事例8 ニワトリ課②
「──それで、エリル先生が、何か?」
警察病院の病室にて、包帯の男アゲンバとヨールが話している。その話題は、ヨールがかつて身を置いていた展望ラボの現在の
「結論から言いましょう。昨日──ザニア・ラウマンさんが、本人確認が難しいほどの惨殺体となって発見されました」
「──ッ!」
ヨールが、恐怖と絶望の入り交じった表情で口を押さえる。ザニア。昨日、ヨールがタナリオの協力の下で夢の中に入り、その夢を解決してあげたばかりの少女。その少女が、殺された。しかも、話の流れ、そしてその死に方から、ヨールには容易にその犯人が想像できた。
「……嘘、ですよね?」
「残念ながら、事実です。付近に落ちていたおもちゃの拳銃から、警察によって捜索されていた偽警察官『ザニア』の指紋が発見されています。タナリオくんが証言してくれましたが、この2人は同一人物ですね?」
「……は、い……」
ヨールはうつむき、震えだす。それを見て、しかしそれでもアゲンバは言葉を続ける。
「そして、死体の損壊具合からして、その殺害方法は通常のものではない。何より──その死体を構成する物質からは、ある特定の波形が検出されています」
「……波形、ですか」
「
「もう! ……もう、大丈夫です。流石に、ボクでも、わかりますから」
「……そうですね」
ヨールが涙声で震えながら訴えるのを見て、アゲンバは少し沈黙する。そして、ヨールの呼吸が少しだけ整ったのを見て、再び話しだす。
「……今回、展望ラボに珍しく大きな動きがあったのです。だから、ワレワレは彼らの尻尾を掴まなければならない。そして、カレらに辿り着く最大の手がかりは──ヨールさん、アナタなんですよ」
「……ボク、ですか」
「ええ。アナタは展望ラボにいただけでなく、エリル・サクラムをはじめとする展望ラボの面々と接触している。……是非、ワレワレに力を貸していただきたい」
ヨールは、うつむいたまま何も言わず、アゲンバの言葉を
(タナリオくんから『この子は強い子だ』と聞いていましたから、少し早足で話してしまいましたが……やはり、子供の身にはあまりにも荷が重い話なのでしょう。取り敢えず、今日はこれくらいにしてしまいますか)
顔が見えないほどうつむいてしまったヨールを見て、アゲンバは腕時計を
「わかりました」
「──え?」
──声を発したヨールの方を向く。気がつけば、ヨールは顔を上げていた。
「その……ボクも、正直あまり詳しくはない、ですけど。でも、これ以上。これ以上、先生たちに誰かを不幸にしてほしくないから。だから……知っていることは、全部、お話しします」
アゲンバが、しばらく
「……キミは」
「え?」
「……いえ、何でもありません。ご協力感謝します、ヨールさん」
アゲンバが、深く頭を下げる。そして、再び椅子に座り、ヨールに向き直る。
「ではまず……そうですね、確認も兼ねて、あなたが展望ラボについて知っていることをお話いただきましょうか」
「は、はい。わかりました。まずは──」
*
展望ラボ。それは、とある富豪が設立した
ヨールは、その展望ラボの被験者の1人だった。彼は元々眼鏡をかけたアバガッロという男の下で暮らしていたが、ある日その男に「新しい家」として連れてこられたのが展望ラボだった。
そこでは、拷問に近い様々な実験を受けた。わけのわからない液体を飲まされて全身をつんざく痛みに苦しんだり、脳を何かの器具でいじられながら会話させられたり、呼吸のできない状態で3分間放置されたり。ヨールにその実験の意図はわからなかったが、それでも常軌を逸していることだけはわかった。その中で、ヨールには
実験の後、ヨールは被験者棟に移動させられた。そこには自分の他にも被験者がおり、ヨールはよく彼らと遊んだり会話をしたりしていた。地獄のようなラボでの生活の中で、この棟での時間だけがヨールの唯一の癒しだった。この中で、被験者たちは互いに結束を強めていった。
ある日、ヨールたちは実験を受ける前に被験者棟の広間へと集められた。それからしばらくして、轟音や閃光と共に──被験者棟の中で爆発が起こった。この時のことを、ヨールはあまり覚えていない。覚えているのは、無我夢中で自身のシャボン玉を用いて出来る限りの被験者を助けたことだけである。この時、普段は出現させられない量と大きさのシャボン玉を出現させたのだが、何故そんなことができたのかもヨールはわからなかった。
ヨールの記憶に残っている次のシーンは、被験者棟の外で巻き起こっている大混乱である。研究員をはじめとする施設スタッフが右往左往し、生存者は泣き叫ぶ。ヨールが助けたためにヨールのいた棟の被験者の多くが無事だったものの、他の被験者棟では大勢の死傷者が出たらしかった。この光景が、ヨールの脳裏に今でも強く焼き付いている。
その後、警察をはじめとする行政機関の介入によって展望ラボは解体され、生存した被験者は救出された。しかし、ある日ヨールたちの
*
「──なるほど。やはり、ラボの残党を主導しているのはエリル・サクラムなのですね」
「はい、そうです」
アゲンバは、自身の手帳に書いてある情報を見ながらヨールの話を聞いていた。その情報とヨールの証言にほとんど差異はなかったが、生存する被験者による裏付けというだけでもかなりの収穫だった。
「では、何故アナタはそこから抜けることができたのですか? エリル・サクラムが逃がした、ということなのでしょうか」
「その、先生は『あくまで計画に賛同してくれる人にだけ来てほしい』と言っていました。ボクは……その、やっぱり、ボクが許されるなんて受け入れられなくて。それで、先生に言って、自分から出ていきました」
「ふむ。『自分が許されることが受け入れられなかった』、ですか」
ヨールが再びうつむく。その顔には、悔しさのようなものが浮かんでいるように見える。
「……あの、爆発事故の時。ボクは、さっき言ったように、同じ棟の被験者を助けようとしたんです。でも、それ以外の人たちは──研究員の人たちとかは、助けなかった。ボクは、自分が助けたい人しか助けなかったんです」
「それは──それは、仕方のないこと、では? あのような極限状態では、むしろそれだけ助けられただけでもすごいことですよ」
ヨールが首を左右に振る。
「そんなことない。ボクは、みんな助けられたかもしれないのに、選んじゃったんです。助けられたかもしれない人たちを、見殺しにしたんです。だから……ボクは、許されちゃいけないんです」
「……そう、ですか」
ヨールは、辛い面持ちでベッドのシーツを握りしめている。その目は潤み、また唇を噛んでいる。アゲンバは、そんな状態のヨールに掛ける言葉を見つけることができない。
「……取り敢えず、アナタの証言による裏付けが取れたことにまず感謝します。次は──」
「班長」
カーテンの向こうから声がして、ヨールとアゲンバが振り向く。アゲンバがカーテンを開けると、タナリオが「いてて」とこぼしながら2人の方を向いている。
「取り敢えず、一旦休憩させてやりませんか。ヨールも、必死に辛い記憶を思い出したんですから」
「そう、ですね。失礼しました。ヨールさん」
「い、いえ。大丈夫です」
アゲンバが再び深く頭を下げたのを見て、慌ててヨールが否定する。その時、手錠がガチンと音を立て、ヨールがびっくりする。タナリオはそれを見て、ふとあることを思い出す。
「そういえば、班長。これから、ヨールはどうなるんです? リュビカの特殊刑務所にでも入れられるんじゃないでしょうね」
「あっ、そういえば」
タナリオが、ヨールにやれやれと言わんばかりの目を向ける。その様子を見てアゲンバの表情が一瞬緩んだが、何かを思い出して再び険しくなる。
「ああ、その件ですか。確かに、展望ラボの被験者はリュビカに収容するように、上からの指示がありました。ですが──それも最早意味を為しません」
「……? どういうことです」
「簡単に言えば……そのリュビカが、壊滅したからですね」
「──は?」
ヨールとタナリオが、目を剥いてアゲンバの方を見る。アゲンバは手帳をペラペラとめくっている。
「ちょうど今朝連絡が入ったのですよ。リュビカ特殊刑務所に所属する、刑務官や囚人のほぼ全員が死亡──いえ、殺害されたそうです」
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