事例12 恐怖③
「加勢します、班長!」
白い霧の充満した病室にて、アゲンバが床を這いずる下半身のない女と対峙している。そんな中、霧の向こうからタナリオの声が響く。そして、すぐにアゲンバの隣にタナリオが現れる。
「タナリオくん! 大丈夫なのですか」
「しょ、正直、コンディションは壊滅的です。でも、班長だけでは流石に不安でしょう」
「否定は──できませんね。とにかく、協力感謝します」
2人が話しているのも束の間、ビチャビチャという生々しい水音を立てて、露出した内臓を引きずりながら女が現れる。2人は目の前の敵に意識を向ける。
「ウウ、あげんば、あげんばアア……」
「……!? 班長、この人──」
瞬間、どうやってか女は思い切り跳躍し、アゲンバに飛びかかる。それをタナリオが掴み、床に押さえつける。
「コイツ、何て力を……!」
「嫌アアアア! 離シテ! 離シテエエ!」
耳をつんざくほどの女の悲鳴に、思わずタナリオとアゲンバは耳を塞ぐ。その隙をついて女はタナリオの拘束からするりと逃れ、信じられないスピードでアゲンバの方へと這い寄っていく。
「しま──」
「あげ、あげんばアアアッ!」
そして、女は3度目の跳躍を行い、アゲンバにその鋭い爪で斬りかかろうとする。しかし、
「──『仏の顔も3度まで』」
女はそのままあらぬ方向へと落下し、そのまま動かなくなる。女の胴体の断面から覗く心臓が、不規則なリズムで
「フゥ……これで、ひとまずは安心でしょう。タナリオくん、大丈夫ですか」
アゲンバが、床に突っ伏したままのタナリオに声をかける。タナリオは、アゲンバに振り向くこともできない。
「……ちょっと、あ、あばらが……」
「無理をするものではないですね。取り敢えずホラ、せめてもう少し安静な体勢に……」
そう言って、アゲンバがタナリオを介抱する。身体に走る痛みにもだえながらも、タナリオは床に転がる女を見つめる。
(班長の能力だな。自身や自身と親しい人間に3度同じ攻撃をした敵を、強制的に昏睡させる……。どうやらコイツ、既に1度攻撃をしていたらしい。それにしても、この女……)
「は、班長」
「ん? どうかしましたか、タナリオくん」
「その……そこに倒れている人、もしかして……」
アゲンバも女を見つめ、少し悲しそうに眉をひそめる。そして、ため息をつく。
「……ええ、間違いない。ワレの母ですよ、この
*
(さて、どうしたものかしら)
病室にて、ヨールを背後に下がらせながらエスマナフは考える。ヨールはやや状況を飲み込めていない様子を見せつつも、心配そうに彼女の方を見つめる。
(さっきのゴリラ教師の攻撃、99%の確率でただの近接系の攻撃、残りの1%で遠距離もできるのを隠すためのブラフ。まあ、アイツのレーズンぐらいの脳みそでそんなこと考え付くとは思えないし、ブラフ説は気にしなくて良さそうね)
エスマナフは一度気合いを入れるように「フゥ」と息を吹いた後、ヨールに話しかける。
「良い? 一応キミは身柄を拘束されてたんだから、あまり無茶をされちゃ困るわけ。だから、能力は自分の身を守るのにだけ使いなさい」
「は、はい。わかりました」
「オッケー、聞き分けがよろしい。後でジュースでも
エスマナフがヨールに微笑みかけた直後、彼女は自身に急接近する気配を察知し、ヨールを突き飛ばしながら後退する。直後、霧の中から例の教師がヌッと現れ、組んだ両手を思い切り振り下ろす。病室が揺れ、床に小さなクレーターができる。
「──全く、最近のゴリラは普通の人の限界すらわからないのかしら」
「ふふふ、良イゾ。ソノ憎マレ
ヨールが霧の向こうに消えたのを尻目に、エスマナフは目の前の敵に視線を向ける。その姿は確かに、かつてエスマナフに暴行を加えた非道な教師のそれである。
(さて、迷わず正確に距離を詰めてきたわね。しかもこの自信たっぷりな一撃。と、なると──)
「──アンタ、見えてるわね? この霧の中で、ハッキリと」
「ふひひ……。ヨク分カッタナ。ソシテコレモ分カルダロウ、モウおまえハ逃ゲラレナイ」
ゲヒゲヒとよだれを垂らして笑う教師を見て、平静を装いつつもエスマナフは吐き気を覚える。しかし、再び呼吸を整えて、今度はニヤリと笑ってみせる。
「そう。なら──最高に好都合ね」
教師が首をかしげているのも気にせず、エスマナフはその場で軽くストレッチする。手や足を軽く伸ばした後、再び話しかける。
「しっかり見えるのよね、アタシの姿が? でも、アタシのご尊顔までは見れない。前髪で隠れちゃってるもの。見たいでしょ? あの時以来だものねえ」
「……!」
「なら見せてあげるわよ。アタシの、
そう言って、エスマナフは前髪に手をやる。教師は生唾を飲みながら、前髪で隠れている彼女の顔を見つめている。そして、目撃する。
「……ナ……何……ッ!?」
エスマナフの左目には──もとい、左目のあるべきところには、唇があった。左目の代わりに、それと同じくらいの大きさの口が存在しているのだ。そして、その口の形は、まるでこの教師を嘲笑っているかのようである。
「アンタは知らないでしょうね! アタシが
教師がエスマナフの顔に驚愕しているのも束の間、彼女が1歩のうちに間合いを詰めてくる。教師は慌ててガードの体勢を取り、顔面に入るはずだった重いパンチを腕で受ける。その衝撃からか、教師は頭に痛みを覚える。
(……オ、女ノ
顔面をガードしている腕の隙間から、教師はエスマナフの姿を見ようとする。しかし──そこに彼女の姿はない。
「ハ──」
刹那、何故か既に教師の背後にいたエスマナフが、彼の肩にかかと落としを入れる。もろに重い一撃を食らった教師は、思わず床に倒れる。しかし、すぐに体勢を立て直して背後を振り返り──いるはずだったエスマナフの姿を探して辺りを見回す。
「こっちよ、アホゴリラ」
教師が声の方に振り返るのと同時に、エスマナフが彼の頭を掴む。そして、思い切りその頭を振り下ろし、膝蹴りをかます。
「げぶッ……!」
息苦しさや痛みも構わず、教師は両腕でエスマナフの身体を掴もうとする。しかし、やはりそこにエスマナフはおらず、今度は教師の右側からドロップキックをお見舞いしてくる。筋肉質で重い教師の身体が吹っ飛び、病室の壁に叩きつけられる。ズキズキと、強烈な頭痛が彼を襲う。
(何ダ!? 何カガオカシイ! マルデ、マルデ瞬間移動デモシテイルカノヨウナ──)
その思考を遮るように、エスマナフの拳が教師の顔面に入る。1発、また1発と、重い拳が何度もその顔面を殴り潰していく。その度に教師の腕がピンと伸びるが、やがてダラリと力を失い、そのまま反応しなくなる。エスマナフが教師の前で仁王立ちし、首をコキコキと鳴らす。
「不思議に……思ってるでしょうね。何でアタシが瞬間移動してるように見えるのか」
エスマナフは、首を振って前髪を顔からどける。そして、左目の代わりにある口を指差す。口は歯を剥き出しにして笑っている。
「アタシの左目はね、見た人間の記憶を食べるのよ。直前の記憶を食べちゃえば、当人はまるでアタシが瞬間移動したかのような感覚に陥る。……ま、今言ったこの情報もアンタの脳みそから食らい取っちゃうけどね」
そう言い放った後、エスマナフはしゃがみ込んで教師の顔を覗き込む。鼻があらぬ方向に曲がってしまっているだけでなく、顔面全体が最早誰なのかわからないほどに歪んでいる。
「それにしても、強くなったでしょ? アンタらみたいなのにまたやられるわけにいかないから、第1班で2番目に強い近接格闘ができるぐらい肉体と技術を鍛えてきたのよ。でも……」
エスマナフは、教師がめり込んでいる壁の近くにある扉に視線を移す。
「……1番目には、流石に全く及ばないわね」
*
「グオオオッ!」
「その程度か、鬼よ!」
廊下の真ん中で、筋骨隆々のオーガとこれまた筋骨隆々のビッグテール男──もとい、魔法少女マジカル☆ナネロが組み合っている。両者の力は見事に拮抗しているが、オーガの方がやや余裕のない表情をしているように見える。
「そのまま動くなよォ、おッさん!」
ナネロの背後から、アシンメトリーヘアの犯罪者へドルが現れる。そして、射線上にナネロが入らないように注意しながら、オーガの脳天目掛けて指先からレーザーを放つ。オーガの頭部には確かに焼け焦げた穴が空き、一瞬オーガはナネロに押されて後退する。しかし、
「──グオオ!」
「クソ、やッぱ効かねェか!」
再びオーガが押し返し、拮抗状態に戻る。へドルが苦い顔を浮かべる。
「奇怪な髪型の御仁!」
「あァ!? ンだよおッさん!」
ナネロが振り返り、迫真の表情でへドルに叫ぶ。
「この身は魔法少女マジカル☆ナネロ
「うるッせェな畜生! テメェのどォこが魔法少女なンだよ!」
その言葉を聞いて、ナネロは一瞬呆気に取られた表情をした後、笑う。
「……『何が人を魔法少女たらしめるか』と。ふ、実に良き問い也」
「違ェよ! テメェ脳みそどころか耳まで腐ッてやがンのか!?」
「ガアアアアッ!」
へドルとナネロのどうでも良いトークに割り込むように、オーガが雄叫びを上げてナネロを押し込む。ジリジリと少しずつナネロが後退していく。
「……良かろう。ならば、魔法少女にとって最も重要な事を教えてやろう。魔法少女は──」
「グゥオオオッ!!」
オーガが再び雄叫びを上げ、思い切りナネロを押し込む。しかし、その瞬間ナネロはオーガを掴んでいた手を離し──
「──魔法少女は、挫けない」
──押し込んだ勢いで倒れてくるオーガを、更に勢いをつけて投げ飛ばす。オーガの身体が、まるでピンボールのように廊下の壁や天井に当たって何度も跳ね返り、ナネロたちから遠ざかっていく。へドルが、口をあんぐりと開けてそれを眺める。
「ふむ、これほどのマジカル☆距離を取れば良いだろう。さて、奇怪な髪型の御仁、そこのお仲間をマジカル──」
「随分と楽しそうだな、ナネロ」
「──!?」
突然、気配もなく背後から聞こえた声に対し、ナネロとへドルが振り返ると同時に距離を取る。そこには、まるで牧師のような格好をした初老の男性が立っていた。それを見たナネロの顔から、余裕が消えていく。
「あ、ああ……」
「オイ、何なンだよ次から次へと! こッちはさッさとマローを──」
「まあまあ、お気になさらず、変な髪型のお方。ワタクシめは、そちらのナネロに用があるのです」
「はァ? このおっさんがどういう──つゥか待て、オイ誰が変な髪型だッてオイゴラァ」
初老の牧師が、にこやかな表情で話を続ける。
「ナネロ、楽しそうだな。オマエがいつの間にこんな仕事に就いていたとは、知らなかったぞ」
「………」
「……あ? オイおッさん、テメェあのジジィと何か関係──お、おッさん?」
へドルがナネロに目をやると、その筋肉質の身体はガタガタと震え、顔面には大量の汗が流れている。ナネロは目を見開いて、呼吸荒く目の前の牧師を見つめている。
「何だ、あまりに嬉しくて震えているのかね? さっき会ったばかりだろうに」
「……ご、ごめんな、さい」
ナネロが言葉に詰まった後、1呼吸置いて必死に言葉をつむぐ。
「……お父、さん」
「そうだ。久しぶりにそう呼んでくれて、父はとても嬉しいぞ」
息子の怯え具合など気にしていないかのように、その牧師──ナネロの父は微笑んだ。
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