事例16 恐怖⑦

「──なるほどねェ」


 霧の立ち込める病室の中に、刑事たち・ヘドル・ヨールが集まっている。その中で、ヘドルがタナリオを見ながら顎に手を当てて感心している。


「どォりで、何か具現化の条件がしッくりこねェわけだ。なるほど、想像ねェ……」


「ああ。ただ、どの程度の想像が具現化のトリガーになるのかは正直わからないし、呑気のんきに確かめるわけにもいかない。ただ、皆がそれをわかっていれば具現化の頻度は一気に下がるだろうから、少なからずこれは有益な情報になるはずだ」


「ええ、そうですね」


 アゲンバも、タナリオの話にうなづく。そして、軽く手を挙げて注目をうながす。


「では、ワレからも1つ。敵の捜索の前に、ある程度の居場所の目星をつけておきましょう。確か、タナリオくんが院内マップを持っていたと記憶していますが」


「そうですね、今出します」


 そう言って、タナリオがの手のひらを上に向ける。すると、丸められた大きな紙の筒がスルスルと手のひらから出てくる。タナリオは、紙が全て出てきたタイミングで手を動かし、紙を横からキャッチする。そして、紙──院内マップを広げて皆の前に見せる。周囲の皆がマップに近づいてくる。


「ふむ。この中で身を隠すに相応しきマジカル☆ルームは──」



「……ダメだ」


 病室の1室にてうずくまる、霧の夢追人ドリーマー。彼の顔は青白く、その身体はガタガタと震えている。


「ボクの能力のが、や、やっぱりバレてる。だ、ダメだ、誤魔化せない。もう、目を逸らしきれない……! こ、こうなったら──」


 そう言って、男はうずくまったまま両手を天に掲げる。


「──動けッ! ぼ、ボクのいる場所まで来させるなあッ!」



 タナリオたちがいる霧の向こう。病室の端にて、そのはシャボン玉に拘束されていた。しかし、


「………」


 それは、見ることができた。シャボン玉の先、霧の先にいる、タナリオたちの姿を。そして、彼らが何をしているのかも、鮮明に。


 それは、信号を送る。その信号は警察病院中に響き渡るが、人々は気づくことができない。しかし、その信号は確実に、に届いた。



「──ん?」


 タナリオが、病室の窓側を向く。それに気づいたエスマナフが、彼に話しかける。


「どうしたの? タナリオ」


「いや、今、何か鈍い音が──」


「キシャアアアアアッ!」


 突然響き渡った奇声に、その場の全員が振り向く。そして、すぐにその正体に気がつく。霧の向こう──否、窓の向こうから、巨大な虫のような何かがガラスを割りながら襲いかかってきたからだ。


「うおおッ!? ンだコイツァ!?」


「ヌウウッ!」


 直後、ナネロが全員の前に出て、巨大な虫に組み付く。虫はその場に固定されるが、虫とナネロ両方に飛び散ったガラスの破片が突き刺さる。


「マジカル!」


「フンッ! マジカル☆この程度!」


 そう言って、ナネロは虫の首を掴み、瞬く間に半回転させる。そして、そのままの勢いで虫の身体を霧の外に放り投げる。


「……な、何だ今の──」


 一瞬の安堵あんども束の間、今度はドカドカと複数の足音が病室の扉側から聞こえてくる。そして、


「グオオオオ!!」


 かつてナネロが投げ飛ばしたオーガをはじめとして、何体ものモンスターが壁をぶち破りながら侵入してくる。


「ばッ──まだ生きてやがッたか、テメェ!」


「皆さん! この数を相手にするわけにはいきません! ッ!」


 アゲンバが叫ぶのと同時に、その場の全員──人間も、モンスターも、一気に集合してくる。そして、人間がある程度固まった段階で──


「ヨール、今だ!」


「は、はい!」


──タナリオが叫び、ヨールがシャボン玉を展開する。人間たちはシャボン玉に包まれ、それと同時に窓の外に移動する。何体かのモンスターがシャボン玉へと飛びかかってくるが、間一髪でシャボン玉の方が速く、モンスターたちは地面に落下していく。人間たちはやや体勢を崩しつつも、何とか安全な体勢を取る。この光景を見て、エスマナフが心配そうに訊く。


「こ、こんな大人数抱えて大丈夫なの? キミ!」


「は、はい! ただ、皆さんもうちょっと固まってもらえるとありがたいです!」


 ヨールが叫びながら、ゆっくりとシャボン玉を落下させていく。モンスターたちがいるにも拘わらず落下を選んだのは、そちらの方がだからである。


 そんな中、先ほどの虫が浮き上がり、シャボン玉目掛けて飛んでくる。それを見たヘドルが、


「──光線レイの攻撃が通ンねェなら、こォいうのはどォかなァ!」


 虫に向かって指を突き付け、そこから太陽光線ソーラ・レイを放つ。こうすることにより、光量こそ虫を貫くほどではないにせよ──


「──ギャアアアアアアア!!」


「あァ!? シャボンでよく聞こえねェなァ!」


 目を潰すには十分な光が、虫の顔面に浴びせられる。そして、虫はコントロールを失い、そのままフラフラと病院の壁に激突する。それを見たタナリオが、ヨールに向かって叫ぶ。


「ヨール、もう少しスピードを上げろ!」


「でも、そうしたら皆さんが──」


「構わぬ! ワレワレは其程それほどやわい者共にあらず!」


「──了解です!」


 そう言って、ヨールは急激にシャボン玉を加速させる。内部のやや不自然な体勢の人間たちに強い負荷がかかるが、それでも全員が耐えながら進行方向──警察病院のエントランスを見つめている。



『一番可能性が高いのは、1階だ』


 タナリオが、マップを見ながら全員に告げる。ヨールが不思議そうな顔でタナリオを見つめる。


『え、1階ですか? でも、1階って来客も多いですし、すぐにバレちゃうんじゃあ……』


『そう、来客が多い。だからこそ、。人々は、霧による視界制限と襲いかかる恐怖でそれどころじゃなくなるだろう』


『──た、確かに』


 そこに、エスマナフが入ってくる。


『じゃあ、1階から捜索するのね?』


『ああ。だが、ヨールの言ったようなリスクも少なからずある階だ。そのリスクも考慮すれば、居場所は限られてくる。それは──』



 エントランスの自動扉が開くのとほぼ同時に、シャボン玉が病院内へと入っていく。そして、外部や内部から大量に現れるモンスターたちの猛攻をすり抜けるように掻い潜り、シャボン玉はに近づいていく。ヘドルの太陽光線ソーラ・レイが扉の留め具を焼き切り、そのまま扉に突っ込む。そして、


「──見えたぞ! あそこだ!」


 警察病院、エントランス、総合受付カウンター奥。何人もの職員たちの死体が転がるその部屋の隅にて、1人の男がうずくまっていた。


「──ヒィッ!」


「あ、あれは──」


 扉が破られる音と共に、その男はシャボン玉を、そしてその中にいる少年を認識する。同時に、ヨールもまたその男を認識する。


「ゲビドア、さん……!」


 ヨールは勢い良くシャボン玉を着地させ、そのままシャボン玉を解除する。何人かが床に倒れ込むが、ヘドルだけはすぐに姿勢を立て直して、男──ゲビドアへと近づいていく。男は、その鬼気迫る表情に思わず後退あとずさりする。


「テメェエエエッ!」


「ひ、ヒィイッ! ゆゆ、ゆ、ゆるし──」


 瞬間、ヘドルがゲビドアに掴みかかり、顔面を地面に叩きつける。そして、そのまま頭を強引に動かして、扉の方へと向かせる。


「よくもマローをあンな目に遭わせてくれたなァ!? テメェはただじゃア済まさねェ、光線レイ1発で楽に死なせてやりゃアしねェ! さァ見ろ、この霧の向こうを見やがれ!」


「や、やめ……!」


「テメェも想像すンだよ! なァ! テメェにも恐怖があンだろォ!? 想像しろ、ンでその想像に殺されちまえこのクソカス野郎がァ!」


「あ……ああ……ッ!」


 瞬間、壊された扉の向こうから、足音が聞こえ始める。ゲビドアが震えながらその向こうを見つめる。


(や、やった! 来た! ボクを、ボクを助ける恐怖が、きっと──)


 しかし、その期待は裏切られる。


「あ……」


 霧の向こうから現れたのは、猟師の装いをした人間──否、腐敗した身体を持つゾンビだった。ゾンビは、言葉にもならないうなり声を上げながら、ゆっくりとその手に持つライフルを構え始める。


「嫌……嫌だ! や、やめて、やめてくれ! 嫌だあッ!」


 そして、ゾンビはそのまま引き金を引き、銃声と共に1発の弾丸が発射される。そして、ゲビドアは思わず目をつぶり──


「──!!」


──ゲビドアとヘドルの身体を包んだシャボン玉によって、弾丸が防がれる。


「な、何しやがンだ、テメェ!」


「……ダメです」


「はァ!? 何が──」


「死んでしまったら、もう償えない!」


 ヘドルをはじめ、ヨールの叫びを聞いたその場の人間全員が、驚いた顔でヨールを見つめる。


「て、テメェ……」


「……だから、ダメです。絶対に」


「………」


 ヘドルは、ヨールの目を見る。その目には、およそ少年とは思えないような決心がこもっていた。それは、まるで──


「……じゃア、どォすンだよ。何か、良い手でもあンのか? あァ?」


「あります」


「……ンだと?」


「……タナリオさん」


 ヨールが、タナリオに向き直る。タナリオは、ただ黙ってヨールを見つめている。


「お願いします。みたいに、この人の夢の中にボクを入れてください」


「………」


 タナリオは、その場で1回深呼吸した後、口を開く。


「……まず、正直なオレの気持ちを伝える。コイツは、今回恐らく大勢の人間を殺した。下手したら今回だけじゃなく、何回もこんなことを繰り返してきたのかもしれない。だから、はっきり言って、オレはコイツを生かしておきたくはない」


「………」


「その上で、なお、オマエはオレに頼むのか? 『この人の精神の問題を解決する手伝いをしてください』と」


「はい」


 間髪入れない返答にも動じず、タナリオは再び無言でヨールを見つめる。


「何故だ」


「ボクはもう、目の前で誰かが死ぬのを見たくないんです。例えそれが、ボクがあの爆発事故の時に命を助けた結果、こうやって他の人を傷つけているような人だとしても。だから、どうかお願いします」


 そう言って、ヨールがタナリオに頭を下げる。しばらくそれを見ていたタナリオだったが、やがてため息をつき、


「……全く」


 そのままヨールの肩に触れて、彼を。そして、そのままその場で震えているゲビドアへと近づいていく。しかし、タナリオの前にヘドルが立ち塞がる。


「オイ、テメェ……」


「聞いていただろう。オレはこの子のを聞いてやらなきゃならない」


「オレだッて、マローのかたきを討ッてやらにゃア──」


かたき、じゃないだろう? その男にはまだ息がある」


「……ッ! 気づいてやがッたか、だがどッちだろォとマローを傷つけた事実ァ変わらねェ。オレァ──」


「まだ、わからないのか」


 タナリオが、ヘドルの顔面の前に手のひらを突き付ける──手のひらからは、金属製の刃が突き出ている。


「なッ……」


。キサマも立派な人殺しだ、キサマから殺してやっても良いんだぞ」


 タナリオのその目には光はなく、ただドス黒く真っ直ぐな殺意だけがヘドルに向けられていた。そのあまりの殺意に、思わずヘドルは後退りする。タナリオは刃を引っ込める。


「……じゃあ、行くぞ」


 そう言って、タナリオはゲビドアの頭に手を置く。直後、ゲビドアはそのままガクリと意識を失い──霧とゾンビが、辺りから姿を消す。


「オマエがそう宣言したんだ。しっかりやれよ、ヨール」


 タナリオが、床に倒れているゲビドアと──その夢の中にいるであろう、ヨールを見つめた。

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