2-1

 まさかこんな理由で、数年放っておいた宿題に手を付けることになるなんて。ここ数日で何度も思ったことを、三谷みたに夕季ゆうきはまた思った。

 葉子ようこからコンチェルト選抜用の曲としてショパンの一番を渡されたのは、もうかなり前のことだ。たしか、一年の終わり頃だったか、二年に上がったくらい。それから考えると……軽くぞっとする。もらった頃は四年生のときにどうなっているかなんて考えもしていなかったのに、いざまともに向き合っている自分はもう、その想像さえできなかった四年生の時間にいるのだ。

 これまでコンチェルト選抜を受けなかった理由は、いくつかある。江藤えとう先輩の伴奏に注力しないと先輩の進退にかかわる、というのが一番大きな理由だったし、そうしたい、そうすべきだと自分でも理解していた。それと同時に、もうひとつ、理由はあると思う。――推薦人だ。

 通常の独奏ソロの学内選抜と違って、コンチェルト選抜には推薦人がいる。ソロとは違って、学内の生徒とはいえ、オーケストラと演奏をするのだ。しかもそのメンバーも選抜であるため、ピアノ専攻側もむやみやたらな応募はできない仕組みになっている。

 その推薦人は本来、担当講師で十分なのだけれど、――三谷の担当講師である羽田はねだ葉子はまだ新米に分類される立場だ。勤めて十年ほどの葉子だが、やっとここ一、二年で、「先生」として認識され始めたように感じる。いや、もちろんもとから先生には違いないのだけれど、――なんというか、周りの対応、雰囲気が変わったのだ。

 伴奏法の授業などをもっていることもあって、とくに下の学年の生徒たちはいい意味で距離を置くようになっているし、講師陣の中にいても、ぱっと目を惹くようになってきたと思う。月並みな表現でいうと、たぶん、貫禄、とか、そういうたぐいの言葉になると思う。そういうものを、葉子自身からというよりも、周囲の人間から感じるようになった。そして、おそらくそれは葉子自身の努力の結果でもあるし、――一部は私生活での変化もあるのかもしれない。

 だから、――もしかしなくても、二年生の段階では葉子の名前だけでは推薦が難しかったのではないか、と、三谷はこっそり思っている。十分に受験できるだけの実力がある森田だって一年生のときはエントリーを見送ったのは、そういう裏があるからでは、と勘ぐってしまうのも仕方がない。

 それから二年ほどが経ったいま、セコンド側を練習している森田はもちろんエントリーしているし、あなたもエントリーしないかと、とくに小野おの先生からは何度も言われている。三谷の場合、葉子と小野先生の連名での推薦ならばすくなくとも一次試験を受けられるところまでは間違いない、ということなのだろう。推薦とは言うものの、ほとんど書類審査のようなものだ、と三谷は認識している。

 りょうの場合、確実に実力があるのに落とすわけにはいかないもんな、と思って肩の力を抜く。森田涼は特待生ではないにしろ、入学時からほかの生徒より一歩も二歩も先んじた演奏をしていた。本来ならば小野先生や客員教授の夏井なつい先生あたりにつくようなレベルだ。そうなっていないのは、森田本人が葉子に師事することを望んだからだ、――というのは、本人からなんとなく聞いている。

 それでも全学年から応募が集まる中でのたった二人、もしくは三人に選ばれるのは狭き門だ。森田でさえ実際に選抜者として残ったのは、やはり昨年、三年になってからだった。――あらためて考えると、ほんとうにしがらみの多いのが音大という場所だ。それらの思考がスタンダードになっているから普段はどうとも思わないだけで、けっこう変、というか、妙な場所で毎日生活しているのだ、と、ふと思い返すこともある。

 でも、それもあと半年ほど。一般的な社会とこちらの間には、どれほどの差、齟齬があるのだろうか。それとも――じつはあっちのほうが、もっとおかしい世界なんだろうか。

 三年の終わりから続けているインターンはつらくはない。実務として覚えることもあるし、実際に「社会人」として生きている人たちとやり取りをするわけだから、わからないことやできないことが多くてそれがきついのはもちろんある。でも、いまの会社――つまり、来年度から実際に働く場所は、いまのところ、そこまで齟齬があるようには思えなかった。なんとなくだけど、生理的にいやじゃないから大丈夫、――そんな感覚。

 丸三年以上も音大にいるのだから感覚がへんになっているのかもしれない、とも思ったけれど、高校までの感覚を引っ張り出してくれば、そういうものだった気がする、と自分に言えるくらいの納得感は、ある。たぶん。

 マンションの部屋のピアノは部屋の入り口すぐに置いてあって、座っている場所の正面にあるのは、ベランダと部屋を区切っている大きな南向きの窓だ。だんだんと日が落ちはじめ、空の色の浅葱が薄まり、かわりに朱がうっすらと西から伸びてくる、その大きな空の色の手前に、みそらの細い背中が見えた。ここから見る限り、電話はもう終わっているようだった。

 妙なことに付き合わせたな、と申し訳なく思うと同時に、この練習に加わること自体をみそらが楽しんでいるのは間違いなくて、それは率直にうれしかった。とくにみそらとしてはつねに自分が主旋律側に、三谷が裏方にいる、という構図にしかできないので、三谷が主旋律側――プリモをやることに興味が大きいようだった。「譜めくりもちゃんとやってみたかったんだよね」と長いまつげを上向かせて頬をかすかに紅潮させている姿を見ると、これはこれでよかったなと思う。涼もたまにはいいことをする。

 そう思ってもう一度楽譜を見る。まだ葉子にしっかりと見てもらったことがないし、いまは夏休み中なのでもっぱら書き込みは自分の文字になる。学割で月数百円で加入できるサブスクには何人もの有名ピアニストの演奏があり、サブスクのありがたみを感じるのはこんなときだ。「わたしのときはCD一枚買うのにも勇気が必要だったわよ。だってマイナーな曲で、しかもあまり有名じゃない人が弾いてるのしかなかったらもう博打よ、博打」と葉子がうらやましそうに言っていたのは本音だろう。

 できる限りいくつもの奏者の演奏を聞いて分析を深めるのは、どの専攻も同じだ。店のコーヒー一杯分と大して変わらない金額で、登録されている分の演奏が比較できるのは正直ありがたかった。とくにコンチェルトだと、同じピアニストであっても組んでいるオーケストラが違う、ということもある。その無限大とも言える掛け合わせの、その一部だけでも知ることができるなんて、サブスクってすごい仕組みだ。

 ブレスや指番号などの自分の書き込みと、黒い音符の流れを見ていると、そういえば、と思い出す。二年の夏休みだったっけ、山岡と演奏会に行ったの。

 あの、金の羽が舞い降りてくるような、ポーランド人にしか演奏できないのではないかとさえ思わせる演奏。彼のこの一番の演奏もまた、サブスクにある。

 日本人に生まれて何を思うか、ということを、三谷は突き詰めて考えたことはない。もちろん、中東やさまざまな場所の情勢などが日々新しい情報として入ってくるのは当たり前だし、日本が安全で、清潔で、生活しやすい場所なのだということも理解している。だからだろうか、自分のアイデンティティが日本にあるということを突き詰めて考えることは、あまりない。

 けれど、死の間際に「心臓だけでも国にもって帰ってほしい」と姉に託したショパンはまったくそうではないのだろうと思うし、その後のポーランド独立までの流れを考えると、その身に流れる「ポーランド」という血の濃さ――不死鳥ポーランドの不撓不屈の魂が、楽譜のすみずみまで染み渡っているように感じられた。と同時に、それは自分たちにはないものだと思えてならなかった。そういう、言語や勉強などで理解するものではなく、生まれ持った血脈によるある種のシンクロニシティのようなものが、あのポーランド人ピアニストにはあるような気がしてならなかった。――自分には絶対に理解が及ばない領域というものは、世の中にはかならずある。

 カラカラと軽い音がしたので顔をあげると、ちょうどみそらが窓を開けて部屋に戻ってくるところだった。目があったからか、「休憩中?」と聞いてくる。口角をきゅっとあげるだけで、そこに花が咲いたような華やかさがうまれるのは、山岡みそらにしか持ち得ない世界観だ。


(2-2に続く)

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