ビターチョコレート

朱ねこ

小学生編

ビターチョコレート

 これはほろ苦くも忘れられない私の物語。


「よーし! 綺麗にできた!! みんな喜んでくれるかな」


 ハートの型に入れたチョコレートを可愛いクマさんの袋でラッピングして目の前に掲げてみる。


 今日はバレンタイン。

 毎年チョコレートを湯煎で溶かしてハートの型に丁寧に流し込む。

 前夜に固めておいて当日はラッピングをして日頃の感謝を込めて配りに行く。


「朱莉、俺のは?」


 ちらりと後ろから弟が覗いてきた。一個下で小ニの弟だ。

 甘い香りに誘われたのか、小腹が減ったのか、お腹をさすっている。


「あるよ! はい、どうぞ」


 上手に仕上がって機嫌がいい私はラッピングしたチョコを弟に渡す。


「おー」

「ありがとうくらい言ってよ」


 適当に返事をする弟に若干のむかつきを覚えながらも小さめのバッグにチョコレートの袋を入れて外に出た。


 どの家から回るかは決まっている。

 同じ階の男子は毎年手作りチョコを渡してくれるから最後にしよう。


 私はマンションの四階に住んでいて、一番遠い一階から順々に友達の家を回っていく。


 このマンションには同学年の子が六人いて、そのうち五人は幼稚園に入る前からの仲。

 恐ろしいことに四人が男子。女子も一人いるけれど、保育園に通っていた子なのであまり遊んだことはない。

 放課後はよく弟を入れたお馴染みのメンバーで家や公園でゲームをしたり、サッカーをしたりして遊んでいた。


 インターホンを鳴らすと私の母と同い年の女性が出てきて、私はチョコを二個差し出す。


「こんにちは!! バレンタイン なのでチョコ持ってきました! 龍星と悠くんに!」

「あら、今年もありがとうね! 龍星! 朱莉ちゃんが来たからお返し持ってきて!」


 女性が後ろを振り向いて呼ぶと、ドタバタと騒がしい音を立てて男子が紙袋を持ってくる。

 どこにあるのか分からなかったのかなと小首を傾げて、涼しい顔をした龍星を見る。


「ん、ありがと」


 ぶっきらぼうに紙袋を渡されたけど、いつものことなので私は笑顔で受け取った。

 龍星は元々棘のある性格だが世話焼きだから、たぶん龍星に悪気はない。


「これ龍星も一緒にえらんだのよ。家族で食べてね」

「ありがとうございます! 母も弟も喜ぶと思います!」


 毎年ホワイトデーに返してくれるのに今年は用意されていたことに驚いた。この大きさの缶ならクッキーだろうか。

 そんなことを考えて私はその家を後にした。


 最後に、私の家と同じ階の男子の家のインターホンを少し緊張しながら押すとその子のお母さんが出た。

 私の母よりは若く、ママ友の中でも最年少らしい。


 さっきと同じように元気よく挨拶をして残りのチョコを渡した。


「毎年ありがとね、朱莉ちゃん! これ、お返し。春が作ってラッピングしたものだからね!」


 苺のような紅色のリボンで装飾されている薄い桜色の箱を両手で受け取って胸に抱く。

 手作りを貰えて心が弾み、自然と頬が緩んだ。


 春くんは他の男子とは違って落ち着きがあって穏やかだ。男子にしては可愛らしすぎるラッピングも春くんらしい。


「ありがとうございます! 春くんは?」


 ちらりと部屋の中を覗いてみる。ここから見えるリビングにはいないようだ。

 いるのならお礼を言いたいんだけどな、なんて考えていたのだけど。


「春ならチョコを詰めてるわ。これから女の子と交換しに行くの」

「えっ……。女の子?」

「そうなの。目の前の家の」


 私は唖然として言葉が見つからなかった。


 ──私以外にもチョコを春くんに渡す女子がいたんだ。

 そっか……、春くんは他の男子と違って優しいし、話していて居心地が良いもんなぁ。


 女子の名前も言っていた気がするけれど、動揺していた私の耳には入らず、春くんに女子の友達がいることに何とも言えない切なさを感じていた。


 話が途切れたやいなや、私は笑顔を作って出来るだけ明るい声を出した。


「そうなんですね。じゃあ、私は帰ります! ありがとうって春くんに伝えておいてください!」

「ええ、また遊びに来てね!」

「はい!」


 聞いていられなかった。

 他の女子のためにチョコを用意する話を聞いて、私の胸は薄暗い感情で押し潰されそうだった。


 自分の家の前まで来ると家に入る気になれずしゃがみ込んだ。



 小学生になると、男子と女子の間には見えない境界線が少しずつ引かれていく。

 年齢が上がるにつれて、お前は〇〇が好きなのかよー、みたいな恋愛話をすることが徐々に増えて、男女が一緒にいることに恥ずかしさを覚えてきた。

 最近はそんな波に呑まれて遊ぶ回数だって減っている。辛うじて遊べているのは弟がいるからだろう。


 親や女友達に聞かれるたびに私はいつもこう答えていた。


『いないよ! みんな同じくらい好きだから恋とかじゃないよ。恋と友情の違いって分かんないもん』


 頑なに否定する私に母は『お父さんのことまだ引きずっているのかしら』なんていつも呟いて、私は聞こえないふりをして無視していた。



 少しの時間が経って、私はどうしようもなく気になって廊下から駐車場を見下ろす。

 駐車場の真ん中あたり。見えやすい位置に春と春の母と女子とその子の母親であろう女性がいた。


 でも、私は目が悪いからぼんやりとしか見えず、相手の顔がはっきりと分からない。


 目が悪くなってきていたことに若干の不便さを感じていたけれど、初めて目が悪いことを良かったと思った。


(私にはしなかったのにあの子には手渡しなんだ……)


 胸が締め付けられたように苦しくて、目の前が薄い涙で更にぼやけてくる。

 彼が私以外の女子と仲良くしているところなんて見たことがなかった。


「……私だけじゃなかったんだ」


 ぽつりと自分に聴こえる程度の声で呟いた。

 いつも近くにいたのに気付かなかった。

 今更遅いのに、言い訳みたいな言葉ばかり浮かんで胸が苦しくなる。


 私は知らなかった。

 誰かを特別に想うことは嫌い。出会いには終わりが付き物だから……。


 袖で目元を拭って家の中に入り、弟と顔を合わせずに自分の部屋に直行する。


 紅色のリボンを引くと簡単に解けてしまった。

 桜色のフタを開けて大粒のチョコレートを一つ摘むとカカオの甘い香りが鼻につく。


 ──なんで私じゃないんだろう。


 熱いものが一筋頬を伝うのを感じながらかじったチョコレートは私の想いのようにほろ苦かった。


 たぶん、これが私の初恋だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る