12
冬の寒さは仕方ないものの、天気もよく、四人は約束の時間には六百三十四メートルの建物の足元に集合した。上の展望台に登るのはみそらもはじめてだったようで、高三の少年二人と同じ温度ではしゃいでいた。折よく空気もきれいで、日本一の山もくっきりと見える。冬ならではの絶景だった。
その後は飲食フロアで昼食をとった。話を聞いて驚いたのが
でもそれなら余計にこの時期にこっちに来ていいのか、と思ったけれど、当の本人は「夏ごろからずっとA判定で、ずっとそれだとつまんなくなって、どうしよっかなって相談したら、塾の先生も両親も気晴らしにいっておいでって許してくれたんで」とけろりとしていた。
どこにもいるんだなあ、こういう天才って。おもわず内心でぼやく。本人もそうだけど、親も豪気だ。あの夏に見た
それからは大きな提灯が特徴の有名な神社にも向かった。仲見世通りは年末らしい煩雑な雰囲気で人も多い。二人は興味をしめすものの、お土産を買うために立ち止まったりすることもあまりなかった。まっすぐに正面の本堂をめざし、途中の常香炉はやっぱり興味があるのか煙を頭にかけていて、そして本堂の前で手を合わせて真剣に頭を下げる。「おみくじは?」というみそらの声には「興味ない」と二人揃った返答で、なんというか、堅実だなと思った。そりゃふたりともA判定になるよな、と思うし、この二人をかわいいと思うみそらの気持ちもよくわかるというものだ。
結局、亮介くんと智則くんがお土産を買ったのは新幹線に乗るターミナル駅でだった。「三学期は登校も少ないし」という理由で、それぞれ家族分を買うのみなので、荷物以外は紙袋ひとつとコンパクトな姿だ。その分、駅の中に入ると新幹線で食べるためのお弁当はしっかり買っていた。こちらを出るのが十六時半ごろ、地元駅に着くのが二十時過ぎなのを考えると当然だ。
「お世話になりました」
新幹線口の改札の手前で先に頭を下げたのは智則くんで、それに亮介くんも倣う。
「いやーまじでこっちきてよかった。知り合いってみい姉ちゃんと親戚だけだったけど、
落ちることなんかぜんぜん念頭になさそうだな、と思う。智則くんとも連絡先は交換してあるけれど、「四月から」の言葉のときに亮介くんがほんのすこし寂しさのようなものをにじませたような気がした。
「みんなによろしくね」
「みい姉ちゃん、年末年始は?」
「帰りますよ。そちらにも例年通りご挨拶に行きますから」
「年末年始ってか来週だよな」
「亮、嫌そうな顔しないで。そもそもこっちに来たのはあなたたちでしょ」
「夕季さんは来ないんですか?」
思わぬ方向からの智則くんからの質問に、一瞬、思考が飛ぶ。
「……いや、俺も実家帰るから」
「なんだー。じゃあ春にこっちで会うのが先かな」
「その前に受かってください」
最後のツッコミは姉弟の二重唱だった。つい笑ってしまってみそらに軽く小突かれる。いやでも、すごいなほんと、姉弟って。
発車の十分前になったので、二人は改札を抜け、手を振りながら歩いていった。バックパックまで似ているので、背格好もほとんどおなじように見える。やがて人ごみにまぎれて見えなくなると、隣のみそらが小さく息をついた。そして
「おつかれさま。ありがとうね。かなり懐かれたよね」
「そうだっけ? でも――楽しかったよこっちも」
「ほんと?」
「ほんと。音楽になじみのない人があんなに楽しむようすに出会えるのって、なかなかないよ」
今回の一番の収穫はこれじゃなかっただろうかと思う。でもよく考えてみれば、自分たちだって「音楽に興味がない」から始まってここにいるはずだった。
年末のターミナル駅はとりわけ人が多い。それでも今、なんだか今、言わないと、という気がして、三谷はみそらを見た。
「ごめん、ちょっと――電話していい? つながればすぐ終わるから」
「うん? いいよ」
みそらが言うので、もうすこし人がすくない壁際に移動する。スマホを取り出し、覚悟を決めてタップをしてコール音を聞きながら待つ。そう長くはかからなかった。
「はい、もしもし?」
「あ、――
「うん、大丈夫よ。どうかした?」
葉子の口調はいつもどおりだった。きっと何のことかわかっているんだろうなと思いながら、それでも腹筋に力を入れる。――背中を押してくれたのは、あの二人だ。
「ダブルレッスン、受けてみたいです。そう、
「――そう、わかった」
ほんの一瞬の間は、きっと葉子は満面の笑みになっただろうなと思わせる間だった。言えたことにほっとしていると、「あ、みっちゃん」と続く。
「昨日のラヴェル、よかったわよ。ちゃんとラヴェルの『景色』があって。聞いてるこっちにも、世界が生きてるって伝わってきた」
思わぬところからの褒め言葉に、またびっくりしてしまう。
「――講評は言わないんじゃなかったの」
「昨日は、よ。今日は昨日じゃないですからね。でね、もし細かいところが気になってるんだったら、それこそ小野先生に聞きなさい。あの人こそ、そういうのが得意だから」
そこまで言うと、「じゃーね、みそらによろしく」と言って葉子はさっさと通話を切ってしまった。――エスパー? 先生たちってやっぱりエスパー? じゃなかったら昨日の夜の反省、どっかで監視カメラでもつけて見てた?
「電話終わった?」
みそらの声がして、はっとして見る。うん、とほとんど気が抜けたように応えて、もう一度スマホの画面を見る。もうすでに真っ暗だ。
「先生たちって、やっぱエスパーだよな」
「わかる。ほんとどこに目がついてんのかって思う。千里眼っていうのかな。こわいよね」
千里眼、という言葉につい笑ってしまう。時刻を確認すると、あと数分で新幹線が出るころになっていた。
「ちょっとお願いがあるんですが」
みそらがかしこまった言い方をするときは、だいたい頼みにくいことを言うときだ。でも同時にだいたい気にしなくていいものばかりで、今回も軽く「なに?」と言うと、みそらはちょっとだけ目線をそらした。
「イベント的なやつ、気になってはいるんですが」
あ、やっぱり気になってたんだ、と思う。電波塔も、ターミナル駅の周りも冬の灯りを着飾った雰囲気で、これから日が落ちるにつれてイルミネーションももっときれいになるんだろう。気になるなら、と口を開きかけると、みそらは苦手な食べ物を口に含んだときのような顔をして続けた。
「どうしてもここ三日、まともに練習してないのがもっと気になって……」
そうか、金曜に亮介くんたちが来て昨日今日、まったくと言っていいほど練習できていないはずだ。いつものみそらを知っていると、内心、怖さもあるだろうと理解できる。
近くの窓から外が見える。だいぶ日が落ちてきて、電飾が目立ってきた。
「……じゃあ、あした出直す?」
「ほんと?」
ぱっとみそらが顔を上げた。そのあまりの表情の明るさに、言ってよかったと思う。
「そのほうが練習もあしたも集中できると思うし。俺も練習したいし」
今から戻れば、十八時くらいには家に着くだろう。ふたりともそれなりに練習はできるはずだし、みそらの時間を優先してもいい。
小野先生のダブルレッスンのことについては、みそらも知っていた。ただ受けるかどうかはさっき、ほんとうにさっき決めたので、それも黙って見守ってくれているみそらのことをありがたく、心強く思う。
たかが恋だけど、そこには音楽があるから。――
「三谷のご飯食べたいな。自分のレパートリーじゃ飽きちゃって」
「そう?」
「自分の手札の少なさにちょっとがっかりした。亮にも『家とおんなじ』って言われたし」
「……それ、褒め言葉なんじゃない?」
「そうかなあ」
みそらはぴんと来ていないようすだったけれど、実家の味をしっかり再現できているということだろうし、個人的にはみそらのつくるものも好きだ。――振り返れば、ちょっとした非日常だったな、と思う。発表会も含めて、大学生活の中にちょっとだけまぎれこんだ非日常。クイーンとナイトに主導権を握られた三日間。
疲れたけどおもしろかった、と思いながら窓の外を見る。一年でもっとも夜の長い季節、藍と茜の交わる稀有な時間が輝いている。
[クイーンの言い分、ナイトの気まぐれ 了]
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