事例21 ニワトリ課④

「ヨールを、第1班に加えるつもりですか!?」


 タナリオがアゲンバに言い放った言葉に、ヨールが大口おおぐちを開けて絶句している。彼だけでなく、エスマナフやナネロも同様に、困惑した様子でアゲンバを見つめている──この場で余裕そうに笑っているのは、アゲンバただ1人だけしかいない。


「フフフフフ、ええそうです、そうなのです。いやあ、襲撃前から準備していたのに言い出すタイミングがなくて寂しかったのですよ」


 満足げな笑みを浮かべるアゲンバに対し、エスマナフとタナリオが食って掛かる。


「いや──いや、班長! いくら何でもあり得ないでしょ!? 確かにカレは大した罪にはならないかもしれないけど、だからってなんで捜査員にしちゃうのよ!」


「そもそも、アンタはあの時オレに言ってたじゃないですか! 『展望ラボの被験者をリュビカの刑務所に収容するように上が指示してきた』って! リュビカが壊滅したからって、その指示が完全に無効になるわけじゃないでしょう!?」


 彼らの至極真っ当な指摘に対し、全く動じることなくアゲンバは笑う。ヨールは、あまりのことに情報の処理が追い付いておらず、口を開けたまま石になっている。


「ハッハッハ! いやあ面白いですね、こういう時の反応は。だからドッキリという文化が生まれたのでしょうかね」


「アゲンバ殿! 笑っていないでく説明を!」


「ああ、ハハ──これは失敬、マジカルくん。そうですね……ではまず、タナリオくんの質問から行きましょうか」


 ようやく少し落ち着いた──と言っても、未だに嫌味な笑みをその顔に浮かべているアゲンバが、タナリオに向かって語り始める。


おっしゃる通り、ワレはラバン警視庁の上層部──言ってしまえば、刑事部長からヨールさんをリュビカへと移送するように指示を受けていました。ですが、その指示は『展望ラボの夢追人ドリーマーの能力の阻害は、警察病院のAREDアレッドごときでは難しいのではないか』という懸念によるものでした」


「『難しい』、ですか」


「ここ最近、展望ラボの関与が疑われる軍基地襲撃事件が複数発生しているのはご存知でしょう。しかし、これはメディアに公表されていないのですが、襲撃された基地にはいずれもAREDがしっかり設置されていたのですよ。つまり、展望ラボの夢追人ドリーマー──少なくとも、実行犯と思われる『アユゴ』はその阻害を上回る能力の持ち主ということ」


「なるほど。だから、リュビカ刑務所のAREDなら拘束できるのでは、という結論になったわけですね。……まあ、実際はそれでも大した意味は無かったわけですけど」


 タナリオのため息まじりの言葉に、アゲンバが頷く。そして、今度はエスマナフの方に向き直って続ける。


「ですから、リュビカ壊滅の知らせを受けた直後に刑事部長に進言したのですよ。『リュビカでさえ展望ラボの夢追人ドリーマーの攻撃を防ぐことはできなかったのだから、どこかに収容しようとすること自体が危険かもしれない。ならばいっそ、捜査員としてこちらの管理下に置いてしまおう』と」


「それは……ものすっごく思い切った提案ね、班長」


「まあ、刑事部長の指示の前提が崩れたタイミングでしたからね。なら今! という感じでした。で、結果として刑事部長もこの提案を飲んでくれたというわけです」


 やや満足げな様子のアゲンバに、エスマナフが更なる疑問をぶつける。


「でも、ちょっと待って。そもそも班長がその提案をしたのっていつの話よ?」


「そうですね、確か……ヨールさんが目を覚ます少し前くらいでしたかね」


「やっぱり。つまり、その提案をしたのってこの子と話す前ってことじゃないの。確かに今ならこの子は信頼できる子だって言えるけど、まだ会話すらしてないときに信頼できるかどうかなんてわからなかったんじゃないの? なのに、何でそんな──」


「簡単なことですよ」


 エスマナフの言葉を遮ったアゲンバに、彼女は驚く。そして、次にアゲンバが放った言葉に更に驚かされる。


「タナリオくんが、カレを信じると言ったからです」


 エスマナフだけでなく、ナネロやヨールも驚いてタナリオに視線を移す。


「え、本当なの? タナリ──ちょっと、何そっぽ向いてんのよ。こっち見なさいよこっち」


 タナリオは、エスマナフが言ったようにその場の全員から顔を背けている。その耳は、よく熟れたリンゴのような赤色に染まっている。その様子からアゲンバの言葉が本当であると理解したヨールとナネロが、口々に話す。


「その、本当なんですか。タナリオさん」


「これは珍しきかな。いくら軽犯罪とはいえ、犯罪者であるヨール殿にマジカル☆タナリオが心を許すとは」


 エスマナフがタナリオの頭に手を伸ばし、強引に顔を自身へと向けさせる。タナリオはやや抵抗しつつ、口を開く。


「や、やめろよ。いくら本当に言ったことだからって、わざわざみんなの前でバラされたら流石に恥ずかしくもなるだろうが」


「だからって、何も言わずに、そっぽ向いてんじゃ、ないわよ、アンタ」


 タナリオとエスマナフが組み合っているのを見てなおも上機嫌に笑いながら、アゲンバが今度はヨールに向き直って続ける。


「まあ、そういうわけでアナタにはオメガ特殊捜査員として──つまり、非警察官の身でありながら一時的な捜査員として働いてもらうことになったわけです。では、改めてこれからよろしくお願いしますね。ヨール


「あ、は、はい。その、アゲンバ……?」


 ヨールに「班長」と呼ばれたアゲンバが、ニッコリ──いやむしろニヤリと言うべき嫌らしい笑みを浮かべる。それに対し、ナネロが、そして何よりうすら寒い笑みを向けられたヨールが、ぎこちない苦笑を浮かべた。



「……いやァ、散々な目にあッちまッたなァ。ガイリ」


「うん……」


 薄暗く細長い廊下の天井に、いくつもの蜘蛛の巣が張られている。天井には太いパイプがむき出しで張り巡らされており、その向こうにはひび割れたコンクリートと露出した鉄筋が見える。天井だけでなく壁のコンクリートにもひびが入っており、そのいずれにも修繕の努力は見られない。おまけに、見渡せばあちこちにほこりが溜まっており、廊下の空気もやや埃っぽく息苦しい。そんな不衛生極まりない廊下に置かれたパイプ椅子に「クモ屋」のヘドルが、その横に置かれた車椅子に同じく「クモ屋」の少女ガイリが座っている。


「それにしてもよォ、あン時ァ何であンなにしてたンだよ?」


 ヘドルの身体には、あちこちにほどけかかった包帯が巻かれている。一目見ればわかるほどの怪我にもかかわらず、ヘドルは無理に足を大きく開いて座っている──ガイリに問いかけながらも、彼は腕や脇腹を押さえている。


「……あの時、ワタシはあの片目を隠した女の人に取り調べを受けてたの。もちろん黙ってたんだけど、そしたら突然、頭がズキズキして……それで、そのままずっとズキズキにやられちゃってたんだ」


「あァ、あの女刑事デカね……。ッたく、うちの大事なガイリに酷ェことしやがッて」


 一方ガイリは、足こそギプスをつけてはいるもののそれ以外に目立った怪我は無い。それに、彼女自身もあまりその怪我を痛がってはいない。ただし、その長く黒い前髪の中から覗く顔は少し不安そうである。


「でも……その、あの人がぐったりさせてくれたおかげで、ワタシは霧の攻撃を受けなかった。ワタシに対応する恐怖が具現化されなかったから」


「おい、やめろよ。サツに『おかげ』なンて言葉使うンじゃねェ」


「あ……。ごめん、ヘドル」


「はァ、ッたく……。まあ、こォして無事に起きれたから良ィけどよ」


 少しの沈黙の後、ガイリは俯いて不安げな声を漏らす。


「……大丈夫かな、マロー


 それを聞いたヘドルが、身体をゆっくりとガイリに向けながら語りかける。


「大丈夫だ、ガイリ。ッつつ……あの医者は腕ァ確かだ、1回オレも大怪我から全快にまで治療してもらッたことがある。オレを、あの医者を信じときゃアいィ」


「……そう、わかった」


 その声や表情は依然いぜん不安そうではあるものの、ガイリは納得した様子で廊下の奥に視線を移す。そこには、大きな二枚扉と「手術中」と印字されたランプがある。そのランプは、今も赤く光り続けている。



「さて……」


 扉の向こうの手術室にて、1人の男が立っている。男は白衣に身を包んでおり、手術室にいるにもかかわらず平気で火のついた煙草たばこくわえている。男は、この病院の入り口がある方向を真っすぐ見つめている。


(……外に2人。これは──ニワトリ課の連中だな、恐らく。クモ屋のカレらを追跡してきたか)


 男は、煙草を口から離し、上を向いて大量の煙を吐き出す。本来であれば手術室の煙検知器が作動するはずだが、そのスイッチを男が切ってしまっているために作動することはない。男は、煙で白くなっていく天井をぼんやりと見た後、視線をその下に移して考える。


(ここで逃げられたら良いのだろうが……残念ながら、ワタシにその決断を下すほどの勇気はないのだ)


 男は、再び煙草を咥えて視線の先の人物──マローの状況を確認する。マローは全身が血で汚れており、四肢の一部があらぬ方向に曲がってしまっている。


(この、目の前の患者を見捨てて逃げる勇気は)


 男は、もう一度煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んだ後、天井へと吐き出す。そして、手にした煙草を手術器具台の上の灰皿に押し付けてから、マローの身体に手を伸ばした。

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