事例15 恐怖⑥

『──大丈夫ですか? ヨール』


 壁も天井も白い、無機質な室内。そこにちょこんと置いてあるソファーにヨールは座っており、その横に1人の男──カウンセラーであるエリル・サクラムが現れる。


『あ、先生。その、あの時のことを思い出してしまって』


『あの時──ああ、あの爆発事故ですか。アナタは、本当に優しい子ですね』


『え?』


 エリルが、微笑ほほえみながらヨールの横に座る。


『確かに、あの時アナタは全員を助けることはできませんでした。しかし、あの状況で全員を助けることは、恐らくどうやっても不可能だったはずです。気にむ必要はありませんよ』


『でも──』


『ヨール』


 エリルが、ヨールに身体を向けて語りかける。


『過去にばかり囚われてはいけませんよ。大事なのは、過去を糧に未来へと進むことです。ゆるされざる罪を犯したと思うのなら、次は決してその罪を犯すまいと、そう心に決めておくことです。自らを罰しようとするエネルギーを、過去ではなく未来に向けなさい』



「──ル、ヨール、ヨール!」


 はっと、ヨールが目を覚ます。霧の充満した病室の中、目の前にタナリオが立っており、ヨールの肩を揺らしている。しかし、ヨールが目を覚ましたことがわかるとすぐに、「はぁ~……」とため息をついてへたり込む。


「タ、タナリオさん。どうしたんですか」


「どうしたって、むしろオマエの方だよ。いきなり叫んだかと思ったら、巨大なシャボン玉で爆炎を包み込んで、今度は白目いて倒れたんだから。大丈夫か? 本当に」


「えっ」


 ヨールが、ポカンと口を開ける。そういえば、とヨールは霧の向こうに自身のシャボン玉の気配を感じているのに気づく。タナリオがやれやれと言わんばかりに肩をすくめていると、その横にアゲンバとエスマナフが現れる。


「まあまあ、タナリオくん。取り敢えずは、カレがだった、ということで良いでしょう。それよりも、先ほどの話の続きをお願いします」


「そうよ。敵の1人がシャボン玉で捕まってるんだから、今のうちに話しちゃって」


 2人の言葉を聞いたタナリオは、深呼吸した後に話し始める。


「──そうだな。えー、確か、敵の能力の話だったと思う。先ほど言った通り、恐らく敵は霧の中にいる人物のを具現化できるのだと思う」


「恐怖の対象?」


「ああ。エスマナフに対して具現化されたのは、エスマナフのかつての教師。班長に対して具現化されたのは、班長の母親。どちらも──あまり言いたくはないが──2人のトラウマ、恐怖の対象のはずだ」


 タナリオの言葉を聞いたアゲンバとエスマナフが、少し苦々しい顔を見せる。


「……そう、ですね」


「まあ……実際そうね。流石のワタシも、アイツと対峙したら足がすくんじゃったもの」


「ああ。何より、先ほどヨールの目の前で、教師が爆炎に姿を変えた。ヨールの恐怖の対象は、間違いなくあの爆発事故だろう?」


「あ……その、はい。そうですね」


「つまり、そういうことだ。霧と具現化能力が無関係だとは考えにくいから、恐らく霧の中ではどこでも具現化現象が発生するのだと思う」


 タナリオが、脇腹をさすりながら話す。それに対し、アゲンバが続ける。


「ならば、これから敵を探すにあたって、何度かまたああいった存在と対峙することになる、というわけですか?」


「ええ、恐らく。班長もエスマナフも、そして一応ヨールも、1度は1対1で対処に成功しています。ですが、これから何度もヤツらに対応し続けられるかと言えば話は別だ。つまり──」


「──動くなら集団で、かつではなくを目指して行動すべき、ですかね」


「その通りです」


 うーん、とアゲンバがうなる。


「確かに、それが現状最善だとは思います。しかし、無条件に恐怖が具現化されるのであれば敵を探すのは難しいのでは──」


「それァ違うぜ、サツの皆さんよォ」


 ガタン、と思い切りドアを開ける音が霧の向こうから響く。直後、白い光の線──レーザーがヨールの額に向かって伸びる。その場の大人たちが騒然とする。


「なッ──よ、ヨール! 大丈夫か!」


「え、あ、はい! 大丈夫ですけど」


「気にすンな、光量ぐらい加減してある。ンなことより、そッちにいるんだな? 今から向かうぜ」


「え、ええ。その声は、『クモ屋』のミスター・ヘンナカミガタですね?」


「あ゛? 光量増やすぞゴラ」


「アッ、何でもないです~」


 そういった会話をしているうちに、霧の中から2人の人影が姿を現す──アシンメトリーヘアのヘドルと、ビッグテールのナネロである。ヘドルは、肩にボロボロの姿になったマッシュボブの男、マローを抱えている。特徴的な外見の2人だが、何より特筆すべきは、2人とも両目をつむっているように見えることだろう。


「おお、マジカル、くん。その、ご無事でしたか」


「左様。して、班長。その具現化の条件についてですが──」


 ナネロの言葉をさえぎって、タナリオが話しかける。


「いや、見れば何となくわかる。要は、霧の向こうを見るとかそういうことだな?」


「あァ、だいたい正解だ。もッと正確に言うなら、こォやッて細目で見る分にゃアわりと大丈夫らしィぜ」


「……なるほど」


 タナリオが、2人を見つめて考える。


(霧は先が見えないほどに濃い。霧の向こうを見ると恐怖が具現化される。だが、霧の向こうを見た瞬間必ず具現化されてきたわけではない。霧、向こう、恐怖の具現化……)


 そして、タナリオの頭に1つの発想が降ってくる。


「……ああ、なるほどな」


「ム、また何か浮かんだのか? マジカル☆タナリオよ」


「その呼び方苦手だからやめろ。……そうだな。少し実験させてほしい。班長、頼みがある」


「何でしょう」


 タナリオが立ち上がり、病室の奥へと歩みを進める。


「もしまた敵が現れたら、班長の能力で無力化してくれ」


「……了解しました」


 そう言って、タナリオが霧と対峙する。そして、その場でかっと目を見開く。それを見たヘドルが、慌てて霧の向こうへ戦闘態勢を取る。


「オイ、馬鹿野郎! そんなことしやがッた、ら……」


「………」


「……な、何だと? ……」


「やっぱり、か。おい、みんな、わかったぞ」


 タナリオが、ヨールたちの方へと向き直る。


「具現化の条件は、ただ霧の向こうを見ることじゃない。霧の向こうをことだ」



「……?」


 警察病院の1室。その男は、霧が充満しだした時と同じ体勢でうずくまっている。


「お、おかしい。急に、恐怖の具現化が止まっ──」


 男が、突如立ち上がる。その顔は恐怖に歪んでおり、冷や汗が首筋を伝い、過呼吸になって咳き込む。


「き、き、気づかれた!? まさか、ボクの能力のがバレ──」


 しかし、すぐにハッとして、男は先ほどのようにうずくまる。


「いや、そんなはずはない。そんなことはありえない。だ、大丈夫、大丈夫なんだ。ボクの能力は無敵なんだ、大丈夫。万事順調に進行中、万事順調に進行中、万事順調に進行中……」


 そう自分に言い聞かせる男は、相変わらず余裕のない表情を浮かべていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る