4-1

 菊川きくかわ先輩のミニコンサートは、とある有名楽器店のホールで行われた。帰省の予定がずらせなかった松本恒大こうだいを除き、羽田はねだ門下の四年生三人、つまり三谷みたに夕季ゆうき、清川奈央なお白尾しらおあきらに加えて山岡みそらがそろった。ただ、白尾は前の予定が押したらしく、開演ぎりぎりになりそうだと連絡が入る。自分たち以外には大学の生徒は見かけず、これがあくまで身内のみの催しだということを示していた。

 座席数は百近いようだけれど、九割ほどはすでに埋まっているようだった。比較的小さなホールでありながら、木目の色調が美しく、舞台も広い。今は一台の優美なグランドピアノが中央に、そしてもう一台が舞台奥のほうに寄せられている。

 藤村ふじむら先輩、江藤えとう先輩も時間が合ったようで、久しぶりに挨拶をする。「楽屋に行く?」という軽い問いかけには四年生全員が内心肝を冷やしながらしっかり遠慮した。終わったあとならまだしも、はじまる前に顔を出せるような間柄ではない。

 葉子ようこと一緒にいたのは小野先生と、客員教授の夏井なつい先生だった。夏井先生は葉子の大学時代のダブルレッスンでの師匠であり、森田が通っている外部のダブルレッスンの師匠ともつながりがある。三人はほかの先生たち、もしくは事務所やテレビ局関係の人とだろうか、何人かと話をしていたので声はかけず、四年生一行は空いている席に三人並んで座った。深い紺色のワンピースで清潔感のあるいでたちにまとめた清川がプログラムを眺めて言う。

りょうとのやつはやっぱり最後だね」

 プログラムには番組で使われるのであろう曲が並んでいた。小品から長いものまでバラバラで、とくにショパンの有名どころ――『別れの曲』などタイトルがついている曲が多い。最後の二台ピアノがショパンなので、そこに寄せたのかもしれない。そうでなくとも日本人になじみがあるのがショパンだしな、と思いながら三谷もプログラムを眺める。A5の二つ折りになっているプログラムの裏表紙にある菊川一夏いちかのプロフィールには、いま在籍している大学の名前が当然ながらドイツ語で記載され、さらに先日受賞したばかりのコンクールの名前も並んでいた。

 なんとなく緊張している気がする、と三谷はまた思った。右隣に座るみそらのことだ。よく考えてみれば最後に菊川先輩の演奏を聞いたのは、たしか――先輩が二年生のときの冬の講習会だっただろうか。だとすれば、二年半くらいのブランクがある。

 みそらがこの学校を受けた理由のひとつに菊川先輩の演奏があったということを知っている三谷としては、なんとなく心境がわかるような気がしていた。――あれからちょうど四年が経った。先輩はどれほど変わったのだろうか。

 みそらの右隣に座る清川の、さらに右隣に白尾あきらが合流したところで開演五分前のアナウンスが入った。それぞれに談笑していた人たちも席につき始める。三谷たちの左斜め前くらいに小野先生、夏井先生と並んで歩いてきた葉子とふと目があう。葉子はちいさく微笑んだだけですぐに座席についた。

 ふっと炎を消すように、観客側の照明が落ちる。暖色系の光の数が減ると、ステージの煌々とした明るさと、それをはじくグランドピアノの高貴な黒い色が映えた。蓋が空いていると中に張り巡らされた金の弦が蓋の内側に映り、その光景こそが異次元だった。――待っているな、と思う。あのピアノは、自分を目覚めさせ、思うがままにあやつる人物がもうすぐやってくることを知っていて、その身を捧げるように舞台上にいる。

 パチパチという弾けるような音が聞こえる。反射的に同じように拍手をするのと同時に、舞台下手しもてから一人の人物が歩いてきたのが見えた。

 黒いつややかな髪を肩口あたりですっきりと切りそろえ、これまた黒い、シンプルな丈の長いワンピースふうのドレスを着て颯爽と歩いてくる姿を認めると、みそらの言葉がふいに脳裏をよぎった。

 天使みたいだよね、菊川先輩って。細くて儚げなのに、ピアノを弾くときにはとんでもない高貴さがあるの。ああいうのを天使って言うんじゃないかって思うときがある。

 その言い分はわかる気がしていたし、そして今、その言葉を思い出してまったくその通りだと思う。黒い服と髪、それと対象的な肌の白さ。そして柔和ながら誰にも媚びない笑みで菊川一夏いちかは一礼し、慣れたようすでクッションの柔らかそうなピアノ椅子に腰掛けた。

 ドレスの裾をペダルの妨げにならないよう少しだけ調節すると、数秒、天を仰ぐようにし、それから先輩は両手をそっと鍵盤の上に置いた。右手がゆるく動いて第一音目を呼ぶと――ピアノの内臓が震えた。

 ショパンのノクターン、二番、変ホ長調。聞けば誰もが「聞いたことがある」と言うであろう、柔らかなメロディーとゆったりとした伴奏が織りなす名曲だ。ホール内に、夜の柔らかい、肌のような湿度を感じる音が広がっていく。――一瞬だった。全員が菊川一夏いちかの演奏に目と耳を、体を奪われた。ショパン特有のロマンチシズムをふんだんに散りばめた音がホールに響く。引き込まれるように彼の中にあった思いを考えてしまう。

 何を思ってこのような音形にしたのか、このような旋律にしたのか、作曲しているあいだ、どのような景色を見たのか――

 ショパンエチュード、作品番号十の三番『別れの曲』、二十五の一『エオリアンハープ』と続いていく。これらもシンプル――あくまでショパンという作曲者の中でのごく基本的なつくり――であるにも関わらず、その美しさはほんのひとかけらさえも損なわれることはない。これが葉子の言う「ショパンは絶対に美しくなければいけない」なのかと、小野先生の言う「小さい音こそ音楽の構成には必要なの」ということかと痛感する。

 菊川先輩の音はたとえフォルテ強い音であっても美しかった。繊細で、一粒一粒がみずから輝く真珠のようだ。お手本のような音の連なり、構成力にただただ嘆息するしかない。

 比較的緩やかで耳なじみのよいショパンの三曲が終わったところで、一度先輩は手を膝の上に下ろした。と同時に、息を詰めていた観客が、いっせいにほっと息を吐く。

 視界のすみでみそらの左手にある指輪が光をはじいたのが見えた。さっきまでの緊張はとけたのかな、と思う。つい集中して聞いてしまうのであまり気が回っていないが――聞かせるだけの力量が、大きな音ではなく小さな音にある先輩の演奏に、自分の感覚がだんだんと孤立していくのがわかる。

 孤立――いや、違うかな。遮断かもしれない。今ここにいるのは菊川一夏いちかというピアノ演奏者と、自分ひとりだけなのではないか。そんな感覚に陥る。世界が音だけで構成されている。自分も間違いなくその構成要素――音だった。ピアノからあふれる音をさらに受け止めて響くだけの媒介であり、音。

 四曲目はドビュッシーだった。組曲「版画」第一曲、『パゴダ』。『塔』とも表記されるそれはドビュッシーのもつエキゾチックな色をまとって自分の体を絡め取りにくる。と同時に、先輩ってこんな演奏だったっけ、と思う。こんなにも穏やかで細かい音がきらめくようだったっけ。いやもちろん前もそうだったけれど、いまとは比較にならない、と思った。

 これが、現地に――西洋音楽が日常に存在している国で暮らす、その意義と結果なんだろうか――

 つぎも同じくドビュッシー、「ベルガマスク組曲」から『月の光』。この組曲は四曲から成り、第三曲であるこの『月の光』の三谷夕季のイメージは、じつはあまり大きな声では言えないようなものでもある。四曲すべてで一本の映画のような構成になっていて、その物語の中にある、甘い夜の場面なのではないかと。

 音がホールに――夜の中に消えていく。それをここにいる全員が共有していた。菊川一夏いちかが描き出す音という絵画を、誰一人として理解していない者はいないのではないかという気さえするような、そんな静寂。

 先輩は一度手を下ろし、息をつき、顔の横に流れる黒髪をかすかに払ったようだった。そうしてもう一度鍵盤に手をのばす。曲を知っている三谷は知らず身構えた。――聞こえた音は予想に違わず、いやそれよりも深い場所をえぐるような重量があった。

 ラフマニノフの「楽興の時」七番、ホ短調。低音部での細かいイントロが印象的なこの曲だが、そのひとつひとつの音の明瞭さは音の高低にかかわらず明らかだった。繊細でいて、リズムの楔となる部分はさらに明瞭だ。圧倒的で安定的なテクニック。その下地に支えられた、菊川一夏いちかの解釈。

 先日、みそらが先輩のことを「天使のようだ」と言っていたけれど、今あらためて、その言い分はあながち間違いじゃないと思った。それこそ最初の三曲のショパン、そして二曲つづけてのドビュッシーは、天使が演奏していると言われたら信じてしまいそうになるほどの美しさだった。

 でもみそらはもうひとつ続けていた――「たまにね、先輩の音って、オラトリオみたいだなって思うときもある。天使は天使でも、死の天使。厳かで、西洋の一神教の光の強さをまとって、只人ただびとの前に舞い降りて、死の鎌を穏やかな顔のまま振り上げる、そんな死の天使」――現実離れした表現だとはみそらも理解しているだろうけれど、でもそれを聞いたとき、自分が納得していることにも気づいていた。そして今、目の前の舞台で演奏しているのは、間違いなくその天使だった。

 優しい、穏やかな、微笑みともつかない微妙なニュアンスの表情をたたえて、ゆっくりと天から目の前に舞い降りてきて、ゆっくりと断罪の言葉をつむいでいく――

 つぎの曲はまたもやショパンだった。バラード三番、変イ長調。こちらも穏やかで甘い雰囲気からはじまる。言葉を変えながら、いくつもの愛らしいささやきを恋人の耳元でするような、乙女の色。

 しかしこのあとに何が待っているのかを知っている三谷は、無意識に顎を引いていた。――ああ、来るんだ、あの、ゆるやかに、しかし確実に外に向かって魂の叫びを訴えかけてくるような、あの、うねるような低音が――

 その心は何と言っているんだろう。まだ三谷にはわからない。それは故郷への思いかもしれないし、刻々と変わっていく自分の環境に対してかもしれない。でも最後に――最後には光がさすのだ。和音が変わり、それにともない心情も変わっていく。晴れやかにアルペジオがきらめき――

 神に祈るような四つの和音が鳴り響いた。

 今度こそ雷鳴のような拍手が沸き起こる。音大レベルで曲の難易度を言うならば、いずれもごくやさしい曲ばかりだった。けれどそれを上回る情感――果てしない基礎練習と楽曲分析、そして西洋の空気を毎日少しずつ体に溶け込ませていったからこそ得られた、日本とはまた違う、――西洋のにおいが先輩の演奏にはあった。

 拍手を一身にあびながらも先輩は先輩のままだった。椅子から立ち上がり、正面に立ってまた颯爽とお辞儀をすると、笑顔のまま下手しもて側――舞台袖にはけていった。それでも拍手は鳴り止まない。もう一度袖から先輩の細い姿が見えると拍手の音がさらに大きくなる。それにも笑顔で応え、先輩はまた一礼するともう一度袖に戻った。と入れ違いにモノトーンの動きやすい衣装のスタッフが現れ、楽器を動かしていく。二台ピアノの準備に入ったのだ。

 自然と拍手はさざなみのように引いていき、代わりにざわめきが広がっていく。そのかすかな声はいずれも先輩の演奏を称賛するものに違いなかった。声の響きが上を向いているのだ。抑えた声であっても高揚した心までもは抑えきれないでいるようだった。

 ただ、みそらも、清川も白尾も何も言わなかった。牽制しあっているのではない。みんながそれぞれ考え込んでいるのだと、自分も同じように考えこみながら、もうひとつの思考で思う。

 先輩がこの二年半のあいだにどれほど変わったのか、どれほどのものを身につけてきたのか。そして――これから何が起こるのかを。

 二台のピアノが並ぶ。カーブ部分が二つの勾玉のように重なるが、観客から見て手前側になるセコンドのピアノには、大きな翼のような蓋はない。奏者同士がアイコンタクトをしやすくするためだ。

 それを認めてなお、四人は言葉を発さなかった。――自分たちの同学年で、同じ門下の生徒でもある森田りょうが、これからどのような演奏をするのかを、固唾をのんで待っている。それは期待か、かすかな不安か、それとも――


(4-2に続く)

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