変わるきっかけ 後編

 二学期も終盤。

 朱莉は順調に友好関係を築き上げ、それなりに充実した学校生活を送っていた。


 寒々とした十二月上旬。ある日の放課後、朱莉はちょうど人気のない廊下で呼び止められた。

 振り向いてみるとそこには、同じクラスの男子──岐土大地がいた。


 売り言葉に買い言葉で私とは相性が悪い男子だ。岐土は日向和輝と同じ部活で、日向とは気安い仲のように見える。

 何を言われるのかは知らないが、どうせ私に対する不平不満だろうと身構えて彼を見上げた。


「神宮って、あいつのこと好きなの?」

「はっ? すき? あいつ??」


 急に何の話かと素っ頓狂な声を上げ、馬鹿みたいにおうむ返しをしてしまった。

 探るように見てくる岐土に私は首を捻る。


 『あいつ』とは、日向のことだろうかとすぐに思い浮かんだ。


(好き? 好き? 日向を、好き……?)


 そう頭の中で反芻して、やっと吞み込めた。

 あれ、もしかして、と惑いながらも、顔に熱が集まるのを自覚した。


「なっ、何言ってんのよ、好きなわけないじゃん!」


 口をついたのは否定の言葉だった。

 好きだなんてあり得ない。特別な感情を持つことすらあってはいけない。

 だが、『あいつ』ですぐに日向が出てくる時点で意識していることくらい自分でも分かる。


 最悪だ。


「あいつのことよく見てるよな」

「見てないから! てか、岐土には関係ないでしょ?」


 落ち着きを払ったつもりだが、微妙に声が上ずってしまった。

 そのままいれば目の前にいる男子に揶揄されるような気がして、部活の活動場所に行こうと身を翻えしたのだが。


「関係、はないけど。あいつが可哀想だろ。お前に好かれるとかさ」

「うっ、その通りだけど……。余計なお世話だよ。岐土ってほんと失礼ね」


 このまま流すと負けな気がして、つい反応してしまった。


 私なんかに好かれても可哀想なだけ。言われなくても分かってる。

 顔も可愛くなければ、性格だって良くはない。

 そもそも第一印象が酷すぎたのだ。


 こんな冷たい奴に好意を持たれても嬉しいものでもなかろう。


「告るなよ、あいつに」

「もともと告る気ない」

「ならいいけど」

「はあ?」


 岐土は右手で首の後ろを抑えて私から視線をそらした。


 さっきからなんなんだ。牽制しようとする岐土にむかつきを覚えてしまう。


 告白しないことがいいって? そんなこと岐土に言われなくても十分承知している。

 どうせ振られるに決まっている。負けが確定している戦だ。

 日向を困らせるようなことはしたくない。


 告白する気なんか毛頭ない。

 声に出したことが自分に言い聞かせる意味合いにもなっていた。


「あいつに振られなくてよかったな」

「はあ、モテそうだもんね。岐土も後輩からラブレターを貰ったとか聞いたよ。おモテになるんですねえ?」


 私にとってどうでもいい話だが、話題を逸らすにはちょうど良く、わざと煽るように語尾を上げた。


「まあ」

「なんて返したの?」

「断った」

「そう。なんで? 何で断ったの? 可愛い子だって聞いたよ?」


 男女の色恋沙汰への好奇心から私は食い気味に質問をした。

 他人の恋バナは、自分のよりも美味しいものなのだ。五月頃の宿泊学習のときにその味を知ってから、たまに女友達の恋バナを聞いては会話に花を咲かせていた。


 友達でもないのに軽率に踏み込んでしまったかと少し心配するが、岐土は嫌そうな顔をしていなかった。


「好きじゃない子とは付き合いたくない」

「へえ、意外と真面目なんだね。好きな子いるの?」


 岐土は、「えっ」と驚いたたように短く声を上げた。

 この様子はいる感じかな、と恋愛経験がないに等しい頭で考える。

 彼は何か言おうとしたけれど、廊下の先から飛んでくる高い声が遮った。


「朱莉ー!! 部活いこー!」

「あっ、うんー!!」


 別れの挨拶をする仲でもないので、私は岐土に軽く会釈して友達の方に向かった。

 結局、仲のいい友人達にも私に好きな人がいることは明白だったらしい。語尾が曖昧なのは、私が認めたくないからだ。


 岐土に気付かされたのも癪だが、片想い自体は楽しくも感じた。

 教室で日向の陽気な姿も、たまに部活中の快活な姿を見れたことも、心が弾む要因だった。


 ただ不本意なことが一つ。

 以前より更に緊張してしまい、意識せずに彼と話せなくなってしまった。一言二言は話せるが、言葉に迷ってしまい、会話が続くような返事をうまくできなかった。


 三学期の終わり間近。

 友達が手回しをして背中を押してくれたにも関わらず、告白はできなかった。


 元より、私は告白する気がなかった。振られて、これ以上疎遠になるのが嫌だった。噂が広まって、周りの目が変化するかもしれないとも予想ができて不安だった。せっかく築き上げた世界が壊れる危険性を伴いたくなかった。

 つまり、私の意思とは関係なく、用意された舞台で適したパフォーマンスなんてできるわけがなかったのだ。


 友人の行為は勝手だとも思うけど、同時に申し訳なく、勇気の持てない自分が情けない。


 気持ちを伝えることはできなかったが、大きな収穫はあった。


 日向のおかげで『今』が楽しくなった。常に必須だった黒縁のメガネも、本来の用途で用いるようになり、かけている時間も減った。私にとって、メガネは他者との間に形成した壁だった。

 彼のおかげで前と同じとはいかないけれど、本来の私を取り戻せたように思う。


 好きというよりも感謝の方が大きいのかもしれない。みんながみんな同じ価値観ではないのだ。

 あの時、彼の隣の席になれたのは幸運だった。



 きっと彼にとっては些細な一言だった。

 日向は覚えていないだろうが、何年経とうと朱莉にとっては自身の人生に影響を与えた大切な想い出として心に残っている。


 私を笑顔にしてくれたたように、いつでもどこでも彼が笑顔でいてくれたらいい。


 誰かを特別に想うことも悪くはないのかもしれない。

 ちょっとだけ、そう思えた。

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