6-2

(承前)


「寝起き問題だよ。ともくん、朝から元気なタイプだからさ、亮介りょうすけとしてはせめて寝るときくらい自由にさせてほしいっていうやつ」

 思わず弟に同情した。

「でもまあ、ともくん、ツインの部屋とか取ってそうな気もするけど。いつでも亮介引き込めるように」

「え、お金かかるんじゃない?」

「お金に余裕があるおうちなんだよ。親御さんもこっちの大学出てて、ある程度したら地元に戻るっていう、そういう家」

 ということは事業をやっている可能性が高いな、と思う。それと同時に、弟とその友人にとって今回のことは、ひと足早い卒業旅行みたいなものなんじゃないだろうかという気がしてきた。腐れ縁でお目付け役という言い方からも、今の話からも、二人がかなり仲がいいのは伝わってくる。卒業式が終わっても合格すればそれぞれに引っ越しの準備などがあるだろうから、今のうちに、と考えた可能性もある。卒業式から入学までのめまぐるしさは、経験しているからこそわかるというものだ。

「うえ」

 みそらが妙な声を出した。「ごめん、持ってもらっていい?」とアイスを渡される。どうやら両手で返信をするらしい。

「なんか……発表会、見に来たいって言ってる」

「え、いいんじゃない?」

「いいかなあ。合唱の耐性はそれなりにあると思うけど、ピアノってどうなのかな……」

 ひと様のご迷惑になるんじゃ、という心配の仕方はまさに家族特有のものだ。

葉子ようこ先生に確認したら?」

「そうする」

 うなずいて指を動かし、ふとその手をとめて「ひとくち」とみそらは言った。そのまま口元にアイスを持っていくと、みそらは一口かじって「ありがとう」と微笑み、すぐに返信作業に戻る。こういうやり取りや、ちょっとした表情、それに服装――今のみそらは冬用のあたたかそうなフリースに、脚にはしっかりとレッグウォーマーをしている。それでアイスを食べるのだからその温度差はどうなんだろうと思うけれど、それも近くにいないと見れないものだ。つくづく「付き合う」という一言の重みってすごい。

「『明日学校に確認してみるけど、たぶん大丈夫』だって」

 どうやらもう葉子からは返信が来たようで、みそらはすぐにそれを弟にまた伝えるべく指を動かす。

「もー、ほんとわがまま言うなあ」

 ぶつくさ言うとはこのことだ、と思ってまた笑ってしまうと、みそらが「なに」と言った。険のある言い方はたぶん恥ずかしさを隠すためだ。スマホをテーブルに置いたので、アイスを差し出すと「ありがとう」と言ってみそらは続きを食べ始めた。

「いや、『お姉ちゃん』してるんだなと思って」

「こっちにいたらあんまりしなくていいから楽なんだけどね」

「言うわりに楽しそうだよ」

「そうかな。……まあ、めんどいけど、悪くはないよね」

 膝を抱えて、みそらはつぶやいた。

「何かあったら助けあえる、とは思うよ。家族だから」

 ふと、みそらの家族は自分ほど近くはないのだ、ということを思い出す。移動時間だけみても、三谷みたにの三倍以上はかかるという。

「今度行くインターン先じゃなくても、こっちに決まったらそれを優先する?」

「うん?」

「就職」

「うん、するよ。選考受かって欲が出てきたのもあるし、木村先生のところには行けるようにしておきたいのはやっぱり変わらないし。まさかの葉子ちゃんの件もあるし。正直ちょっとは迷ってたけど」

 やっぱりそうなのか、と思った。地元、という場所への距離の違いは、なんとなく感じていたからだ。その考え方に溝があるというわけではない。ただ生まれ方が違うという、それだけだ。

 そんなことを考えいると、「それに」とみそらは言った。それから顔を寄せ、ゆっくりと口づけてくる。つめたいバニラの味と、あついみそらの唇の味がした。

「離れたくない、っていう理由は、だめかな」

 ちいさく付け加えるような言葉に、かすかに表情に不安げな色がまじる。そんな顔もはじめて見る、と思って、三谷はみそらの腰を引き寄せた。裸になったアイスの棒をそっと受け取ってテーブルの上に用意していたプレートに乗せると、カランと軽い音がする。

 大層な理由のひとつに自分が並んでしまって恐縮するような心地もするけれど、それ以上にそう思ってくれていることだけでもうれしかった。地元に戻ればそうかんたんに会えなくなるだろうというのはわかっていたし、でも同時にそうしないだろうという希望的観測もあった。それを先日の出来事が決定的にしたのだったら、それこそ葉子先生にも感謝しなくちゃいけない。

 舵を切り損なったら――いつかの江藤えとう先輩の言葉が頭をよぎる。それだけは避けないといけない。それは江藤先輩や葉子が教えてくれたものを裏切ることと同義な気がしていた。

「わたしが、ひとつひとつ肯定されていくみたいだった」――葉子がそう語ったのとおなじように、自分がいまここで「三谷夕季ゆうき」としてピアノを弾いているのも、みそらの伴奏をしているのも、先生たち、先輩たちのおかげでしかない。その積み重ねてきた時間――信頼を、裏切ることだけはゆるされない。なぜなら、そこには音楽があるから。音楽があるからだ。

 膝の上にある重みを感じながら、みそらの手を――ほんとうならきっと誰もふれることができない場所を――そっと自分の手で包み込み、今度はこちらから顔を寄せる。

 みそらの長いまつげが長い影をつくる。その影の色さえも肌に美しく映える、それに見とれながらそっと口づける。残りの時間に追われているのは、自分もおなじなのかもしれないと、みそらの温度を感じながら思った。

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