10
演奏会の終了は十七時過ぎで、それから各関係者への挨拶、そして楽屋の片付けが終わって撤収にこぎつけたのはそれからさらに一時間ほど経ってからだった。そのまま予約していた店へ全員で移動し、反省会を兼ねた食事会になった。
一番お酒に手を出していたのはソロをやった
翌日が仕事、もしくは学校というメンバーが多く、櫻井さんはまだ飲みたがっていたけれど二十時ごろには解散になった。全員で駅へ向かってぶらぶらと歩いていく。日曜の駅前はまだ人が多い。この中で今日この近くで演奏会があったことを知っているのはどれほどいるのだろうと、ふとそんなことを思う。
「山岡さんには連絡した?」
いつもの黒い楽器ケースと、今日は紙袋に入った花束を持った
「はい」
「何の用事? って聞いていいかな」
「今日の感想聞こうと思って。とくに伴奏の」
「なるほど」
あっけらかんとうなずいて、「あのさ」と先輩は言った。
「俺と山岡さんって、ライバルだったみたい」
人混みの雑音で聞き間違えたのかと思った。
「……何の話ですか?」
「詳しいことは本人の了承がないと言えないから今はやめとくけど、つまるところ俺も山岡さんも、みっちゃんの伴奏が大好きなんだよ。みっちゃんが自覚してる以上に」
先輩は屈託なく笑う。
「山岡さんも一般就職希望なんだっけ?」
「そうですね」
みそらの前の伴奏者であり、自分の同級生でもある諸田
「そっか。もったいないなと思うけど、もったいないって思うのはこっちのエゴだしね。続けてればまた、どこかでなんかあるかもしれないし」
そのエゴという言いまわしを、葉子も使っていたと思い出す。葉子も先輩も、一般就職の道を否定するような言葉を使うことや、音楽関係への道との違いにふれるようなことは一度もなかった。
「でもたぶん、ていうか俺の感覚では絶対なんだけど、みっちゃんがいたらきっと続けてくれるよ」
あまりにも断定的――というか、当たり前のことのような口ぶりに、三谷は思わず首をひねった。
「――そうですか?」
「そうだよ。誰だって自分のために音楽をやってるけど、同じフィールドで手をつないでる人がいたほうが誰だって続けやすいと思うもん。さっきのは山岡さんにとってみっちゃんはそういう人だってことも含めてるよ」
さっきのというのはライバルの話のことだろう。先輩の言葉はいたずらめいてはぐらかすような部分もあるけれど、それ以上に示唆に富んでいる。――と思って気づく。そうか、やっぱり先輩も葉子先生に似ているんだ。
駅に着くと、めいめいが何線に乗るだの、どちら方面だのと口にしながらICカードなどを取り出し始める。先輩は明日の授業はないらしく実家に戻るということなので、学校方面のホームに行くのは三谷だけになった。戻るのなら、楽器はともかく花束は家族にあずけてしまえば楽だったろうに、と思うけれど、誰からもらったものなのかを知っているので気持ちがわからないわけでもない。
櫻井さんや浜田さんが「またね」と言う。こちらからも「またお願いします」と返しながら、またはいつかなと思う。卑屈になっているとかではなく、普通に「いつなんだろう」と思っている自分に気づいて――さっきの先輩の言葉に感化されているのだろうか。
「みっちゃん」
改札を抜けて左右に分かれるところで、先輩が呼んだ。先に行ったと思っていたのに――行き交う人を背にして、楽器と花束を持って立っている先輩は、舞台の上と同じくらい目を惹いた。
「予言しとくよ。きっとみっちゃんはこれから先、卒業してもずっと山岡さんと一緒にいるよ。だからさっさと告りなよ、俺はちゃんとやったんだから」
思わずぎょっとした。周りに人がいるのにそんなこと――と思ったけれど、誰も気にしていなかったし、そもそも先輩は「俺は」の対象が誰なのかまでを言ったわけじゃなかった。――自分が知っているから勝手に動揺しただけだ。しかもその隙をつくように、「じゃーね、また合わせで」と先輩はさっさと反対側のエスカレータへと流れていった。
「まじ自由……」
無意識につぶやいていて、思わず息をつく。だから四年連続で特待生、なんて恐ろしいことができるんだよな、と思う。技術に対する努力もそうだけれど、心がしなやかだから音楽で生きていける。
でも、そんな先輩でも「誰かがいれば」なんて思うのかと、そこに妙に関心してしまった。はっきりとは聞いていないけれど、先輩の思いが悪い方向に行っていないことは、なんとなくわかる。それこそほとんど毎日顔を合わせているからこそわかるものはあるのだ。
自分もエスカレータでホームに向かいながら、そういえばと放っておいたスマホを取り出した。祖母から『今日のコンサート行きたかったけど、
一番あたらしいメッセージは、『ごめん! いまかくにんした!』というものだった。『いま駅出た電車に乗っちゃった。そっちは?』と続く。――送信時刻はほんの数分前だ。つぎの電車はいつだろう、と思った瞬間、駅のアナウンスが列車の到着を告げる。日曜のこの時間はまだ本数が多い。
『もしかしたらそのつぎの電車に乗るかも』
と送ると、すぐに『了解』というスタンプが来る。列車が入ってくる風圧で髪が揺れるのを感じながら、三谷はスマホをしまった。
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