番外編 四の指がふるえる
1-1
最近、後輩がやたら色っぽい。という言い方をすると女子をイメージする人が多いかもしれないけれど、男子だ。一学年下の後輩の男子。恋をすれば色めいてくる、なんて、女子だけじゃなかったんだな、と思う。自分も恋をしている、はずなのだけれど、周りからどう見えているんだろう。――というのを、
でもまあ、みっちゃんは最初からそうだったっけ。はじめて会ったのは彼が一年生で、入学して間もない頃。初夏の、青空と緑が目にあざやかな時期だった。酷暑を予感させるものの、透明な光が降り注ぐ時期は、いつ見ても美しくて、この学校に合う季節だ、と思っていた。
その中でみっちゃんは――
その後輩に色気が増してきたのが、ここ最近のことだ。具体的には、たぶん、こないだの山本門下の演奏会あたり。きっかけもわかっている。自分も仲がいい、副科ピアノでの同門である後輩の山岡みそらだ。声楽専攻の生徒で、名前にたがわずきれいな子だ。きれいというよりも、かわいい、が似合うかもしれない。こちらも冬の清廉な山を思わせる透明度があって、うかつにふれるとその冷たさにやけどをしてしまいそうな部分も垣間見える。とはいえ普段はすごくとっつきやすい子で、その上で、自分ができること、できないことを正確に把握している聡明さが、そういった冬の山空を連想させるのかもしれない。それこそ
と、ここまで考えて、自分の観察眼というか、分析力に、我ながらきもいな、と思ってしまった。六花にも「颯太、人生何周目?」とか言われたことがあるけど、いや、それ言うなら六花こそ確実に二周目だろ、と思うし。それに比べたらみっちゃんはちゃんと一周目だと思う。いや、みんな一周目だろうけど。
みっちゃん――三谷夕季が泰然としてそうに見えるのは育ち方のおかげな気がするし、伴奏については人生一周目の、いい意味でのつたなさもあった。カンがいいから他の人より苦労しないのは確実だろうけど。それに、――そうそう、そもそもいつから色気が、って話だったけど、それで言うならやっぱり山岡さんの「ファン」発言からだった。
どうやら山岡みそらが自分とみっちゃんのファンらしい、というのは、それこそみっちゃんから聞いたことだ。大学院ではなく、外部生扱いになるディプロマ・コースを受ける、と聞いたときに、そう思っているのを打ち明けてくれたらしい。
ファンだなんて、最高の言葉すぎる、と思う。自分が実技も学科も頑張ってきた理由のひとつに、学費の減額というなんとも切ない目的があって、でもそれは未来を諦めないための選択でもあった。その結果としてみそらが「ファン」になってくれたのだというのなら、こんなに光栄なことはないのだと思うし、――それにはみっちゃんの力は不可欠だった。
そうだ、そうそう。自分がどう見られているかなんて、かんたんだった。「管の特待の人」。そうそうそれそれ。学費対策の後付けのスペック。これでだいたい通じるのだから、スペックというのは便利なものだ。
とにかく、また思考が遠回りしてしまったけれど、そんな三谷夕季は最近えろい。直接的にもう言っちゃうけど、えろい。雰囲気がえろい子ってたまにいるけど、芸能人とか。そういうやつだ。ぼんやりしているときなんかとくにそう。事後なんか、と思うけど、――そうならないからそうなっているわけで。つまり、山岡さんとの関係が進まない、いや正確には進めないから色っぽくなっているわけで。と思うと、なんとも難儀な子だと思う。これで大学を卒業すれば音楽の道はそこまで、というのだから、ほんとうに難儀だ。
「で、インターンっていつくらいから行くの?」
――と、これまでの言葉を飲み込んでそうとだけ言った颯太に、当の三谷は「うーん」と軽く首をひねった。
「ふつうの四大の友だちはもう、早かったら一年の後半とか、二年から行ってるみたいですけど。とりあえず冬季インターン募集に応募するので、うまくいけば年明けとか」
「そっかそっか。山岡さんもおんなじとこ?」
「べつじゃないですかね。やりたいこと違うんで」
しれっと言うなあ、と感心してしまう。事実を事実で切り分けるのがうまい。そういうところは葉子先生にも似ている、と思う。颯太はパイプ椅子の背もたれに腕をのせた。
「そんなにインターンやってる企業って多いんだ?」
「地方に比べたら断然多いですよ。企業がわにもメリットというか、
「ああ。それはどのジャンルでもおなじか」
たしかに、友人たちでもリクルートスーツを着ている姿を見かけることは多くなった。それまではゆるい格好ばっかりだったのにな、とめずらしく見れるのは、自分がそうしなくていいから――そうしなくていいようにしてきたからだ。
(1-2に続く)
※時系列としては第五章〜第六章の間、もしくは第六章の前半くらいだと思ってください。
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