事例19 展望ラボ①

「……着~いた、着いた。ついでに餅もついちゃお。あそれ! あよいしょ! あどした!」


 白い、いやむしろ白すぎると言えるほどの純白のコンクリートで覆われた通路。そこに、帽子を被った夢追人ドリーマーであるノーマンが転移してくる。彼が、存在しないきねで存在しないうすの中の餅をついていると、そこに人影が1つ近づいてくる。


「……ノーマン、か」


「んお? おっひょほ~う、タマヅくんじゃないの! どう? まだハカ聴いてるの?」


「ジブンは、ハカを好き好んで聴いているわけではないが……」


「ん~♪ やだあイケボ、耳が面心立方格子構造めんしんりっぽうこうしこうぞうで結晶化しちゃう♪」


 タマヅは、彼の意味不明な言動にその異常な眼力を緩めることなく、ノーマンを見つめる。やがて、タマヅは軽くため息をついた後、彼に背を向けて歩き出す。


「……先生がお待ちだ。下らんことを言ってないで、早く来い」


「ん~、手厳しーッ! 仕方ない、オレっちも渾身こんしんの顔面体操で対抗してやりますわ! フンッ! フンッ!」


 タマヅについていくノーマンの顔が、ある時はギリシャ彫刻のように、またある時は浮世絵のように次々と移り変わっていく。その芸なのかもよくわからない行為をスルーしつつ、タマヅはラボの通路を進んでいった。



「先生、ノーマンを……お連れしました」


 展望ラボの会議室に、タマヅとノーマンが入ってくる。部屋の中央には長机が置いてあり、その横に並べられた椅子には既に3名の人物が座っている──そのうちの1人であるエリルは、部屋の奥のスクリーンの前の席に座っている。


「お疲れ様です、タマヅ。それに、ノーマンも」


「こんにチワワ! こちら、チワワのお腹を撫でた時に手についた毛を集めたものです……」


 そう言って、ノーマンが机の上に得体の知れない毛の束を置く。タマヅの下まぶたが苛立いらだちで痙攣けいれんし始めるが、エリルはそのプレゼントに笑顔で応える。


「ふふ、ありがとうございます。さて、後は2人、ですかね」


 それを聞いて、既に席に座っていた1人である長身の男が、ため息混じりに呟く。


「サヴィールはこう思っているよ。『相変わらず、昔のメンツは全く揃わないなあ……』とね」


「おっ、自分のこと他人事みたいに喋るマンことサヴィールじゃん! 最近の国際度量衡局BIPMどんな塩梅あんばい?」


「……サヴィールはこうも思っているね。『うるさい』」


 それを見て、エリルが苦笑しながら2人をなだめる。


「まあまあ。ただ、そうですね……未だワレワレから逃げているのが2名、事情があって出席できないのが2名、オンラインで参加するのが1名、そして──逮捕されたのが1名、ですから」


「あっ、センセそれやっぱマジなん? オレっち頑張ってゲビドアさんをプレゼント! フォー! ゼム! してきたんだけどなあ~」


 暴れる──というか、謎の挙動を繰り返すノーマンを、タマヅが強引に席に着かせる。そして、タマヅはエリルに最も近い席に座る。


「……申し訳ありません、先生」


「ああ、気にしないでください、タマヅ。確かに今回はアナタがゲビドアを推薦したのが切欠きっかけですが、実行を決断したのはこのワタシです。責任はワタシにあります」


「よっ! 流石さすが大将! 裸一貫でバミューダ・トライアングルの謎を解き明かしただけのことはあ──」


「ノーマン。サヴィールは今、キミのことを『すごくうざい』と思っているよ。キミのせいで話が進まないからだろうね」


「ぽえ~」


 エリルとタマヅの真剣な話の横で、ノーマンとサヴィールが喧嘩を始める。そんなやや混沌とした空気を破るかのようにノックの音が響き、全員がドアの方を見る。ドアが開かれ、2人の人物が入ってくる──1人が、震えるもう1人の手を引っ張っている。


「んん……失礼、話の邪魔をしただろうか」


「う、うう……嫌あ……」


 エリルが立ち上がって、嬉しそうな声色でアユゴに話しかける。


「おお、アユゴ。お疲れ様です、休んでいなくて良いのですか?」


「いえ、問題ありません。んん……欠員が出たのならば、流石にこのアユゴも話を聞いておかねばならないでしょう」


「それはそれは、ありがたいですね。……では、アナタにも座ってもらいましょうか」


 そう言った次の瞬間、エリルはアユゴに連れられてきた震える少女──キエラの横にいつの間にか立っていた。直後室内に暴風が吹き、ノーマンが帽子を、タマヅがコートを押さえる。サヴィールが着ている無地のTシャツの、腕の通っていない左袖が風になびく。真横に突然エリルが現れたことに、思わずキエラはたじろぐ。


「せ、先生……っ!」


「お久しぶりですね、キエラ。また会える日を楽しみにしていましたよ。さあ、アナタも席へ……」


 エリルがそう言うと、今度はエリルだけでなくキエラまでもが瞬時に移動し、彼女はいつの間にか席についている。再び風が吹き、部屋の中の皆の服や髪が風になびく。誰も座っていなかった椅子が2つ、風に押されて動く。


「……全く。サヴィールは『相変わらず先生は大雑把おおざっぱなことをするな……』とやや呆れているよ。ま、いつものことと諦めてはいるみたいだけどね」


 タマヅが、今度はその鋭い眼光をサヴィールに向ける。


「先生の……行いを否定するのか? サヴィール」


「まさか。サヴィールもまた、先生の計画に賛同している1人だよ」


「ま。ま。いーじゃない。いーじゃない。チミたち、そんなことで喧嘩なんてしちゃダメージカウンター」


ノーマンオマエには言われたくない」「ノーマンキミには言われたくない」


 3人が仲良く喧嘩しているのを尻目に、アユゴが全員から最も離れた席に座る。アユゴは天井を仰いで腕を組み、ふうとため息をついて目を閉じる。いつの間にか先ほどいたスクリーンの前まで戻ってきていたエリルが、その場の全員が席についているのを確認してから、パチンと指を鳴らす──前触れなく、エリルの横に4つ腕の女が出現する。


「シカキナさん。オンライン接続の準備はできていますか?」


「問題なく。秘匿回線を使ってりますから、彼方あちら此方こちらも特定の心配は御座ございません」


「ありがとうございます。……えー、そちらは聞こえていますか?」


 エリルが、長机手前に置かれたノートパソコンに話しかける。その映像は暗く、何が映っているのかはよく分からない。だが、音声は鮮明にノートパソコンのスピーカーから流れてくる。


『……ああ、聞こえてるよ』


「良かった。無理を言って参加してもらって申し訳ない。今回ばかりは、どうしてもアナタにも参加してもらわないといけませんから」


『……フウ。まあ、いちいち画面に映らなくても良いってのは楽だがな。面倒臭い、面倒臭い……』


 パソコンから流れる音声に、サヴィールはため息をつき、タマヅはその場で貧乏ゆすりを始める。ノーマンもまた、神妙な面持ちで貧乏ゆすりしている──太ももの間に、どこからともなく取り出したコーラ缶を挟みながら。


 接続の確認が終わった後、シカキナはタマヅの反対側の席に座る。それを見届けたエリルは、両手をパンと叩いてその場の全員の注目を集める。


「さて。参加できるメンバーが揃ったことですし、そろそろ始めましょうか。これからの対策会議といきましょう」


 エリルはズボンのポケットからレーザーポインターを取り出し、スクリーンに向ける。画面が切り替わり、スクリーンにゲビドアの顔が投影される。


「既に何人かはご存知のようですが、今回サヨエル市の警察病院に派遣したゲビドアが逮捕されました。今まで数回あった自発的な脱退とは異なる、初の外的要因による欠員です」


 その言葉を聞いて、タマヅは悔しそうに拳を握り、サヴィールは悲しそうにうつむく。ノーマンでさえも、少し寂しそうな表情を見せる。


「……ハア……」


「サヴィールはこう思っているよ。『ゲビドアさんは良い人だったのに。残念だ』と」


「ホンマな。また、あの良い感じの坊主頭をザリザリしたかったぜ」


 各々おのおのの反応を見て、エリルはうなづく。


「ええ、本当に残念なことです。ですが、いや、だからこそ、カレのためにも『まったゆるし』計画は必ず完遂させなければなりません。しかし、そこでやはり懸念が出てきます」


 エリルがそう言うと、再びスクリーンが切り替わり、別の1人の男の顔が映し出される。


「まず1つは、カバドゥラが未だワレワレの目をい潜って逃走中、ということです。カレは『』でもアユゴに次ぐ2位に置かれるほどの実力者。元々ワレワレの計画にあまり賛同していませんでしたし、敵対するとなるとかなりの障害となりうるでしょう」


 そう言うと、エリルはアユゴの方を見て続ける。アユゴは、相変わらず顔を天井に向けて目を閉じている。


「そこで、今回わざわざアユゴにリュビカ特殊刑務所を襲撃してもらい、カノジョを連れてきてもらったわけです。いやはや、本当にお疲れ様でした。アユゴ」


「気にすることはありません。これしきのこと……んん、ジャングルでシルバーバックのゴリラと対峙したときに比べれば些細ささいなものですとも」


「フフ、頼もしいですね。ですがまあ、今回は連続でかなり頑張ってもらいましたから、しばらくは休んでいてもらって結構ですよ。ここからはワレワレと──キエラの仕事ですからね」


 名前を呼ばれた少女キエラが、ビクッと反応する。エリルは、優しいのにどこか恐ろしい笑みを彼女に向けている。


「キエラ。、カバドゥラの居場所を見つけることなど容易たやすいでしょう。後は、その場所にワレワレが向かえばいい」


「うう……ゆ、許して……」


「ワタシはアナタの恐れを赦しますよ。そして、更なる赦し、ひいては全き赦しを得るためにも、アナタはワレワレに協力しなければなりません」


「……ひぐ、ううっ……」


 エリルの言葉を聞いても、キエラの震えと涙は止まるどころかその程度を増す。それを見て、エリルは立ち上がり彼女のもとへ寄る。そして、ゆっくりと彼女の頭を撫でる。


「何も恐れることはありませんよ。大丈夫、アナタにどんな危険も及ぶことはありませんから。……そうですね。シカキナさん、彼女を部屋まで送ってあげてください。彼女に伝えるべきことは取り敢えず伝えましたから。あ、能力は使わずにお願いします」


「承知致しました」


 シカキナが、その4本の腕でキエラを立たせ、背中をさすりながら彼女と共に部屋を出ていく。それを見届けて、エリルは話を再開する。


「……さて。では、もう1つの懸念に移りましょう」


 エリルがまた指を鳴らし、スクリーンが切り替わる。今度は、スクリーンには白い髪と白黒逆転した目の少年の顔が映し出される。その場のほぼ全員が、後ろめたそうな目でスクリーンを見つめる。ノーマンがボソリとつぶやく。


「……ヨール、か」


「これは先日皆さんと共有しましたが、ヨールがニワトリ課の皆さんの手に渡りました。それに、カレのこれまでの行動は明確にワレワレと対立しています」


 エリルが、少し深呼吸してから続ける。


「はっきり言ってしまえば、カレの能力は『評価』でも11番目の最下位ですし、カレの存在が計画に必要なわけでもありません。ですから、カレを奪還する必要は特になく、むしろ現状敵対している以上殺してしまった方が良い。それがワタシ、ひいてはタマヅの考えです」


 それを聞いて、ノーマンが立ち上がる。彼が太ももに挟んでいたコーラが、音を立てて床に転がる。タマヅが再び顔をしかめる。


「ま~ま~、センセ。落ち着こうや。センセはもしかしたら知らないかもだけどよ、実はアイツ……ハチャメチャに神経衰弱が上手いんだぜ」


「……黙れ、ノーマン。先生の決定に異を唱えるならば……今、ここで首を斬り落──」


「オマエたち」


 刀を構えて立ち上がったタマヅとそれを睨み付けるノーマンに対し、目をつぶったままアユゴが語りかける。


……んん、いくらでも聞かせてやろう」


 アユゴの言葉を聞いて、2人は渋々座り直す。場が落ち着いたのを見計らって、エリルが口を開く。


「……そうですね、ノーマンの言い分もよくわかります。ヨールは、あの爆発事故の時にアナタたち被験者の多くを救いました。きっと、ヨールを殺したくないのはノーマンだけではないでしょう」


 ノーマンが首を激しく縦に振り、サヴィールもまた無言で頷く。


「ですから、取り敢えずは、カレへの対応は捕縛を第一に考えておこうかと思います。殺す必要が出てきたならば、その限りではありませんが」


 そう聞いて、ノーマンがガッツポーズする。


「ん~! 良いねェ、中々どうしてマイティーな決断だ! 後で水族館で撮ったマナティーの写真あげちゃうわん、センセ♪」


「フフ、ありがとうございます。……さて、ついては、ヨールの捕縛をどなたかにお願いしようかと悩んで──」


 エリルがそう言いかけた時、サヴィールが突然立ち上がり、部屋の外へと歩きだす。


「サヴィールがやるよ。『評価』は4位だし、計画に直接関わっているわけでもないしね」


「あ、いえその──」


 エリルが声をかけて止めようとするが、それより早くサヴィールが部屋を出ていってしまう。アユゴが、片目を開いてその3つの瞳孔でサヴィールが去るのを見届ける。エリルは、やや弱った顔で笑う。


「──実は、既に外の方を雇って向かわせてあるのですが……」


 ノーマンが、被ったまま帽子をリズミカルに指ではじき始める。アユゴは、少し伸びをしてからエリルにその目を向ける。


「うーん。サヴィえもん、ヨールのことずっと気にしてたからねえ。殺さないで連れて来れるんならウッキウキの雨季も来ちゃうんじゃナイチンゲールの漁師風パスタ。チュルリン」


「んん……しかし、外の人間とはどういうことでしょうか。少なくとも、このアユゴは聞いていませんが」


「ああ、そうですね。実は、警察病院の襲撃の際の保険として1名ほどシカキナさんの部下を派遣する予定だったのですが、当人がどうやらその辺で遊び呆けていたらしく……少し前に、ようやく動きだしたとの報告を受けました。正直あまり信用できないので、成果が見られないようであれば別の誰かを派遣しようかな、と」


「それは……んん、んん~……阿呆あほうですな、その者は」


 エリルは、その言葉を否定しきれない様子で苦笑する。それを見ていたタマヅが、舌打ちをしてから話に入ってくる。


「やはり……あの女どもは、信頼に値しません……。そもそも、計画には部外者など必要ないのですから、ヤツらを末席に加えてやる必要も……ない」


「いえ──流石にそれは。シカキナさんは超常能力も純粋な戦闘能力も優秀ですし、カノジョの部下のほうも、まあ、強い能力を持ってはいますから」


「……先生がそう仰るのなら、良いのですが」


 タマヅがやや不服そうに折れたのを見て、エリルは少し悩ましげに顎に手をやる。ノーマンはその話を聞いて──いるのかいないのか、床のコーラ缶を拾ってバーテンダーのようなシェイクをしている。


「まあ、取り敢えずは大丈夫でしょう。サヴィールも、本人が言っていたように実力十分──というか、初見でカレの能力に対処することは不可能に近いですから。ひとまずヨールの件は2人に任せて、ワレワレはカバドゥラの件を片付けるとしましょう」


 エリルがそう言うと、スクリーンの映像が止まる。そして、エリルが「ノーマン」と呼び掛ける。


「ん? 何スか? このコーラはあげないでありんすよ」


「いえいえ、そうではなく。前回の仕事が終わったばかりで恐縮なのですが、カバドゥラの捕縛にまた協力していただけないかな、と」


「ワーオ。ん~……ま良いよ。オレっちは別にアユゴみたいに無茶苦茶疲れるわけじゃないっ茶。税抜5万トグログでお買い上げとなりま~す」


「ありがとうございます。では、その時が来たらご連絡しますね」


は~いティーム


 ノーマンの返事と思われる言葉を聞いたエリルが、全員に向き直る。


「では、皆さん。ひとまず、今回はお開きとしましょうか。お疲れ様でした、各自部屋へと戻って結構です」


 その言葉を聞いたノーマンとアユゴ、そして何も言わずに座っていた眼鏡の男が立ち上がり、部屋を出ていく。エリルは机の上のノートパソコンを操作しようとして、既にビデオ通話が切られていることに気づく。


「……フフ、相変わらずですね。カレは」


 エリルはノートパソコンの電源を切り、折り畳んで脇に抱える。その横に、タマヅが並ぶ。


「では、行きましょうか。最近ワタシも外に出ていましたから、ラボの研究の方がどうなっているか気になりますし」


「わかりました」


 エリルとタマヅの2人が、照明を消しながら部屋を出ていく。静かな部屋に、ノーマンが置いていったパンパンのコーラ缶だけが残された。

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