中学生編

変わるきっかけ 前編

 中学二年生になった神宮朱莉は去年と同じようにクラスメイトと距離を置き、必要最低限の関わりしか持たないつもりだった。


 小学生のころ明るかった朱莉は一転して、愛想の欠片もない冷ややかともとれる表情を張り付けていた。黒いメガネは朱莉にとって重要なものだ。

 腰までの長い髪を高めの位置でポニーテールにしている。


 誰かを特別に思うことは嫌い。

 中学校に入学して一年経とうとそれに変化はなく、他者とのつながりでさえ避けていた。


 四月下旬の席替えの日。

 クラスメイトが騒々しくはしゃいでいたが、私はどうでもよくて机に頬杖をついたまま黒板に席順が発表されるのを眺めていた。


 廊下側からも、前からも二列目の席。あまり目立たなそうな位置だ。

 席を移動して着席すると、右隣の席に着いた男子が挨拶をしてきた。それに返事をして私はまた頬杖をつく。


 正直、彼の隣の席は私にとって最悪だった。

 彼──日向和輝は、持ち前の明るさでクラスのムードメーカー的存在に位置している。

 それだけなら良かったのだが……。


 日向は次の休み時間も話しかけてきた。

 何を読んでいるのか、何が好きなのか、どうでもいいであろう私の情報を聞き出そそうとしてくる。

 私は端的に答えていれば、向こうが勝手に飽きるだろうと思っていた。


 でも、日向はしつこかった。それが何度も続くと五時間目の授業時には我慢できなくなっていた。

 日向のせいで周りからの視線も痛かった。


 五時間目は班で活動する時間のため、自由に喋れる時間でもあった。普段、家族以外にまともに会話をしてこなかったせいか、感情を表に出さないように話すのが苦痛に感じる。

 黒縁のメガネを中指で押し上げて掛け直す。


「なんで私に話しかけるの? つまらないでしょ? 私と話さない方がいいよ」


 日向の言葉を遮り、思い切り突き放した。波を立てずに話しかけてくれる相手に対して、この態度は我ながら酷いとは思う。心の隅にある小さな良心は痛むが、吐いてしまえば気が楽になった。

 これで彼は私を嫌うだろう。もう一人の時間は邪魔されない。

 そう思っていたのに……。


「なんで?」


 日向は心底不思議そうだった。

 予想だにしない返答に一瞬思考が停止した。


「なんでって、……。皆、私には話しかけないでしょ? 日向くんの評判が悪くなるよ」

「俺の評判? 他の人は関係なくない? 俺は神宮と仲良くなりたい」

「えっ?」


 意味が分からなかった。皆が避けている人と仲良くしたいなんて、八方美人もいいところだ。どうせ上っ面だけに決まっている。


 小学校の六年間、私には仲の良い女友達がいた。でも、そう思っていたのは私だけだった。彼女は『私たちは親友だよ』と保険をかけておきながら、私の陰口を叩いていたではないか。

 どうせ日向も同じだ。


 無性に腹が立った。でも、どこか喜んでいる自分もいた。

 自分からはあれど、仲良くなりたいとそんなことを言われたのは初めてだった。

 拒絶すべきなのに言葉を出せず、唇を真一文字に引き結んだ。


「なんで神宮は笑わないの?」

「どうでもいいでしょ」

「きっと、笑った方が可愛いよ」


 不思議と嫌味な感じはしなかった。

 笑ったところなんて見たこともないだろうに何を言っているんだ、この男は。

 少女漫画にでも出てきそうな軽いセリフ。

 不快感はなく、普通なら恥ずかしいであろうセリフを朗らかな笑顔で言う彼を面白いと感じた。

 日向はおかしな人だ。


「ふ、ふふっ」


 気づいた時には頬が緩んで笑い声がこぼれてしまっていた。


「神宮さんが笑ってる!」


 ふつうに失礼なのだが、近くにいた班員たちが驚いているのすら愉快だった。


「ほら、やっぱり笑った方が可愛い!」


 楽しそうに笑う日向。

 胸がきゅっと締め付けられた気がした。あまりにも笑いが収まらないので口元を右手の甲でおさえた。


「何言ってんのさ、もー」


 本当におかしな人だ。

 こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。以前より笑いのツボが浅くなっているのかもしれない。


「神宮さんって、意外と笑うんだね!? 部活でもいつも真顔だからさあ」

「うんうん! もっと笑った方がいいよ~!! ねえ?」

「だよね! 絶対その方が話しやすい!」


 ピエロ的存在か遠巻きにされるかと思いきや、同じ班の女子からは好意的な態度に見えたようだ。

 どこか吹っ切れた私は余計なことを考えずに彼女たちと会話をした。


 本当にいつぶりだろう。

 帰りの会が終わるころにはちょっと頬が疲れていた。

 でも、嫌じゃなかった。むしろ、その疲れは嬉しいものだった。


 いつも憂鬱だった明日が楽しみになった。


 それから、私はクラスの輪に溶け込めるようになった。

 クラスメイトの中で仲のいいグループもできた。


 一人の時間は減ったけれど、とても有意義な時間を過ごせるようになったと思う。


 時が順調に進む中、私は日向のことが気になっていた。

 何度も話している内に、同じ学校で過ごす内に分かったことがある。


 彼は素直な人だ。どんな見た目だろうと平等に笑顔で話しかける明るくて優しい人。

 他人にも、部活にも、学習面にも実直でまっすぐな人だ。

 ただ裏表のないところがたまに傷らしい。


 彼は相変わらず普通に接してくれるが、ごくたまに話す程度になってしまっていた。

 日向はいつも人に囲まれていて、雲の上のような存在だ。私なんかじゃ、釣り合わない。


 自分から話しかけるのも意外と勇気がいるもので、彼と話すときはなぜか妙に緊張した。

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