事例5 クモ屋①

「──クソ、法定速度ぐらい守ったらどうなんだ!」


 シグビッドの外れの街道を猛スピードで突っ走る、2台の車。街を爆走する真っ赤な新車を、今にも壊れそうなオンボロの黒い車が追いかけている。タナリオはオンボロの車の運転席で前屈みになりながら、敵の車を睨み付けている──その運転はかなり荒っぽく、時折隣の車線の車とぶつかりそうになる。


(取り敢えず、このまま人気ひとけの少ない場所まで追跡するしかない。ヤツらもオレの追跡には気がついているだろうが、ここから見える様子だけでもあの変な髪型野郎はかなり余裕ぶっこいているな。どうやら相当に自信があるらしい)


 タナリオは、敵の車のリアガラスの向こうを見る。後部座席に横になるアシンメトリーヘアの男が、両足を靴ごと座席の上に乗せる姿勢でリラックスしている。敵の車の外では、小さなシャボン玉が現れては消えていく。


(このシャボン玉は、恐らくヨールからのメッセージだ──『まだ生きている』そして『あの車にいる』という2つのメッセージ。だから、ヨールはまだ生存しているだろうし、意識もあるだろう)


 この上なく乱暴にハンドルを切りながら、タナリオは考えを巡らせる。衝突しそうになった車からの怒鳴り声も、熟考と焦りでいっぱいの彼の頭には届かない。


(問題は、車の中にヨールの姿が見えないことだ。よく見えない前の座席にいるのかもしれないが、このカーチェイスを始めてから10分も経っている。全く見つけられないというのは流石におかしい。つまり、あの一瞬でトランクにヨールを突っ込んだか、或いは何か特殊な方法でヨールを隠しているか)


 車の中では、後部座席の男が助手席に向かってにやけた笑顔で何かを話している。タナリオは一瞬助手席に人影を見るものの、その服装は明らかにヨールのものではない──見えたのは、ヨールの着ていた白いTシャツではなく、薄っぺらく安っぽい紫色の背広だ。


(……とにかく、ヨールを隠匿しているのもまた能力ということだ。一瞬でヨールを連れ去った夢追人ドリーマーとは別のヤツの能力だと思いたいが……流石に希望的観測が過ぎるか)


 タナリオが、手のひらに3つの目玉のある左手で頭を掻く。その目玉が、タナリオ自身の動揺によってギョロギョロと上下左右に動いている。


(ヤツらの目的も問題だ。暗殺目的ならとっくに始末しているだろうし、能力的に不可能ということも考えづらい──展望ラボの暗殺者なら、もっと殺傷能力の高い能力なり手段なりが用意されているはずだ。つまり、目的は生きたままの誘拐? いや、断定はできないな……)



「……ぴーったりくっついてきてるン」


「な」


 ヨールの誘拐から既に1時間。赤い車の中で、男たちがくつろいでいる──アシンメトリーヘアの男は後部座席に仰向けで寝そべり、マッシュボブの男は助手席で手の中の小さな何かをまじまじと見つめている。その姿勢とリラックス度合いに反して、その顔色はやや真剣である。


「どォする? このままずッと追跡されてても面倒くせェだろ」


「まあねン。……そうだな、じゃキミにお願いしようかな」


「……マジかよ。いや、テメェは確かにソイツの確保で忙しィだろォけどよ。いくらオレ様って言ってもあンな動く的ァちょッとなァ」


「まあ、どこでも良いから当てちゃってよン。そしたら多少は妨害できるだろうからさ」


「フゥ~、わァッたよ」


 アシンメトリーヘアの男が、ゆっくりと身体をねじってドアのスイッチを押す。ゆっくりと窓ガラスが下がっていく。男はややだるそうに姿勢を変えて窓の外へと身を乗り出し、人差し指をタナリオの乗っている車の方へと向ける。


「ンじゃ、1発目ェ」


 それを見たタナリオの額に、汗がにじむ。彼は両手でハンドルを握り締め、敵の攻撃に備える。直後、身を乗り出してきた男の人差し指が一瞬揺らめき──


「ッ!?」


──運転席側のサイドミラーが、根本からけて落ちていった。


「チッ、やっぱ外れたか」


 右手をひらつかせながら、男は舌打ちする。


「ま、元々ダメ元だったしよォ。あと4発ぐらいァ行ったるかねェ……」


 タナリオは、サイドミラーが付いていた棒を見る。その先端はどろどろと融けて後方に散っていたが、やがてすぐに固まる。タナリオは、そのまま視線を前方の車から身を乗り出す男へと向ける。男は半目であくびすらしており、必死の形相で冷や汗をかいているタナリオとは対照的だ。


(あのモーションから察するに、指先で指し示した部分を焼き焦がすことができるんだろう。だが、その正体は一体……取り敢えず、早くまた備えなければ。2撃目が来る……!)


 タナリオの視線の先の男が、気だるそうに再び人差し指を構える。タナリオは額に汗をにじませながら、再びハンドルを強く握り締める。そして、再び男の指先が揺らめくと同時に──突然、ただでさえやや不安定だった運転がさらにふらつきだす。


「なッ──」


やったぜガッチャ、タイヤにヒットォ~!」


「──このッ!」


 タナリオは大きくハンドルを切って、あらぬ方向へ行こうとする車体を立て直そうとする。しかし、あまりにもスピードがつきすぎていたために、そのまま斜め前方へとスリップしていく。


「おォ~、こりゃアイツ? アイツら? も持たねェなこりゃア。いやァ僥倖ぎょうこう、僥、倖……」


 男の顔からにやけた笑みが消え、その代わりに汗がにじみ始める。バックミラーを覗いていたマッシュボブの男が、慌てた様子で後部座席へと身を乗り出してくる。


「この馬鹿ッ! あの車、ッ!」


「い──いィッ!? しまっ、ガイリ!」


 後部座席の男が慌てて車内へ引っ込むのとほぼ同時に、猛スピードでタナリオの乗っている車がスリップしながら衝突する。タナリオは衝撃に備えていたためにさほどダメージを受けなかったものの、敵の車の方は車体ごと回転しながら吹っ飛んでいく。


(ちょっと、いやかなり無茶しすぎたが、これで……!)


 いつの間にか大通りから離れて、のどかな山あいの道にやってきていた。タナリオの乗っていた車はなんとか停止するものの、敵の車はスリップしながらだだっ広い田舎道を封鎖するような形で停止した。2台の車からはもうもうと煙が上がり、辺りを包み込む。


「はー、はー……。さっき撃たれたばっかだっていうのに、全く……」


 疲弊したタナリオが降りるのとほぼ同時に、赤い車の助手席からマッシュボブを直しながら男が降りてくる。男の服は血と塵でまみれ、額からは血がしたたり落ちている。しかし、タナリオを睨み付ける瞳はほんの少しも揺らいでおらず、また確執に地を踏みしめている。


「……やってくれたねン、アンタ」


「まあ……先に『やってくれた』のは、キサマらの方、だが」


「フフフ……そうだねン。でもま~、逆にありがたいよン、これは。今ので……ボクらの心に火がついたからさ」


 ゆっくりと近づいていく両者は睨み合い、敵意と殺意をむき出しにしている。しかし、どちらもその頭は至って冷静な思考をつむいでいる。


(先ほどの男の能力は、明らかにあの形の誘拐には使えないものだった。つまり、誘拐の実行犯は──コイツ)


(こっちの能力は、100%、いや50%でないにせよある程度はバレているだろうねン。それでも市販の携帯型AREDアレッドすら持たずに向かってくるということは──あっちも、か)


 徐々に、2人の間の距離が狭まっていく。彼らの間にある世界には、最早煙など存在していない。


「……念のために訊くけど、アンタ、能力は何かな? そっちは、こっちの手の内ある程度わかっちゃってるンでしょ? ちょっとぐらいフェアに行こうよン」


「ノーコメント」


「ん~、つれないねン」


 2人は互いに軽口を叩きながらも、微塵みじんの油断もなく相手を観察している。その間にも、ゆっくりと2人は近づいていく。


(何もせずこっちに近寄ってくるねン。さっき能力を使わず車で突っ込むなんて馬鹿な真似したわけだし、恐らくあっちの能力は遠隔では──いや、少なくともあの距離では使えない。なら、こっちに分がある、か)


(恐らく、ヤツはテレポーテーションかそれに類する能力が使えると見た。断定はしないが……その内容がどうであれ、ノーモーションで能力が使えるのであれば衝突した時にでもやっているはずだ。つまり、


 これらの思考は短時間に詰め込まれたが、それでもその間どんどん距離は縮まっていく。自身の能力の有効範囲内に誘い込もうと寄ってくる男に、モーションの際に生じるであろう一瞬の隙を突くべく腰を落としていくタナリオ──端から見れば、両者はただ睨みながら近づいていくだけに見える。そして、敵の男の有効範囲にタナリオが足を踏み入れた瞬間、


(──今ッ)


 男が、両手の人差し指と親指でを作ろうとする。しかし、そのモーションの途中で男が地面に突っ伏す。何故なら──その身体を、タナリオが乗っていたはずのオンボロの車が押し潰したからである。


「ぐあッ……!」


。さあ、無駄なあがきはやめておけ」


 タナリオが、車と男の横に立つ。男が、下まぶたを痙攣けいれんさせながらタナリオを見上げる。


「相手を見て喧嘩は売るものだ。さて……あの子はどこにいる?」


「ぐ、な、何のこと、かなン?」


「とぼけるなよ、キサマが誘拐した子のことだ。解放しなければ、キサマはここで骨と内臓が潰れて死ぬ。さっさと言え」


「……ああ、あの子、ね。へへ、あの子なら、今……ボクの、仲間が、相手したげてると、思うよン」


「……そうか、ありがとう。じゃあ、そこで死んどけ」


 そう言って、タナリオは一瞬敵の車に視線を向ける。しかし、


「へへ、かかったねえンッ!」


「なッ──」


 男が、力を振り絞って自由な右手を振る。男の視界にいたタナリオは一瞬反応が遅れ、その手と被った瞬間吹っ飛び──男の目の前の地面に、手のひら大の身長となった状態で倒れる。


「油断大敵だよン、愚か者! さて、そので、一体どうやってあの子を助けられるのかなあ……!」


 小さくなったタナリオが、何か叫びながら男を見上げて睨み付ける。しかし、その声はあまりに小さく、至近距離にいる男にすら届かない。


「あ、アリが何を言っても無駄だよン。さあて、ボクにこンな傷を、お、負わせたアンタも、ここでおしまいだねえ!」


 男は、笑いながら手を振り上げる。そして、その手をタナリオのいる地面目掛けて振り下ろし──ぺしんという音と共に、地面に叩きつける。


 タナリオの叫び声が、途端に聞こえなくなった。

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