事例11 恐怖②

「皆さん! 無事ですか!」


 濃い霧に包まれた病室の中、アゲンバが叫ぶ。既に周囲は五里霧中、最早手元すらまともに見えないほどの状態になっている。アゲンバはひとまずその場に留まり、病室における自身の最終位置の保持を優先している。


「ああ! オレは問題ありません、班長」


「こっちも大丈夫!」


「は、はい! ボクもその、問題ありません!」


 霧の向こう、さまざまな方向から、ヨールたちの声がアゲンバの耳へと届く。その声の方向と大きさから、アゲンバは3人──特に、ベッドの上に固定されているであろうヨールやタナリオとは別に、先ほど扉を開けたエスマナフも直前までの位置を保持していると確信する。


「……オイ、エスマナフ! あの連中はどこに行った!」


 霧の向こうでタナリオが叫ぶ。エスマナフはゆっくりと、しかしやや急いで壁をつたい、1つ目のベッドにたどり着く。ベッドの横には車椅子が置いてあり、彼女が身を乗り出してベッドの上の人物を確認すると、そこには苦しそうな表情で横たわるガイリがいた。


「──1人目! 車椅子の女の子! 無事!」


 エスマナフは叫びながら、ガイリのいるベッドをつたって次のベッドへと移動する。そして、再びエスマナフがベッドに身を乗り出し──


「い、いない! あの変な髪型野郎いないんだけど!?」


 その横で、アゲンバも壁とベッドをつたってもう1人のクモ屋、マッシュボブの髪型をしたマローのベッドを確認している。そこには、既に外された手錠だけが置いてある。


「……ダメですね、こちらもいない。どうやら、『クモ屋』の男性陣は2人とも逃走したようです」



「マロー! こッちだ」


 病室の廊下にて、変な髪型野郎ことヘドルとマローが忍び足で進んでいる。2人の手は今や自由であり、濃い霧の中、マローはヘドルの先導で少しずつ下へと進んでいっている。


(何だか知らねェが、とにかくラッキーだッたぜ。オレァ素で目が良い、ヤツらの視線をくぐッて逃げられた。身体はまだ痛むが、これで難なく病院から抜け出せる。動けねェガイリを置いてくのァつれェが──ガイリがオレたちの立場でも、同じことをするだろォよ)


 そんなことを思っている矢先、ヘドルは気がつく。マローが、ヘドルの背後にいない。


「オイ、マ──」


「ひいッ! 来るな、来るなあッ!」


「マロー!? どうした! オイ!」


 ヘドルが振り返ると、天井のライトに照らされた霧の向こうに2つのシルエットが見える。片方はマッシュボブらしき髪型をしているが、もう片方は明らかに人間の形と大きさではなく、かがんだオーガか何かに見える。


「なッ──」


「嫌、嫌だああッ──」


 瞬間──オーガのシルエットの腕が、マローらしきシルエットを叩き潰す。ヘドルの身体に、生温かい血飛沫ちしぶきがふりかかる。


「──テメェエエッ!!」


 ヘドルはすぐさまオーガのシルエットの頭を指差し、指先からレーザーを放つ。レーザーは霧の中で白い光の線を描きながら、まっすぐオーガの脳天を貫く。


「よくも、よくもマローを! このクソモンスター野郎がァ!」


 ヘドルは何度も指先からレーザーを発射し、その全てがオーガの頭部を貫通していく。計12発の攻撃を受けたオーガのシルエットは、その場でよろめき──


「──は?」


──腕を振り下ろしながら、霧の中からその醜悪な姿を露にする。慌ててヘドルはその攻撃を回避し、ヘドルの立っていた場所の床が振動と共にひび割れる。


(オイオイ嘘だろ!? 全発ド頭にブチ込ンだンだぞ!?)


 ヘドルの目の前のオーガは、「グオオ……」と低くうなりながらふらふらと歩いている。その頭には、確かにいくつも焼き焦げた穴が空いているように見える。


(このままだとマズい、オレの太陽光線ソーラ・レイのチャージが切れちまう……! そうなッたら、確実に──!)


 ヘドルは素早い身のこなしで、オーガの背後に回る。そして、今度は心臓の辺りを太陽光線ソーラ・レイで撃ち抜くが──オーガは苦しむ様子すらなく、ヘドルは敵の放った裏拳をもろに食らう。


「しまッ──」


 ヘドルは尋常でない勢いで、廊下の壁に叩きつけられそうになる。しかし、ヘドルが覚悟した激痛はなく、気がつけば彼は何者かに抱えられていた。


「──!?」


「……なるほど、何ともフィジカルでマジカルなものよ」


 呆気にとられつつ、ヘドルが自分を抱える男の顔を見る。ヘドルはその見覚えのある顔を見て目を見開き、その目にピンク色のツインテール──もとい、ビッグテールが当たって痛がる。


「ぐォッ! て、テメェ、あン時の……!」


 男はヘドルを床に立たせ、彼の前に立って臨戦態勢を取る。その背中はあまりに広く、ヘドルにはその背筋の描く模様がまるで笑顔を浮かべているかのように見える。


「この身は、魔法少女マジカル☆ナネロ。これより慈悲深くも無慈悲なる心でもってして、キサマらREDSレッズ犯罪者どもの野望を打ち砕かん」


 オーガと筋骨隆々の男──もとい、が睨み合った。



「……ひとまず、カレらのことは後回しで。この状況で無闇に探しに向かうのは危険です」


 もぬけの殻となったベッドを見ながら、アゲンバが告げる。その場に残る全員──ヨールも、エスマナフも、そしてタナリオも反対の言葉を発しない。


「そうですね。それよりも、今はオレたちの方を何とかしてもらえませんか」


「手錠とAREDアレッド、それに──キミのギプス、ですね?」


「ええ。このままだと、攻撃された時に回避や反撃ができませんからね。……まあ、外したところでこの負傷、まともに動ける自信はないですが」


 アゲンバは一瞬考えたが、すぐに「了解しました」と言ってタナリオのベッドに近づく。そして、腰にかけていた手錠の鍵を手に取って──


「何デ……」


「──!」


──前方から聞こえる声に気がつく。アゲンバは、霧の向こうにが這いずっているのを目撃する。


「あげんばァ……何デ、何デエエ……」


「……その、声は」


 アゲンバは平静を保とうとするが、その顔には恐怖の色がにじみ始める。アゲンバの呼吸が速くなる。


「何デ……わたしヲ、殺シタノオオオオ!!」


 その声の主──下半身がなく、腹部の断面から内臓がこぼれ落ちそうになっている女が、霧の中からアゲンバに飛びかかる。


「クッ──!」


 アゲンバは斜めに身をよじり、寸前で女を回避する。女がベチャリという音を立てて床に落下し、この世のものとは思えない叫び声を上げる。


「班長! 何があったの!」


「攻撃です! こ、これは恐らく本体ではない! ワレが応戦しますから、エスマナフくんは早くタナリオくんとヨールさんの拘束解除を!」


「了解!」


 言うや否や、エスマナフは前方のヨールのベッドへと走りだし、同時に腰から手錠の鍵を取り出す。そして、そのままの勢いでヨールの真横に移動し、目にも留まらぬ早業で手錠を外す。そのあまりのスピードに、ヨールが驚き困惑する。


「うわっ!?」


「じっとしててね、まだAREDは起動中なんだから!」


 そう言って、エスマナフは足元にあるAREDに触れようとして──ベッドの反対側に何者かが立っているのを見て、ヨールを抱えてベッドから離れる。霧の向こうで、ガシャンと大きな物音が響く。


「何!」


「ヒヒ……『何』トハ、失礼ジャナイカネ? えすまなふ」


「──なっ」


 エスマナフは、霧で姿の見えない襲撃者の声に聞き覚えがある。その声によって、エスマナフは自身の学生時代を思いだし──襲撃者の正体に思い至る。


「……嘘、って言ってくれはしないのかしら?」


「アアア……良イ肌、良イ顔、良イ尻ヲ、マタ……」


 エスマナフは、恐怖と嫌悪に顔を歪ませる。そして、ヨールを一度床に立たせ、自身の顔面に1発ビンタをかます。


「フゥ……ホンット、ねちっこくて気持ち悪いゴリラだこと」


 そして、覚悟の決まった目で襲撃者のいる場所を見る。


「アンタのこと──昔っから大っ嫌いなのよね! このセクハラ教師!」


「フヒヒ! 楽シマセテクレヨ? えすまなふ……!」



 部屋の2箇所から聞こえる先ほどまで存在していなかったはずの声に、タナリオは冷や汗をかく。


(この状況で複数の敵が現れたのか!? しかも、ドアを開ける音も窓を破る音もしなかった。つまり──敵はことになる!)


 タナリオは急いでベッドから立ち上がろうとして、身体を固定するギプスや全身に走る痛みに遮られる。しかし、それでもタナリオは強引に身体をねじり、次々と固定具を外していく。


「グッ……!」


 タナリオは激痛に顔を歪ませながらも、何とかある程度の身体の自由を得る。そのまま、タナリオはゆっくりとベッドから降り、立ち上がる。


(だが、取り敢えずは好都合だ。この異常事態が逆に、オレに敵の能力の正体を教えてくれる。まだ情報は足らないが……とにかく、今はこうするしかない)


 タナリオは大きく深呼吸した後、叫ぶ。そして、


「加勢します、班長!」


 霧の中、アゲンバの声がした方へ走り出した。

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