10

 久しぶりに『水に映る影』を弾くと、実家の景色が思い出された。その頃ピアノはお座敷のとなりにあり、練習しているとよく祖母がお経を上げる声が聞こえたものだった。

 そんな雑音とも呼べない雑多な音の中で過ごしてきたためか、三谷夕季ゆうきの中では楽器の区分はもとより、ポップスやクラシック、民族音楽などというジャンル的なボーダーもあまり関係がないようだった。読経の声、葉ずれの音、車のエンジン音、水の流れる音、靴音、話し声……いずれも彼の中では音楽という大きな枠内にある。

 もちろん、クラシック音楽、その中でもピアノを主軸として学んでいることはしっかりと自覚している。ただ、ジャンルが何であろうといいものはいいし、悪いものは悪い。それだけのことだ。

 そういう考えだからこそ伴奏にもまったく抵抗がない。専攻以外の楽器について学ぶところがあり、自分の演奏にも還元できるという点に関してはみそらに大いに同意している。練習時間の逼迫というデメリットも、時間をコントロールすることで対応を取ればいい。――慢心しているわけではない、と三谷は日に何度も自分を戒める。

 江藤颯太そうたの特待生選抜試験で良い目が出たからといって慢心しているつもりはない。そう感じている生徒もいるだろうけれど、それに対して意見をするなら実力で、と思っているだけだ。

 おそらく、適性もあるのだと思う。伴奏を多く抱えていることが苦痛ではない。これもまた才能――神様からの贈り物だと、彼の担当講師である羽田はねだ葉子ようこは言った。

 みっちゃん、それはギフトだから本当に大切にしなさいね。たくさんの人に愛される才能だよ。

 でも本当に「ギフト」なのは、葉子先生や江藤先輩や、そもそもこの学校に行くことに気づかせてくれた祖母なのではないかと三谷夕季は思う。

 高二のはじめあたりまではまったく、進路に音大の文字はなかった。しかしある日、祖母が「夕季は大学ではピアノをやらないの」と言って気づいたのだ。

 そうか、このまま大学を選ぶということは、音楽を少なからず捨てることなのだ。

 堅実で現実的なのはこのまま音楽をやめることだった。趣味にして、学びとしては別のものを選択する。――そう思った時、はじめて小さな恐怖を覚えた。

 進学校にいて、練習時間もおそらく音楽高校にいる生徒とは比較にならない、そんなことは理解していると思っていたのに、そこではじめて自分の手を愛おしく思った。

 ただ、進学校なだけになかなか周囲の理解は得られなかった。高校の先生や友人にその反応が顕著だったのは、家族と違って彼が弾いている姿を日常的に見ていないからだと思えた。そのため夏休み・冬休みに行われる講習会などにもろくに参加できなかったのだけれど、祖母はよく笑いながら「大丈夫だから、行ってみなさい」と言っていた。

 講習会は、言ってみれば顔合わせのようなものだ。この大学に入りたい、もしくはこの先生に師事したいという生徒の意思と、講師側の意見をすり合わせる。それをやれなかった時点で自分は出遅れているとは自覚していた。

 けれど、入試の試験官であった小野教授が自分の演奏を気に入ってくれた。さまざまな制約があったために直弟子である羽田葉子が担当することとなったが、おそらくそれも吉と出た。門下というシステムや、伴奏の楽しさを万遍なく、生徒に近い目線で教えてもらい、ここまで成長させてもらっている。

 ――すごいね、あんなに世界があざやかに変わるの、初めて見た。

 入学してすぐの合同発表会の時、山岡みそらがそう言ったのをいまだにはっきりと覚えている。

 伴奏もソロもぜんぜん違うのに、どっちもちゃんと三谷の音楽なんだね。

 それまで挨拶程度しか喋っていなかったのに、感想が明け透けにすぎる、と内心呆気にとられたのが記憶に焼き付いたおもな理由だが、嫌な気はまったくしなかった。と同時に、なるほどこれが「ソプラノ」という人種かと納得した。何人かから伴奏をしてくれないかと声をかけられていることを相談すると、嬉しそうに「おもしろいからやってみなよ」と葉子がよく言っていたが、なるほどと感じ入ったのはこの時だったし、――たぶん、思い返せばこの頃から、やってみたかったのだと思う。彼女の伴奏を。

 ピアノとはまったく違う、この気の強い歌い手を、自分の伴奏で引き上げられたら。それはどんなに価値のあることだろう。

 そう思っている最中、だんだんとみそらから「ソプラノらしさ」がこぼれ落ちていくのを見ているのは正直腹立たしかった。

 気高く、美しく、誰にも媚びず、視線ひとつ、背筋のライン、そして自分の声で誰かを振り向かせるのがソプラノのはずだ――あのミミのように。

 たとえば、ブレスが合わなかったとき。声と伴奏のバランスが狂い、音が溶け合わなかったとき。解釈のズレから強弱のタイミングが合わなかったとき。

 そういったときの彼女はまるであざやかな焔をまとっているように見えた。瞳は苛烈なまでに輝いて、妥協を許さず、一音の残響にまで厳しい。自分を求める卑劣さに対して衝動的にナイフを取ったトスカの苛烈さと、それを神に悔いるようすは、自分の身を焦がしてまで歌い、その音をこよなく愛するみそら本人とリンクする。三十から四十代の歌手が歌うことから勘違いされがちだが、トスカは二十歳そこそこの、大人と言うにはあまりにも幼い女性という設定だ。キャラクターの再現という面から見ても、今のみそらに歌えておかしくはないと思えた。

 あの門下生発表会の日、狙って言ったわけではなかった。ただ本当に腹立たしかったのだ――山岡みそらを活かしきれない伴奏と、それをただ見ていることしかしなかった自分に。

 結果的にみそらがすぐに動いて、たまたま自分の伴奏に余裕があったタイミングだったというだけだ。でも、あの言葉は嘘じゃない。

 昨年秋の学内選抜、そこで演奏されたミミを聴いて、正直魅了されたのだと思う。自分の中の何かがあの音に反応した。友人だからとか、そういう情みたいなのを超えて、ただ音楽で繋がりたいと、そう素直に思えた。もしこれが葉子の言うどうしようもない時だというのなら、それに乗ってみてもいいと思った。

 ひたすらに学んで還元して高めていく江藤颯太の伴奏ではなく、自分が求めるものを見つけられるのがあのミミだったような気がしたから、だから――

 あれ、本当になんだかエゴだったな。三谷はみそらとのやり取りを思い出しながらちょっと反省した。葉子にこれを言ったらどんな反応が返ってくるかわからない。黙っておこう。

 それにしても、今日の山岡は本当にソプラノというキャラクターそのものだった。

 部屋に入ってきた時には、まるで重い服を脱ぎ捨てたかのように、彼女の雰囲気が軽やかに、鋭くなったのがわかった。まなざしは負けん気とプライドにあふれていて、それこそまさにトスカのようだと思えた。気位が高く、自分の思うようにならないことには容赦なく、それでいて傷つきやすい――そんなミラノの歌姫。

 ふと思い出して、座っているピアノ椅子の隅に置いていたスマホを手にして、音楽プレーヤーを立ち上げる。ある曲を呼び出して、だが彼はそれを再生しなかった。

 たぶん今聞くなら、山岡みそらの音ではないとだめなんだろう。そんな気がして、そのままそっと、スマホの画面をスリープにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る