3-1
しめじと舞茸、それにほうれん草と豚のひき肉を炒めたものをメインに、味噌汁には豆腐と油揚げ、加えて昨晩の残りを少し引っ張り出す。手早くできるもの、かつ、できれば和食で体に負担がかからないもの、というラインナップは、この生活を続けるようになって一ヶ月ほど経つけれど変わらなかった。
よそったものをプレートに載せ、あとは部屋に持っていくだけだ。みそらはキッチン兼廊下、そこにつながるドアをそっと開けた。とたんに扉で蓋をされていた音が一気に体に流れ込んでくる。――リストの『森のささやき』。
五分にも満たない非常に短い曲だけれど、ロマン派らしい詩情あふれる小品だ。繊細で、なおかつ中間部からは一気に天気が変わるように低音がうなりだす。不穏な色をまといながら景色が移ろい、オクターブで一気に下降し、打鍵する。その中に一瞬陽の光を見た気がし――
そしてまた再現部では明るく、しかし最初よりも力強い音で旋律が紡がれていく。――この曲を聞くと、ショパンよりさらに、ピアノが男性に向けて作られた楽器だということを痛感する。このようなデュナーミク――音の強弱、というよりも「音の波」を作れるのは、女性よりも強靭な筋肉をもつ男性ならではだろう。
また高音が葉ずれのように、陽の光がこぼれるようにきらめいて――そして曲は閉じた。
倍音がかすかに部屋に残り、その残り香も消えたころ、ふっと
「あ、ごめん、できた?」
「うん。持ってきていい? まだもうちょっとやる?」
ドアからのぞき込むような姿勢になっているみそらに、三谷は首を横に振って「大丈夫」と言った。みそらはそれにつられるように微笑みながらうなずいて、もう一度キッチンに戻った。
「さっきの中間部、昨日聞いたのよりなんだか音がクリアになったね。なんか変えた?」
「まじ?」
みそらからトレイを受け取り、三谷は驚いたように目を丸くした。
「昨日あのあと、ちょっと姿勢とかアタックの仕方とか調整したけど――そんなにわかりやすかった?」
「わかりやすい……というわけじゃないと思うけど……」
と言ってみそらは首をかしげた。部屋に入り、ドアを閉める。ひんやりとした廊下の空気が遠くに消える。
「音の抜けがよくなったなと思った。昨日聞いてたからだと思うけど……天気とかもそんなに変わってないから、やっぱり弾き方かなと」
「それだけでよくわかるよね」
三谷の声には純粋に感心の色がにじんでいた。
「やっぱ耳がいいんだよな。すんごい微妙なニュアンスを突いてくるというか」
「そうだっけなあ……」
何度か言われた言葉だけれど、相変わらずあまり自覚はない。一人暮らし用のこぢんまりとしたテーブルがラグの上にある。
「こないだ二歳になる頃には、もうまねして歌ってたって言ってたじゃん。あれやっぱ耳がよくないとできないよ」
「って言ってもわたしはそんなに記憶ないんだよ……」
言いながらテーブルに食事を並べていく。二人分なのですぐに終わる。そしてほぼ同時にみそらと三谷は手をあわせて、「いただきます」と言った。味噌汁で喉と体をうるおし、炒めものを口に運ぶ。きのこの食感もさることながら。隠し味として入れた生姜のぴりりと引き締まる味わいが効いていて、練習後の体に旨味がしみわたるのがわかる。白米だけじゃなくて玄米などが混じった雑穀米を提案していてよかった、とみそらはしみじみ思った。これで体重が維持できているのだから、雑穀米の功績は大きい。
三谷と夕飯をいっしょに食べるようになったのは、先月の
学校の生徒が暮らしているマンションは、学校と提携した防音つきの物件ばかりだ。とはいえ、どの物件もおおよそ二十二時、もしくは二十三時を夜間練習の上限としている。その中で伴奏合わせや夕飯の準備といった家事などの時間を入れると、じつは学生に残された時間はあまりない。
練習棟だっていつでも確保できるわけではないのだし、たしかに効率を考えるといい案だと思った。それに今までだって週に何度かはそういう日もあって、食費が以前と比べて抑えられているエビデンスもあるんだし――と、一瞬のうちにそれらしい言い訳を考えて、みそらは提案を受け入れた。いつもどおりの顔ができていたかはわからないけれど、コーヒーショップの落ち着いた色合いが顔色をうまくごまかしてくれていたことを願うしかない。
先輩の演奏会が終われば、すぐに自分たちも出演する学内選抜演奏会の予選、先輩のディプロマ・コースの試験、そして次に控えるのは無事に受かった学内選抜演奏会の本番と、イベントもめじろ押しだったので、今のところは土日も含めてほとんど同じ時間を過ごしている。うまくいきすぎなんじゃないか、と思う反面、それを「効率がいい」という意味以外で三谷に言うことはできなかった。友だちからは「なんでそれで付き合ってないの」と言われる回数が増えたけれど、――事実付き合ってないのだから、と思う。
「やっぱ今週、きのこにしといて正解だったなー」
今週の安売り商品だったとはいえ、三谷のつぶやきにはみそらも深々とうなずいた。
「時期のものにかなうものはないよね」
季節のうつろいとともに、スーパーで見かける食材も変化を感じるようになった。ひとりではつい安くて使い勝手がよく、長持ちしたり、調理しやすいものを選びがちだったけれど、二人分になるともうすこし料理の幅が広がるのも、純粋にうれしかった。三谷とは出身地が違うので味付けも変わる。それもまたおもしろかった。
先ほどのインターンのこと、
(3-2に続く)
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