事例22 ニワトリ課⑤

「では、そろそろ向かいましょうか。『闇医者』のもとへと」


 アゲンバが自身の部下たちを──そこには、新たに第1班に加わったヨールも含まれる──タナリオが乗っていた黒い車の前に集める。そして、アゲンバの言葉に続いてヨール以外の全員が次々と車に乗り込んでいく。


「あ、やっぱり座る場所とか決まってるんでしょうか」


 ヨールが少し困った様子で尋ねたのに対し、タナリオが答える。


「ん? ああ、別に気にすることはないぞ。……そうだな、じゃあ前と同じ助手席に乗ると良い」


「おやおやタナリオくん。そこはワタシの定位置のはずでは?」


「班長が横にいると何か落ち着かないんですよ。ほら、後でパフェ奢ってあげますから」


「ほほーう! ……コホン。では致し方ないですね、口惜しいですが譲りましょう。ああ、口惜しい口惜しい……」


 わざとらしく落ち込んで見せるアゲンバを半ば無視しつつ、タナリオはヨールを助手席へと促す。ヨールは申し訳なさそうに助手席に座り、エスマナフとナネロ、そしてしくしくと泣いているアゲンバが後部座席に座る。主にナネロのせいで窮屈きゅうくつそうな後部座席をバックミラー越しに見つつ、タナリオが車のエンジンをかける。


「じゃあ、班長。ナビゲーションをお願いします」


「しくしく……わかりました。取り敢えず、このままメウエレク通りまで真っ直ぐ出ていってください。そうしたら右に曲がって通りに入り、しばらくは道なりに」


「了解です」


 タナリオがアクセルを踏み込み、車が発進する。ヨールは、落ち着かない様子であちこちを見回している。


(こ、こんなに沢山の人と車に乗るの初めてだなあ……)


 ヨールの、にぎやかで楽しいドライブが始まった。



「そういえば」


 彼らの車は現在メウエレク通りを郊外へと進んでいる。そんな中、アゲンバがふと口を開く。


「折角ヨールくんが我が第1班の一員となったことですし、あの話でもしておきますかね」


「……?」


 ヨールが首をかしげているのを見たアゲンバが、軽く深呼吸をしてから語りだす。


「ヨールくん。警察病院で最初に戦闘した時、床に転がっていた死体に気づいていたでしょうか?」


「死体? あ、もしかして、あのお腹から下がなくなってる女の人の……」


「そう。あれはワレの母です」


 ヨールが、驚いて目を見開く。タナリオたちは驚かずとも、少し悲しい顔をする。


「え……。アゲンバ班長の、お母さん……」


「はい。もちろん、あの母はゲビドアさんの能力で具現化された偽物に過ぎません。ですが、本物のワレの母も──かなり前にですが、亡くなっています」


「そ……そうだったんですか」


 ヨールは、その衝撃的な発言に混乱しつつも、アゲンバの母の死を悲しむ表情を見る。それを見たアゲンバが、力なく微笑む。


「あれは、そう。もう、10年以上前になりますか──」



 対REDSレッズ犯罪課第1班班長、アゲンバ。彼は、中国人の血の混ざる家に生まれた。彼の高祖父は中国からの移民であり、100年近く前にラバン市に移住した。そして、そのままラオ家は中国系の国民となった。


 アゲンバの父親は中国系のラオ家の人間だったが、母親は純ヨーロッパ系の血筋の生まれだった。母親は規律に厳しく、また父親はこっそりアゲンバを甘やかすのが上手だったために、彼は規律の理由を理解することと規律の穴を見つけることに長けるようになった。そうして規律に対する理解を深めていったアゲンバは、やがて父親と同じ警察官を志すようになった。


 ある日のことだった。アゲンバがいつも通りリビングで勉強をしていた時、外からドタドタと激しい足音が聞こえた。瞬時に一大事であると判断したアゲンバは、ほんの一瞬悩んだ後に咄嗟に棚の影へと隠れた。母親に『何かあったらどこかに隠れて、決して出てきてはいけない』と言われていたからだった。次の瞬間、玄関のドアを母親が開け、それと同時に思い切り閉めようとした。しかし、それを屈強な白い腕が止め、その腕の持ち主──明らかにアジアの血など入っていないような、白い肌の屈強な男が侵入してきた。


『よお、奥さん。アンタら、中国野郎チンクなんだってな』


『だ、だったら何よ! ワタシたちはもうずっとここに住んでるのよ、それなのに何を今更──』


 アゲンバの母親が毅然とした態度で反論しているのをさえぎるように、男の力強いパンチが彼女の顔面をえぐった。母親は、そのままリビングの壁に叩きつけられた。男が、必死に立ち上がろうとする母親にゆっくりと近づいていく。


『オレはさ、アンタらみてえな黄色い猿が街に蔓延はびこってるのが我慢ならんのよ。しかも、そんな猿ごときが市民権を得たと勘違いしてるときたら……もう、我慢とかそういう次元の話じゃなくなるわけさ』


『ぐ、ぐうッ……』


『それによ、これは正しいことだと思わねえか? この国から汚らわしい猿を消し去るんだぜ? 害虫駆除とやってることは同じだ。違うかい?』


 倒れる母親の前までやってきた男が、握り拳を再び彼女の顔面目掛けて振り下ろした──よく見れば、その拳にはメリケンサックがめられていた。肉と骨が潰れる音が、何度も、何度も響く。


 そんな中で、アゲンバは何もすることができなかった。母親の言いつけを守っていた、というよりかは、あまりの恐怖に身体が震えて動かなかったのである。そして、満足げに男はため息をついて、動かなくなったアゲンバの母親を見下ろし──今度は巨大な刃物を取り出して、また何度も、何度も振り下ろした。辺りに血が、肉片が飛び散る光景が、アゲンバの網膜に焼き付いていった。そんな時だった。


『──うおおおおおおおおおおッ!』


 突如現れたアゲンバの父親が、勢い良く男に組み付いた。男は床に叩きつけられ、驚く暇もなく父親に首を絞められた。その力は男よりも強く、男は抜け出せないままやがて意識を手放した。それでも父親は、男の首を絞めるのをやめなかった。しかし、そこに父親の部下の警察官たちが駆けつけ、何とか彼を男から引き剥がした──部下たちに拘束されてもなお父親は血走った目で男を睨み付け、その首をへし折らんと手を伸ばしていた。そうして男は逮捕、母親は病院へ搬送され、アゲンバは部下たちに一時的に保護されることになった。


 母親の遺体は、最早原型を留めないほどに破壊されていた。腹部の傷からは内臓が覗き、美しかった顔面は最早人のものとは呼べない形になっていた。父親はアゲンバにそれを見せまいとしたが、それでも父親の背中の影から遺体の状態は見えてしまった。


 その時だった。彼の顔に、奇妙な紋様が浮かび上がったのは。心に大きな傷を負ったアゲンバは、その日夢追人ドリーマーとなった。それでも、いやむしろだからこそ、彼は警察官となる夢を諦めなかった。そして、あらゆる学校や試験で首席の成績を修めながら彼は警察官となり、若くして班長にまで上り詰めたのだった。



「……そ、そんな……」


 アゲンバの凄惨な話を聞いたヨールは、あまりのことに半ば放心状態になっていた。彼の様子を見たアゲンバが、少し笑みを作って続ける。


「まあ、さっきも言いましたがもう10年以上前のことです。もちろん今でも忘れられたことではありませんが、それでも昨日今日の出来事でないだけマシでしょう。……まあ、未だに夢追人ドリーマーな身で言ってもあまり説得力はないでしょうがね」


 アゲンバの、いつもの鬱陶うっとうしい笑い方とは違う悲しみに満ちた笑みに、ヨールはどうしたら良いかわからなくなる。しかし、それでも自分の内に起こった疑問を、素直に彼にぶつける。


「……でも。何で、そんな辛いことをわざわざ思い出して、ボクに教えてくれたんですか……?」


「ああ。いわゆる『秘密の共有』というやつですよ。ワレは既にヨールさんのトラウマについて聞いていましたが、こちらのトラウマについては話していませんでした。折角仲間になったというのに、それでは不公平でしょう?」


「そ──そんなことはないです! ボクのその、トラウマなんて、アゲンバさんのに比べたら──」


「ヨールくん」


 ヨールが必死に彼をなぐさめる言葉を口にしているのを、アゲンバが止める。


「人の苦しみに、上も下もありませんよ」


「……っ!」


「ワレのことを思っての優しい言葉、ありがとうございます。でも、キミのトラウマだってきっと辛いもののはず。比べたりなんてしなくて良いんです」


 ヨールが、申し訳なさそうにうつむく。それを見たアゲンバは、ふと思い付いた話題を口にする。


「ああ、そういえば。ヨールくん、キミは夢追人ドリーマーの能力の内容がどうやって決まるか知っていますか?」


「……え? どうやって決まるか、ですか」


「はい。まあ、実際のところ諸説ある話ではあるんですが……。ヨールくん、ワレワレ夢追人ドリーマーが発症している病気の正式名称はご存知ですか?」


「あ、はい。タナリオさんから聞きました。確か、現実……願望、ええっと……」


「現実侵食性願望症候群、だ」


 彼らの話を黙って聞いていたタナリオが、前方を見たまま答える。ヨールは「あっそう。それです」と3回ほど頷いている。アゲンバは、そのやり取りを見て再び笑う──今度は、いつもの嫌みな雰囲気を取り戻した笑い方だった。


「そうですね。つまりは、ワレワレは自身の願望が現実に侵食する形で能力を得るわけです。故に、その能力の内容はおおよそ夢追人ドリーマーの願望、まあつまり夢の内容に依存します」


「お、『おおよそ』……?」


「はい、つまり、能力の内容は完全に夢を叶えるようなものではないということです。夢が叶ってしまったら夢追人ドリーマーではなくなりますからね」


 ヨールは(おおよそってどういう意味だろう……)と思いつつも、その疑問を心の中にしまってアゲンバの話を聞いている。


「例えば、ワレの場合は『あの男のような人間を止めたい』だとか、『これ以上自分の大切な人を傷つけられたくない』といった具合の夢が能力に反映されていると考えられます。我が家は代々仏教徒でしたから、『仏の顔も3度まで』という文化的な要素も反映されているのでしょう」


「『仏の顔も3度まで』ですか」


「ええ。まあこれは日本のことわざらしいですがね」


「あっそうなんだ……」


 ヨールが新しい知識を咀嚼そしゃくしているのを尻目に、アゲンバが更に続ける。


「そして、ヨールくん。ワレワレとは夢追人ドリーマーになった経緯こそ違いますが、それでも能力にはキミの願望がこもっているはずです。キミの、シャボン玉の能力には」


「……!」


 ヨールが、きょを突かれて目を点にする。そして、しばらくウンウンとうなって考えた後に答える。


「……そう、ですね。その、多分ボクの夢はこれだと思います。……『消えてなくなりたい』……」


 アゲンバだけでなく、その場の全員がヨールの口から発せられた言葉に驚く。そして、アゲンバが口を開くより先にタナリオが話しかける。


「よ、ヨール。オマエ、そんなことを思って……」


「はい。これは、ボクが普段から思ってることです。あの爆発事故の時、ボクは助ける命を選んでしまった。そんなボクを、ボク自身が許せていないんです。だから、消えてしまいたいって思うのと同時に……そんな風に逃げたらいけない、とも思ってます」


 ヨールが、子供とは思えないような力強い言葉で話した内容に、タナリオたちは沈黙してしまう。しかし、その沈黙を破るように、エスマナフが口を開く。


「……ヨールくん」


「あ、はい。何でしょう」


 エスマナフは、真剣な表情で腕を組み、キリッと目を見開いて告げる。


「この仕事終わったら馬鹿みたいに食べるわよ、『エドモンド・ヒラリー』パフェ」


「えっ」


 ヨールが彼女の放った発言に拍子抜けしているところに、ナネロが追撃する。


「食らうは『エドモンド・ヒラリー』のみにあらず。カレと共にエベレストへと登頂せし男の名を冠するマジカル☆パフェ、『テンジン・ノルゲイ』も食らうべし」


「えっ、えっ」


 ヨールがナネロの追撃に困惑しているところに、更なる一撃をタナリオが加える。


「わかった。オレも腹をくくろう。オマエらのも含めて全部オレがおごってやる」


「えっ、えっ、えっ」


 ヨールは、エスマナフとナネロとタナリオを順番に見ながら混乱している。彼の様子を尻目に、タナリオがアゲンバに話しかける。


「班長。アンタはおふざけとシリアスの切り替えが極端すぎるんですよ。オレたちは慣れてるから良いですけど、ヨール相手にはもうちょっと優しくしてあげてください」


「あ、ハハ……。いやはや、これは面目ない」


 アゲンバが、珍しく申し訳なさそうに頭に手をやる。そして、1度大きく咳払いしてからヨールに語りかける。


「……すいませんでした、ヨールくん。色々キミに負担のかかる話題でしたね」


「あっ……いえいえ、気にしないでください。その、ボクもちょっとスイッチ入っちゃってたので」


「いや、ヨールくんこそ気にすることはありません。……さて、タナリオくん。そろそろ通りを抜ける頃ですね。あの赤レンガのモーテルの手前の交差点を右に曲がってください」


「ああ、了解です」


 アゲンバの指示に従い、タナリオがハンドルを切って脇道に入っていく。先ほどまでの広い通りとは打って変わって、かなり狭い道を車は進んでいく。


「ここからもう少ししたら目的地です、皆さん。そこにが待機しているとのことですので、行けばすぐにわかるかと思います。少し雑談が過ぎましたが、そろそろ気を引き締めていきましょう」


「了解!」


 ヨール以外の第1班の面々が、気合いの入った声で返事をする。それを聞いたヨールが、ワンテンポ遅れて「りょ、了解です!」と続く。先ほどまでの重苦しい空気はどこへやら、車に乗った時のような明るい空気が戻ってきていた。

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