから伴奏も引き受けた。この中途半端さを生かせるのはそういう部分だろうとも思ったからだ。

 そういう、日々の些末なことにまぎらわせてどうにか生活していることを、涼は――音楽の道を一生をかけてまっとうしようとする人たちは、いつもこうやってふいに突きつけてくるのだ。自分たちとは違うと。ここには圧倒的で絶望的な、絶対にこえられない高い壁が――もしくは底が見えない深い深い海溝があるのだと。

 なのにフツーなふりしてじゃれついてくるからむかつくんだよなあ、と一瞬、思考が先日までの練習に戻ってしまった。――ああ、もう、思いたくなかったのに。

 終わりたくないなんて。そんなこと本当は、自覚するほどはっきりと思いたくなかった。あの子どもの遊びみたいな時間が、もうあと何ヶ月も残されているわけではないことなんて、とうに知っている。だから練習にも付き合ったし、こんなところに来てわざわざ自分の傷口をえぐっている。思い返せば思い返すほどばかみたいだと思う。

 でも、――でもそれがやりたくてこの学校に来たのだ。この菊川一夏いちかの演奏に導かれるように。

 誰かとつくる音楽がやりたかった。そういう、子どもの頃に音楽教室で体験したようなことをまたやりたくて、それができるんじゃないかと、高三の夏休みの特待生演奏会で、ついそんな欲が出てしまって。そうして山岡みそらを見つけて、本当にここまできてしまったけれど。

 でも本当の本当は、そこで。誰だってそうだ。その場所で、舞台の上で。誰もは行けない場所で。

 誰だってそう思うはずなのに、でもいつも――それこそ神さまがいるのなら本当に残酷だ。自分の気に入ったほんのひとつまみ程度の人間しか、そばに置いてはくれない。

 山岡の言う通りだな、と思う。菊川先輩は間違いなく天使だよ。それも最悪の。天使の姿をして大きな鎌を手にした、美しくて穏やかな、死の御使みつかいだよ。いっそここで殺されてもいいとすら思えるほどの。

 その死の天使――先輩の表情はあくまで穏やかで清廉だった。ときおり顔をあげてセコンドの音に満足そうにちいさくうなずくこともあった。そのようすは、二年前にみそらと行った演奏会を連想させた。――あの、ショパンコンクールで優勝したポーランド出身のピアニスト。そこに通じるものが、もうすでに菊川先輩にはあった。

 それは至極単純なことで、ただ、国の違い、それだけだ。言語の違い、気候の違い、自然がもたらす色味の違い、生活の違い、人の造形の違い、建物の違い、生活の違い――それらすべての「西洋的文化」を自然に身に着けたからこそなのだろう。菊川先輩のつむぐ音は日本人の文脈ではなかった。先ほどまでのやわらかなショパンの曲たちよりも、もっと明らかに西洋のものだった。

 もしかすると、それは森田涼という、この場における相棒がいるから成し得ることであるのかもしれなかった。何にせよ、――ただ自分たちは憧れるしかできないのだ。

 力強い連打が鳴り響き、曲が再現部に戻る。もう一度セコンドがオーケストラのメロディを担う。今度はもうはじめからオーケストラにしか聞こえなかった。そうしてプリモが合流する。ときに激しく、熱く、ときに穏やかに対話をしながら、曲が終焉に――第一楽章の終焉に向かって進んでいく。

 ああ、プリモってこんなに心の底からものなんだな。改めて思う。いつもみそらの歌を間近で聞いているのに、こういうことすら日常にまぎれて忘れてしまうのが凡人のあかしだ。思ううちに曲はどんどん進んでいく。観客を巻き込んで、――どこかにいる誰かの心を、容赦なくえぐりながら、それでも限りなく美しく、クラシック音楽の頂点と、ポーランドの誇りをまとって――

 そうして――オーケストラの音とともに、ピアノが決然と第一楽章の終わりを告げた。

 わっと爆発するような拍手が起こった。二人は立ち上がると目線を交わしてからお辞儀をする。そうしてまた最初のように下手しもてに消えていった。すぐにまた舞台袖に二人が姿をあらわし、ねぎらいと賞賛の混じった拍手に送られる。それをもう一度繰り返して、つぎに出てきたのはまた菊川一夏いちかひとりだった。

 笑顔で早足で歩いてくると、先ほどまで座っていた場所にすとんとまた座る。そしてほとんどノーモーションで――ピアノから音を、容赦なく引き出した。

 ショパンのポロネーズの中でももっとも有名だと言っても差し支えない、『英雄ポロネーズ』。

 ポロネーズはポーランド特有の土着のリズム、ダンスのリズムだ。だからこそそのリズム感を身につけるのは至難の技だ。日本人のように腰が低い文化で育つとそれが顕著なはずだけれど、菊川先輩は違った。それこそ――それこそ二年前に聞いたピアニストのように、そこらじゅうに金の羽が飛び回る。

 これがポーランドだと、誇れる故国だと、何度蹂躙されようと不死鳥のように蘇り立ち上がる不撓不屈の誇り高き民族だと、そう高らかに歌い上げていく。そのさまを見ていると、さっきまで抱えていた自分のどろどろとした感情がばかばかしくもなってくる。――でもそれもやっぱり、自分がそうじゃないことを知っているから、そう思えるのだ。

 細い女性の手で恐ろしいまでのユニゾンでの連打。そしてこまやかでエレガントなフレーズ、苦悩を伝えるような和音まで。自在にあの巨大な楽器を飼いならし――これが「ポーランドのショパン」の姿であり、同時に、先輩の――日本人のルーツをもつ菊川一夏いちかとしていま演奏できる最高のショパン。それを先輩は、あざやかに弾き終えた。

 拍手がホール内を埋め尽くす。それと同時に軽やかに降ってくる金の羽を見て、そうか、と思う。

 そうかこれは、祝福だったんだ。演奏者に対する世界からの祝福。生まれてきたこと、自身の生まれ――アイデンティティを否定せず向き合ったこと、音楽と出会ったこと、音楽を人生の至上のものにしたこと、そしてそのためにあらゆる努力を尽くしてきたことに対する、神さまからのご褒美だったんだ。

 もう一度舞台上を見る。先輩の笑顔は、やっぱり天使のようにきれいだった。

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