事例18 恐怖⑨

「──んん……」


 ヨールは、ゆっくりと目を覚ます。気が付けばそこは、元いた警察病院のカウンター奥の部屋だった。やがて、ヨールは少しづつ自分の置かれている状況を思い出して──


「ヨールくんッ!」


「……えっ」


──思い出している途中で、突然何者かに抱きしめられる。ヨールが混乱しているのも気にせず、彼を抱きしめている男──幼少期ではない現在のゲビドアが語りかける。


「ごめん、ごめんなあ……! ボクはキミに──いいやキミだけじゃない、大勢の人たちに、ああ何てことを……ッ! ごめんなあ、ごめんなあ……」


「えっ! いやあの、ちょっと、ええ!?」


 先ほどとは完全に異なるゲビドアの様子に、ヨールはさらに困惑してしまう。それを見かねて、彼らの横に立っていたタナリオやエスマナフが話しかけてくる。


「あー……。その、何だ。そこまでにしといてやれ」


「そ、そうよ。カレ困っちゃってるし」


 それを聞いて、「ううっ、ご、ごめんなさい」とズビズビ鼻水をすすりながらゲビドアがヨールから離れる。ヨールは自由になってからも呆然としていたが、その背中をアゲンバが軽く叩き、彼の意識を戻ってこさせる。


「ほら、しっかりしてください。そんなんじゃ『よくやった』の言葉もかけづらいですから」


「……はへ。あ、ああ。すいません」


 ヨールはゆっくりと立ち上がり、改めてその光景を見る。既に病院内に立ち込めていた霧は消え去っており、部屋の中心でゲビドアが泣きじゃくっている。それをやや呆れた様子でタナリオとエスマナフが見ており、その後ろに立つナネロが無言でゲビドアの背中をさすっている。


「いやあ、びっくりした……」


「改めておめでとうございます、ヨールさん。一時はワレもどうなるかと思いましたが、アナタのカウンセリングは良い結果をもたらしたようです」


「あ、ありがとうございます。でも、良かったんですか? ボクなんかに任せてしまって」


「そのことならばご心配なく。前例、いや実績があることはタナリオくんから聞いていますし、アナタは犯罪者といえど免許不所持という軽い罪しか犯していない。それくらい第1班班長パワーで何とかなります」


「な、なるほど。それなら良かったです」


 ヨールは安心して、再びヒンヒン泣いているゲビドアの顔に目をやる。そして、ふとあることに気がつく。


「あれ、右目のノイズが消えてない」


 ヨールは、ザニアへのカウンセリングのことを思い返す。あの時、ザニアの首元にあった夢追人ドリーマー特有の後天性奇形は、カウンセリング後に綺麗さっぱり消失していた。しかし、同じカウンセリングを終えたはずのゲビドアの右目には、未だに後天性奇形と思われるノイズが走っている。


「タナリオさん、これって……」


「……ああ、確かに。少なくともヤツの精神的問題はある程度解決されたように見えるが、奇形が残っている以上ヤツはまだ夢追人ドリーマーなのかもしれない。一応、さっきAREDアレッドを持ってきてヤツの波長に合わせて起動したから、多分問題はないだろうが」


 ヨールは、確かにタナリオの言う通りゲビドアの付近に黒い端末が置かれているのを見つける。彼は「なるほど」とうなずき、それを見たアゲンバが今度はゲビドアの前へと出る。ゲビドアは、アゲンバが近づいてきたのにも気がついていない。


「さて、ではヨールさんのカウンセリングも終わったことですし、諸々もろもろを片付けていきましょうか」


 そう言って、アゲンバはゲビドアの手を取り、その両手首に手錠をかける。


「11時3分。殺人罪ならびにREDSレッズ超常能力法違反の罪で現行犯逮捕します」


 手錠をかけられた後も、ゲビドアは「ごめんなさい……」と半ばうわ言のように言いながら嗚咽おえつしている。しかしアゲンバはそれを気にすることなく、彼を立たせてからその場の全員に話しかける。


「襲撃を受けて既にパトカーが待機していますが、連行の前に1つこのかたとやっておきたいことがあります。では、皆さん今から──」


「あ、あの……」


 突然、ヨールが不安そうに手を上げる。全員の視線が彼に注目する中、ヨールが続ける。


「その……ヘドルさんとマローさん、でしたっけ。あの2人って今どこにいらっしゃるんでしょう」


 すると、その場のアゲンバ以外の全員が目を見開き、慌てて部屋のあちこちを見回す。もちろん、部屋のどこにも彼ら「クモ屋」の姿はない。


(えっ、誰も気づいてなかったの!?)


 ヨールと警察官たちがそれぞれ違う理由で驚いているのを尻目に、アゲンバが笑顔で話す。


「まあ、ヨールさんのカウンセリングがどうなるかに皆さん気を取られていましたからね……。ちなみにカレらなら、ミス・アカイクルマと一緒に先ほど病院を出ていってしまいましたよ」


 アゲンバのあっさりとした言い方に、エスマナフとナネロが詰め寄る。


「ちょ、班長! 何さらっと見逃しちゃってるのよ!」


しかり! いくら一時的な協力関係にあったとて、凶悪なREDS犯罪者をのがすなど……」


 興奮している部下たちに対しのハンドサインをしつつ、アゲンバが続ける。


「まあまあ、どうどう。まさか、ワレが何の考えもなく犯罪者を見逃したとお思いで?」


「……何か意図があるんですか?」


「ええ。ミスター・ヘンナカミガタはこのように言っていました」



『いッつ……。ッたく、こンなの闇医者にでも行きゃアすぐ治るッつーのによ』



 アゲンバの言葉を聞いて、エスマナフが「言ってたっけ……?」と首をかしげる。アゲンバは、やれやれと言わんばかりにため息を盛大にこぼしながら続ける。


「ミスター・マッシュルームの負傷を一刻も早く何とかしたいと考えている以上、カレらの目的はその『闇医者』と会うことでほぼ確定でしょう。ワレワレ第1班の残りのメンバーがカレらを追跡していますし、『闇医者』の居場所も掴めるでしょうね」


「つまり、その『闇医者』もついでに逮捕しようと?」


 タナリオがそう訊くと、アゲンバが頷く。


「ほぼそのような感じです。まあ、逮捕するかどうかは『闇医者』の実情次第ではありますがね」


 彼の話を聞いて、全員がほんの少しの安堵と、たくさんの「早く言ってよ」という気持ちの混じった表情を浮かべる。アゲンバは、それを見て「ハッハッハ」と他人事のように笑っている。タナリオが、やや呆れ顔で話す。


「……取り敢えず、大丈夫そうなら良かったです。じゃあ、えっと、どうするんでしたっけ」


「ああ、話の途中でしたね」


「まあ、話の流れからだいたいわかるけど。でしょ?」


 エスマナフの答えに、アゲンバが待ってましたと言わんばかりに指を鳴らす。


「その通り。やはり、今回の事件最大の謎はあの方の侵入経路ですからね。数人の関係者の皆さんにもお話を伺ってあるのですが、それについても気になることがありますので」



 警察病院、地下2階、警備ルーム。ここには、院内の監視カメラ全ての映像が映し出されている。タナリオ・ヨール・エスマナフ・アゲンバが、ある監視カメラのスクリーンを覗き込んでいる。


──映像には事件発生より30分ほど前のエントランスの映像が映っており、数名の関係者が立っている。そして、エントランスの自動扉の向こうから、2人組が入ってこようとしている──1人はその外見からゲビドアであるとわかるが、もう1人は帽子を被っておりうまく顔が見えない。


──帽子の人物に連れられるように、ゲビドアは総合受付カウンターの前まで歩いていく。受付の女性と帽子の人物が何かを話した後、彼女は何故かそのままゲビドアをカウンター奥の部屋へと案内する。そして、それを見届けた帽子の人物は、そのままエントランスから病院を後にする。最後まで、彼らを不審がる人物はいなかった。


 少しの間、部屋の中を沈黙が包む。しかし、やがてそれを破るようにタナリオが口を開く。


「ここは警察病院だ。警察関係者でなきゃ、いや、例え警察関係者であろうとも、事前の許可がなきゃ入ることはできない。だが、アンタたち警備員は、


「……そ、それは」


 2人の警備員が、気まずそうに目をそらす。しかし、タナリオはまっすぐ2人を睨み付けている。


「本当に、何も知らないんだな? 本当に、何も気づかなかったんだな?」


「あ、当たり前でしょう! そんなワレワレを責めるようなことを言われちゃあ──」


「まあまあ、双方落ち着いて」


 アゲンバが、両者の間に割って入る。タナリオは相変わらず敵意を込めた顔を向けているが、アゲンバの言う通りと思い一旦深呼吸する。そこに、エスマナフが語りかけてくる。


「アンタ、こういう時キレやすいのそろそろ直した方がいいわよ。よく考えてみなさい、この2人だってあの『恐怖』に襲われてたわけだし、何なら受付の人たちはみんな亡くなってるのよ。だとしたら対応が酷すぎるでしょ」


「……だが、展望ラボの連中は一度雇ったクモ屋すら今回のターゲットに選んでいるんだぞ? 内通者まで殺すことも十分考えられる。この2人が内通者でない確証はない」


「まあそうだけどさ……」


 エスマナフが、毛先をいじりながらため息をつく。そこへ、ナネロが「失礼」と入ってくる。その手には、網目のような模様のスクリーンが取り付けられた機械が握られている。


「班長、確認が完了致しました」


「お疲れ様です。どうでしたか」


「指示通りカウンター付近を検査したところ、複数の波長を確認。1つはヨール殿の、もう1つは容疑者の物と断定されました。なれど、最後の1つの正体は未だ断定できず。鑑識が詳しい検査を行っておりますが、恐らくは……」


「なるほど。ありがとうございます」


 報告を聞いたアゲンバが、タナリオに向き直る。タナリオは、ややばつが悪そうに頭をかいている。


「タナリオくん。やはり、これは内通者ではないようです」


「……ええ、どうやらそのようですね。、ですか」


「恐らく」


 タナリオたちが、ようやく泣き止んでうつむいているゲビドアを見つめる。ゲビドアはそれに気がつき、顔を上げてアワアワと目を泳がせる。


「……そ、その。その帽子のカレのこと、ですよね」


「ああ、そうだ。キサマはヤツと一緒にこの病院に入ってきたんだ、顔も名前も知っているだろう」


「……はい、もちろん」


 ゲビドアは震えながら、フウと息を吐いて落ち着こうとする。そして、ゆっくりとそれを口にする。


「その、カレの名前は──」



「──しゅ・しゅ・しゅ、宗教~♪ 宗教、裁判~♪ 田舎じゃ取れたて悪魔主義者デモニスト吊るす~♪」


 警察病院のある、サヨエルの街。その通りを、帽子を被った1人の男が上機嫌に歩いている──ブレイクダンスとフラメンコを足して2で割ったような、未知のダンスを踊りながら。


「私はロンギヌスの槍を持っています~♪ 私は知恵の果実を持っています~♪ ああ……知恵の果実ロンギヌスの槍──」


 やがて、男はある店の前で立ち止まる。そして、タップダンスのような阿波踊りのようなダンスを中断し、手と同じ側の足を出す歩き方で入店する。


「ヘェ~イ、ィヤッホ~ゥ! お元気ぃ? シカキナちゃあん」


 その店は古本屋のようで、ところ狭しに大量の本が本棚に詰め込まれている。そして、その奥の椅子には1人の女が座っている。女は紅茶を片手に小説を読んでおり、更には余った2本の手でスマートフォンを操作している──そう、彼女には左右で2本、合計で4本の腕があった。


「……お、ヤホ谷園の無視茶漬け? はたまたまたまた訃報ちゃん?」


オレは無視などしてないとも、ノーマン」


 その女──シカキナが、スマートフォンを机に置く。しかし、その目線は未だに手元の小説に行っており、目の前の男──ノーマンには目もくれない。


「おお~ご存命でござったか。セッシャもハリウッドの名優ウレーシ・イーデスになってしまうというものですわね」


キミは相変わらず五月蠅うるさいな。オレの読書を邪魔しないでれないか」


「いやねぇ? オレっち共和国ゲンザイ県はちょっとユーに用事があるのであります。ちょっと読書を中断してシル・ブ・プレ?」


 そう言われて、仕方なく、本当に仕方なくという素振りでシカキナは手元の小説を閉じる。そして、紅茶を一口飲んだ後、ようやくノーマンに向き直る。


「まあ、キミの用についてはオレも流石に把握して居るがね。たまたわむれ、少し位許して呉れよ」


「んまーおませさんなんですから! でも可愛いから許しチャウチャウ犬とティンダロスの猟犬! バウワウ!」


 ノーマンのわざとらしいぐらいにオーバーなセリフと身振り手振りをスルーしつつ、シカキナは立ち上がる。


さて、ではラボに送るとしようか。下手に暴れるなよ?」


「おーもちもちもちもちロン! 数えウィーズリーッ! オレに5000兆点が加算されるぜェーーーッ」


「はあ。全く、キミの狂言を聞くのは体力を使うな」


「イエッサー! これがオレっちの個性なんでござあい……」


其処そこはマムじゃないか? まあ、別にどうでも良いが、な」


 そう言って、シカキナは4本の腕を器用に伸ばしてストレッチする。そして、そのままノーマンに手を伸ばし──


「では、またな」


──ノーマンが、その場から消失した。

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