9-2

(承前)


 音の余韻がホールからそっと優しくぬぐわれていくように消える。そうして、ゆっくりと、はっきりとした声で、「こんにちは」とみそらが言った。マイクを通さず、肉声のままだったけれど、それは小さくともしっかりとホールに広がった。

「つぎの曲は二重唱です。よかったらぜひ、いっしょに歌ってくださいね」

 愛らしい声が言うと、さすがに会場がざわめく。けれどみそらは気にせずにこりと笑ったようだった。髪にさしている花が傾いたので、そうだとわかる。それまでを見届けて、三谷は手早く譜面を入れ替え、すぐに演奏の体勢に入った。

 軽快な前奏の、たったの一小節。それなのに今度は会場が違うざわめきで揺れる。――知っている、と、空気が明るく揺れる。武島たけしま羽衣はごろも作詞、たき廉太郎れんたろう作曲、『花』。みそらが歌い出したのは、下のパートだった。


 ――春のうららの 隅田川

   のぼりくだりの船人が

   かいの しづくも 花と散る

   ながめを 何に たとふべき


 ざわ、と肌があわだつ。――観客側のためらいはほんのわずかだった。ホールから聞こえてきたのはメインの旋律だった。今までの二曲があるからか、昼公演を知っているからか、ためらいのない声も混じっている。古い――今では使わなくなった言い回し、けれど、うつくしい日本語が描きだす景色をホール全体が追っていくと、一コーラス目、そして二コーラス目となるにつれて、よりいっそうきれいな二重唱になっていく。このホールに入るの、何百人なんだけどな。恥じらいから控えめに歌っている人が多いだろうということを差し引いても、楽しそうな雰囲気は見ずともわかる。それに――みそらの声量のなんと豊かなことか。

 歌う観客は、きっとまるで二人で歌っているような、それでいて合唱のような心地よさにあるに違いない、と楽譜を追いながら思った。自分がそうだからだ。なつかしい、と思う。この感覚、まじで中学の音楽の時間の合唱だ。つい口元がゆるんでしまうのがわかる。伴奏も跳ねる。春のにおいを感じ取って、色の変化を感じて、刻一刻と変わる春の景色を楽しんでいる。


 ――錦おりなす 長堤に

   くるればのぼる おぼろ月

   げに一刻も千金の

   ながめを何に たとふべき


 すごい、と素直に思う。「たとふべき」の前のタメに、みそらがどういう動きをしたのかは、弾いているので確認できない。けれどもそのタメのあとの呼吸がそろったのだ。どうなってんだろう、あとで録画を確認させてもらおう、と心に刻みながら、軽やかに、きちんと伴奏の役割を終わらせる。間を置かずにすぐに拍手が聞こえた。それは自分たち――観客同士を讃え、ねぎらうものでもあるのは明白だった。ホールに響く音そのものが、みそらの声に導かれたように明るい。

「ありがとうございます。すごく素敵な歌声で、わたしも楽しかったです」

 あまりに可愛らしい声がそう言うものだから、観客席からすこし恥じらうようなざわめき、吐息が聞こえる。みそらは一度呼吸を整えたのか、すこしの間をあけて、「またいつかいっしょに歌ってくださいね」と告げた。

 曲間だ。観客がみそらの視線、所作からそれを読み取ると、ホールがまた静寂に包まれる。三谷がちらとその後ろ姿を見ると、そこにいたのはまた、ひとりの歌姫だった。高潔で、誰の手も取ることなく、ひとりで立ち、ひとりで道の先を見つめる歌姫。客席が自然にまた「観客」に戻るのがわかる。

 みそらはほんのちいさく、ほんのちいさく、会釈をするようにかすかに首を動かした。花がかすかに揺れる。それが合図だった。

 最初のいち音の重み、――そしてそこから言葉を引き出すようなピアノの前奏の難しさ――けれどそのすべてまでは観客につたわらなくても構わない。そこに山岡みそらという歌い手がいることがわかれば、それでいい――


 ――この道はいつか来た道

   ああ そうだよ

   あかしやの花が咲いてる


 北原きたはら白秋はくしゅう作詞、山田やまだ耕筰こうさく作曲、『この道』。日本歌曲に燦然と輝く組み合わせの、あまりにもうつくしい歌だ。


 ――あの丘はいつか見た丘

   ああ そうだよ

   ほら 白い時計台だよ


 二コーラス目は一コーラス目よりもすこし明るく、力強く。たとえ同じ旋律であっても、白秋の選ぶやさしい言葉であっても、一コーラスずつ、すべての景色に物語がある。その日本語に合わせるため、伴奏は拍子がめまぐるしく変わる。白秋の日本語を活かすためにとった山田耕筰の有名な手法だった。


 ――この道はいつか来た道

   ああ そうだよ

   お母さまと馬車で行ったよ


 三コーラス目は、ほんのすこしゆっくりと時間がすぎる。懐古する白秋の背中が見えるような時間。いつの間にか誰もがみそらに視線を奪われ、呼吸も奪われ、視界にそれぞれの景色が広がっているに違いない。日本歌曲のうつくしさと同時にある難しさをつめこんだこの曲に、誰もが聞き入っているのがわかる。見なくても、ホールの視線というものは舞台にいればわかるものだった。

 前奏と同じ、けれどかすかに弾き方を変えた間奏。容赦がないな、と思う。山田耕筰の、容赦のない、日本語をそのまま音にしろと言わんばかりのピアノの音の粒を、丁寧に、そして繊細に、ただの一瞬も気を抜くことなく演奏すると、――最後のコーラスに入る。


 ――あの雲もいつか見た雲

   ああ そうだよ

   山査子さんざしの枝も垂れてる


 ああ、の音はいつかの「トスカ」を思い出させる、細くて高い、そしてうつくしい線だった。一瞬の呼吸であっても途切れることのないうつくしいメロディ。ソフトペダルを使い、主旋律の邪魔をしないように、しかしその音がこの上なくうつくしく、西洋のものではなく、あくまで日本の音に聞こえるように――

 そして、歌と伴奏はともに消えた。静かな空間の中で数秒、ほんものの静寂がうまれる。そうして小さく、そしてゆっくりと、数秒をかけて大きくなった拍手がホールを満たす。

 かすかにみそらが後ろを振り向いた。ダリアの動きでそれを見て取り、三谷は立ち上がった。そうしてまた、一切のずれなく、お辞儀をする。――今度は、終わりの。

 顔を上げたみそらは、危うげのまったくない足取りで舞台袖へと歩いていく。その顔にいつもより大人びた、それでも愛らしいソプラノの笑みを見つけて、思わずこちらもつられて頬がゆるむ。なんて顔するんだ、ほんと、それでお辞儀するとか、ここが上品な女の人たちばかりでよかった、と思わず胸の中でつぶやく。入るときとおなじように、みそらの数歩あとを歩いて、――暗い袖へと戻ってきた。ほんの十数分の、命の戦いの場所から、くらくとも、やわらかく包まれるようなこの場所へと。


(9-3へ続く)

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