事例13 恐怖④
魔法少女を自称する警察官、ナネロ・アラヴァイカン。彼が生まれたのは、高名な牧師の家だった。彼らが住んでいたのは田舎の小さな農村であり、当時はインターネットもなく娯楽が少なかった。そんな中で、住民は他の住民とのコミュニケーションを楽しんでいた。その中心にあったのが、牧師であるナネロの父であった。
ナネロの父の教会には、連日多くの人々が
そんな家にあって、ナネロは常に不満を抱えていた。『村の中心として住民たちの見本にならねばならない』という考えの下、彼の父によって多くの厳しいルールが課せられたからである。そのルールを少しでも破ろうものなら、父から強烈な罵詈雑言を浴びせられた。その言葉に暴力がついてくることも、彼の家では珍しくなかった。そうして、ナネロは完璧な、高名な牧師の家の子として相応しい青年となった。
ある日の、ナネロが父の手伝いをしながら住民たちとの会話を楽しんでいる時のことだった。
『ナネロお兄ちゃん、魔法少女って知ってる?』
村の少女からそのワードを聞かされた時、ナネロは全くそれに興味を示さなかった。『海外のよくわからない文化なんだなあ』という程度にしか思っていなかった。しかし、少女がその魔法少女なるヒロインについて熱く語るのを聞き、『そこまでのものなのか?』と、ほんの少しだけ観てみたくなった。そして、少女からアニメのDVDを借り、自宅でこっそりと観てみた時──
『何だこれは!? これが、これが魔法少女……!?』
幼い身であまりにも重い使命を課せられた少女たち。そんな彼女たちをあざ笑うかのように、彼女たちの日常さえも壊して次々と襲い掛かってくる悪魔のような敵ども。しかし、そんな中でも彼女たちは決して諦めず、決して挫けることなく、その顔に勇敢な笑みさえも
『──自分も、こうありたい──』
牧師の家の息子として相応しくならねばならないという抑圧に縛られた自分の人生。それに対して、彼女たちはなんと自由で、なんと
その日から、彼の人生は変わっていった。誰に言われるでもなく魔法少女系のアニメを収集し、やがてあの少女とは比べ物にならないほど魔法少女に詳しくなった。自室では魔法少女のポーズをこっそり練習し、野太い喉から甲高い裏声を絞り出して声真似すらしていた。そして、彼が我慢できず魔法少女の衣装を購入した時、事件は起きた。
『ナネロ、これはどういうことだ』
あの父親に、衣装が見つかってしまったのである。
『オマエ、まさか、女になりたいとか言うんじゃないんだろうな』
そう言い放つ父親の目には、まるで吐瀉物でも見るかのような軽蔑と嫌悪がこもっていた。
(違うのに。女性になりたいわけじゃないのに。ただ、彼女たちの在り方に憧れただけなのに)
ナネロの心に、どうしようもない恐怖が上ってくる。
『と、父さん──』
『神の
父親が、自分の気持ちを何も理解せず、そのつもりすらないとわかったその時。ナネロの中で、何かが壊れた。
『──うわああああっ!』
『ナネロ!』
次の瞬間には、ナネロは家を飛び出していた。親が止めるのも、道中見知った住民たちとすれ違うのも構わず、彼は一心不乱に走り続けた。彼は、ただ、逃げた。
気がつけば、ナネロは見知らぬ街までやってきていた。辺りを見回しても、すっかり暗くなった見たこともないようなビル街が広がっているだけだった。ナネロは呆然として、ただその場にへたり込んだ。
『……大丈夫ですか? キミ』
魂が抜けたかのような顔で、ナネロが目の前の男を見上げる。そこにいたのは、頭に包帯を巻き、顔に奇妙な紋様が刻まれた男。
『……お巡り、さん?』
『ええ。何かお困りでしたら、力になりますよ』
そう言って、その警察官──アゲンバは、ナネロに手を差し伸べた。ナネロはその手を取り、やがてアゲンバの家に居候することになった。そうしてしばらくして、彼は自身の生き方について考えるようになった。
(──自分も、あの彼女たちのように、誰かを救える人間になりたい──)
そして、ある日。彼は、アゲンバに言った。
『アナタと同じ職に就くにはどうすれば良いか、教えてくれないか』
こうして、彼は警察官としての道を歩みはじめた。
*
現在、警察病院廊下。変な髪型の
「フフ、そんなに震えるほど喜んでもらえるとは。こっちまで嬉しくなるなあ、ええ?」
「オイ、おッさん! 何震えてンだよ、テメェそンなキャラじゃねェだろォが」
「……はァ……はァ……」
父が──20年以上もの間怒号と暴力で自分を抑圧してきたあの父が、目の前にいる。その事実に直面し、ナネロはまともに言葉を発することができない。
「さあ、ナネロ。帰るぞ。こんなところで変なピンクの髪なんか見せつけてないで、父と共に神の教えに生きようではないか」
ナネロが、唇を噛んで恐怖に耐える。しかし、彼の足は少しずつ、まるで何かに引っ張られているかのように目の前の父親の方へと近づいていく。
「……ごめん、なさい。と、父さん」
「フフフフ。ようやくわかってくれたのだな。そんな冒涜的な女装趣味など捨てて、ワタシの家で暮らすべきなのだと」
そう言って、父親は両手を広げてナネロを迎えるポーズを取る。その笑顔に底知れぬ威圧感を覚え、ナネロは益々逃げられなくなる。
「さあ、来なさい。そして帰ろう、愛しの我が──」
「オイ、ジジィ」
ナネロが、その声に歩みを止める。振り返ると、その声の主がREDS犯罪者──ヘドルであることに気づく。
「テメェ、今何つッた? コイツの髪のこと、『変な髪』ッつわなかッたか?」
「……? そうですが、一体──」
ナネロの父の言葉が終わるより先に、父親の顔面にヘドルの蹴りが入る。思わず父親は吹っ飛び、床に倒れる。ナネロが目を剥いてヘドルを見る。
「な──」
「ヒトのヘアスタイル馬鹿にしてンじゃねェよ、ゴミ」
ナネロの父親は、その場でしばらく
「いつつ……。いきなり何をするのですか、これはワタクシと息子の問題ですよ」
「知るかよ。オレァテメェが気に食わねェだけだ。あ、あと1つ言ッとくが、アレァツインテールじゃなくてビッグテールだ」
ナネロの父親が、自身の服をはたきながら続ける。
「……良いですか? この子は先ほど1階で遭遇した時、ワタクシから逃げたのですよ。何もやましいことがないのであれば、逃げる必要などないはずでしょう? それなのに逃げたということは、心のどこかに神の御心に逆らったことへの罪悪感が──」
「ハッ! くッだらねェなァ、ジジィ!」
ナネロの父親の
「オレァテメェらの教えとかに全く興味ねェしよくわかンねェからあれだけどよ。結局テメェは神サマのお気持ちとか適当ぶッこいて、テメェの嫌悪感正当化して1人で勝手に気持ち良くなッてるだけじゃねェか。そンなテメェこそ罰当たりなンじゃねェのか?」
「なッ……何を、ワタクシは敬虔な牧師なのですぞ! それに、このナネロは神の教えに背いてこんな女装を──」
「そォいうよォ、テメェの主義主張をみんなだの偉いお方だのに代弁してもらわねェと何も言えねェ弱虫未満のゴミ虫がオレァ大嫌いなンだよなァ。ま、それに何も言い返せねェ弱虫も好いちゃアいねェが」
「……!」
ヘドルがひとしきり言い返した後。今度はナネロの方を向いて話す。
「オイ、おッさん。テメェ、さッき抜かしてたよなァ? 確か、『魔法少女は挫けませェん』とか何とか
ヘドルは、
「弱い弱い、」
一歩一歩ナネロに近づき、
「惨め惨め、」
ナネロの前に立つ。
「哀れ哀れェ! そンな底辺の生きモンの極みだなァ、テメェ。えェ?」
そう言われ、更にはヘドルに中指を突き立てられたナネロは、無言でその言葉を
「……オレらをぶッ倒したテメェに、こんな雑魚に負けられちゃア困るンだよ。さァ、どうすンだ。フィジカルでマジカルなナネロさんよォ!」
その最後の言葉が、ナネロの全身を巡る。それは大きなエネルギーとなって、失われていた彼のパワーを蘇らせてくれる。彼の細胞が、筋肉が、今再びマジカルさを取り戻していく。
「……感謝する、凛々しき
そう言うと、今度はしっかりとした足取りで、ナネロは父親の前に立つ。
「全く……言うことを聞かない
ナネロの父親は、服の胸元に手を入れ、そこから1丁の拳銃を取り出す。そして、そのままナネロの方に向ける。
「これ以上の面汚しは不要だ。ここで──」
「この身は」
父親の言葉を遮るように、ナネロが口を開く。
「この身は、魔法少女マジカル☆ナネロ。牧師の家の子たる、矮小なるナネロ・アラヴァイカンには最早
そう告げた瞬間、ナネロは思い切りその場で両足を踏み込む。床に小さなクレーターが2つ生まれ、彼の全身を光が、オーラが包み込む。やがて、彼の姿が光に包まれ見えなくなる。父親とヘドルが、その
「ヌウウッ! マジカル☆チェエンジッ!」
彼の一言と共に、光が彼から離れる。そして、そこには──
「──マジカル☆ナネロ、ティックルドピンク☆モード。さあ、いよいよ
──あの時、父親に見つかった魔法少女の衣装を身にまとった、満面の笑みのナネロがいた。
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