事例4 警察官③

「さて、どうしようかな」


 浮遊するシャボン玉の中で、ヨールは考える。その周囲に何十枚もの紙が浮遊しており、時折そのうちの1枚がシャボン玉の膜に貼り付く。


(夢を解決する、って言っても、何からやったら良いのかわかんないな……。でも、それならまずは……)


 ヨールは、一瞬シャボン玉を解除した後少し大きめのシャボン玉で周辺の空間を包む。すると、シャボン玉の膜の外側に貼りついていた紙3枚が内側に落ちてくる。


「よし」


 ヨールは紙を拾って、というよりも、膜の内側からペリッと剥がして紙の内容を見る。先ほど軽く眺めたときと同様、落書きだったりテストだったりと内容は様々だ。しかし、


「……『ザニア・ラウマン』、かあ」


 テストの名前欄に、綺麗な字でフルネームが書いてある。見るに、そのテストの内容は小学校低学年レベルである。


(何で、この人の夢にこんなテストなんか……。それに、そもそも……)


 不思議がりながらも、ヨールは別の紙の内容を見る。そこには、2人の子供がコンクリートを背景に並んで立っている写真が印刷されていた──少女は満面の笑みを、少年は不器用な笑みを浮かべている。少女の方は9歳ほど、少年の方は12歳ほどに見える。


(………)


 ヨールは更に別の紙を拾って、見る。少年と思われる人物が、警察官の帽子を被ってキメ顔を取っている落書きだった。ヨールは眉をひそめて考えながら、シャボン玉を更に上方へと動かす。そして、膜に貼り付く何枚もの紙の内容を見つめる。


 ある紙には、楽しそうな笑みを浮かべながらこちらに向かって走ってくる少年の写真が。またある紙には、少女の前に立ってマントをはためかせて仁王立ちする少年の落書きが。様々な内容の紙が、次々と膜に貼り付いてくる。


(……どれも、やっぱり子供っぽいものばっかだ。つまり、ザニアさんの夢は、心は……)


 ヨールは紙で前方が覆われるたびにシャボン玉の解除と再展開を行いつつ、更に前進していく──進めば進むほど紙の枚数や密度は増していき、シャボン玉の周りが紙だらけになる。


 その内容も、進むにつれ徐々に変化が見られるようになっていく。最初の頃は平和で幸せそうな内容ばかりだったが、途中から怪我をしていたりうつむいてうずくまっていたりする少年の写真や落書きが混ざり始める。そういったネガティブな紙は進むほどに増えていく。


(……あ、これは)


 ヨールがそういった紙の1枚に目を付け、拾う。それは、少年が似た顔立ちの女性に引っ張られていく写真だった──少年は、泣きそうな顔でこちらに向かって何かを叫んでいる。……ふと見れば、その下にも写真が落ちている。ヨールはそれに手を伸ばし、


「──ッ!」


 その内容を見た。


──橋の欄干の下に、綺麗に並べられた靴が置いてある。その靴は、何回も登場していた少年のものと同じように見え──


「……そうか」


 しばらく絶句していたヨールだったが、それでも顔を上げて前を見る。気がつけば、周囲の紙は全て黒く塗りつぶされたものばかりになっている。そういった不穏な紙がシャボン玉に貼り付くのも気にせず、どんどん先へと進んでいく。


「わかったよ、キミのが」


 何千枚、何万枚もの黒い紙をかき分けて、ヨールは進んでいく。


(これは、この人の過去なんだ。そして、この人の人生のページはここで止まってしまって、ずっとそこから先へ進めていないんだ。つまり、この先に──)


 突然、黒い紙がシャボン玉から吹き飛ぶ。そして、目の前に突っ伏して、泣いている子供が1人。ヨールはシャボン玉を解除して白い地面に降り立ち、その子供の前にしゃがみこむ。


「……こんにちは、ザニアさん」


 そこにいたのは、9歳の少女。彼女こそが、ザニア・ラウマンだった。



「……写真のあの人は、誰なの?」


 白い世界の中心に座るザニアの横に、ヨールも座っている。ザニアの首元には手の形をしたこぶがあり、その甲には月のような紋様が刻まれている。2人は、空中に浮かぶ様々な紙を見上げている。


「……近所の、お兄ちゃん。2年前、よく遊んでくれてたんだ」


「そう。……あの、彼を引っ張っていった女の人は?」


「お兄ちゃんのお母さん。……怖い人。お兄ちゃんのためって言って、お兄ちゃんを連れてっちゃった」


「そっか」


 ザニアは、うずくまって人差し指をくるくる回している。その目はまだ少し腫れて充血しており、口角は下がり気味だ。


「……ボクたちを襲ったのは、何で?」


「そんなつもりは! ……そんなつもりは、無かったんだ。でも、警察官に時は、どうしても気持ちがおかしな方向に行っちゃって。……ごめん」


「あ、あはは……。まあ、ボクは特に大丈夫だけど。後で、タナリオさんには謝っとこうね」


「うん」


 無邪気な声でザニアが答え、ヨールは思わず微笑む。しかし、タナリオに言及したことで、彼が言っていたことを思いだす。


「……人を殺した、って、本当?」


「………」


 ザニアは、無言で更にうつむく。ヨールがどうしたものか悩んでいるうちに、ザニアが口を開く。


「……展望ラボの情報を知るために、関係者の人に接触したんだ。でも──銃撃戦になって、その時に……」


 ザニアの声が震え始め、ヨールは彼女の背中をさする──声だけでなく、身体も小刻みに震えている。


「そっか、ごめんね。嫌なことを訊いちゃった。……そうだな、じゃあ、展望ラボについて調べてたのは何でなのかな」


「その……あそこに、お兄ちゃんが行ったかもしれないんだ」


「お兄ちゃんが?」


「うん。あの時、ボクも、みんなも、お兄ちゃんが飛び降りたんだと思った。でも、ある日友達から聞いたんだ。お兄ちゃんが、橋の上で眼鏡の男の人と話してた、って」


「……! 眼鏡の……」


 ヨールの表情が強ばる。眼鏡の男、というのには彼も心当たりがあった。


「その人の──その人の名前は、もう分かってるんだね?」


「うん。確か……アバガッロ、って言ったはず」


「……そう、か。じゃあ、もしかして、キミが殺した人、っていうのは……」


「……そう。その人」


 ヨールは、複雑な気持ちでザニアの話を聞いていた。アバガッロ。その名前を聞いて、彼の脳裏にかつての光景が思い起こされる。アバガッロの車で通った雨の日の見知らぬ道路。彼と共に入った僻地の研究所。そして、そこで受けた数々の──


「──大丈夫?」


「……ん、ああ。平気だよ」


「……ごめんね。アナタも、展望ラボの被験者なんだよね」


「そう、だね。でもまあ……うん。気にしないで。ボクは平気だから」


 ザニアが心配そうな顔で問いかけてくるのを見て、ヨールは思わず安心させるような微笑みを作る。内心は全く穏やかではないが、それでも目の前の少女を傷つけたくはない、と彼は思っていた。


「……その、ザニアさん」


「ん?」


「キミの夢は、何かな」


「……ボクに、夢なんか、無いよ」


「そっか」


 再びうつむいたザニアを見て、ヨールは少し考える。そして、上空に浮いている紙の1枚を小さなシャボン玉で包み、2人の前に持ってくる。


「……あ、これ」


「さっき、見つけたんだ。キミが描いたのかな? これ」


「うん。……お兄ちゃんの、カッコいい姿」


「そう。じゃあ、きっとこれは夢なんだね。警察官になりたい、というのは、彼の夢だったんだ」


 ザニアは、うつむいたまま何も言わない。それを見つつ、ヨールは続ける。


「ザニアさん。じゃあ……キミ自身の夢は、何なのかな」


「……え?」


「お兄ちゃんのじゃなくて、キミ自身の夢。それは、きっと警察官になることじゃない。そうだったら、キミは夢追人ドリーマーになんかなっていないはずだから。キミの夢は……お兄ちゃんを助けること。違うかな」


 ザニアが、言葉に詰まる。ヨールは(当たりだな)と思いつつ、先ほどのシャボン玉を割って立ち上がる。そして、上空に浮かぶ大量の紙目掛けて、大きなシャボン玉を投げつける──浮いていた紙が膜に貼り付く度にシャボン玉が再展開され、どんどん紙がシャボン玉に取り込まれていく。


「……!」


「でも、ただ助けたいわけじゃない。こんな大量の紙に思い出を残しているのは、きっとキミが後悔しているからだ。助けられなかった、という大きな後悔が、キミの夢をここまでのものにしてしまったんだ。じゃあ……もう捨ててしまおうよ、こんな後悔なんて! 全部、全部、丸めてゴミ箱にでも捨てちゃおう! キミが探しているのは、過去の不幸な『お兄ちゃん』じゃない。今の、未来の、幸せな『お兄ちゃん』だ。そうでしょ?」


「………」


 ザニアは、どんどんシャボン玉に入っていく紙を見つめる。何枚もの、少年との思い出。何枚もの、少年への後悔。それが、どんどんいく。それを見たザニアの瞳が、また潤みだす。


「ボクは……」


「うん」


「ボクは」


「うん」


「……その……」


「………」


 ザニアが、悩むようにうつむく。しかし、すぐに立ち上がって、言う。


「捨てる。全部、全部!」


 その直後、紙とシャボン玉の下に巨大なゴミ箱が現れる。ヨールは、全ての紙がシャボン玉に入るなり貼り付くなりしたことを確認して、


「──よく言った!」


 勢いよく、シャボン玉をゴミ箱に突っ込んだ。



「──ル。おい、ヨール。おーい」


 ヨールが目を覚ますと、そこは先ほどの裏路地だった。目の前にはタナリオがしゃがみんでおり、ヨールの頬を軽く叩いている。


「あ、タナリオさん」


「起きたな。そして、ご苦労さん」


 ヨールはハッとして周囲を見回す。そして、自分の隣に座り込んでいる少女──夢で見たよりも少し成長したように見える、ザニアを見つける。ザニアの首元にこぶは無く、足元にはおもちゃの拳銃が転がっている。


「いやあ、びっくりしたよ。さっきまで嫌みな男だったはずなのに、突然溶けだしたかと思ったら子供になるんだもんな。しかも女の子と来た」


「はは、確かにボクもちょっと驚きました」


「な。さて、えー……ザニア、ちゃんでいいのかな? キミには、まあ分かってるだろうが、幾つか訊かなきゃならないことがある」


「……うん。さっきヨールさんには少し話したけど、もっとしっかり話しておかないといけないよね」


「ああ。そうだな、まず、は──」


 タナリオとザニアが、目を見開く。その視線の先には、ヨールが──否、があった。


「えっ──」


「バ、バカな! 今さっきまでここに……」


 その2人の声をかき消すように、1台の赤い自動車がザニアの背後を走り去る──タナリオは、その車内でニヤニヤとこちらを見つめる男たちと目が合う。そして、その走り去った後には3つほどシャボン玉が浮かんでいる。


「おい、ザニア! キミ、他に夢追人ドリーマーの仲間でもいるのか!?」


「い、いや! ボク1人だけです!」


「わかった。オレはヤツらの後を追う! キミは一刻も早く安全な場所まで離れて、警察に電話を!」


「は、はい!」


 そう言って、タナリオは左手を前方の車道にかざす──そこに、瞬時にオンボロの車が出現する。タナリオは急いで運転席に乗り込み、アクセルを踏み込む。タナリオの車が走り去るのを見た後、ザニアは裏路地の奥へと走る。



「いやあ、今日の仕事は楽だねン」


 赤い車の助手席で、薄紫色のマッシュボブの男が笑っている。その手には小さなが握られており、その何かは手の中で暴れているように見える。


「まァな。ただ、あそこにゃアもォ2人いたよなァ。2人とも夢追人ドリーマーにゃア見えなかッたが……注意しといた方が良いかもしンねェ」


 車の後部座席に行儀の悪いポーズで座る、坊主とロングのアシンメトリーな黒髪の男が言う。それを聞いて、マッシュボブの男が「フフッ」と笑う。


「流石に用心深いねン、キミは。ま~、もし戦闘になったとして。ボクらに勝てるヤツは早々いないだろうさ」


「ま、そりゃアそォだな。兎に角とにかく、オレたちの仕事ァ取り敢えず完了しちまッたわけだし……ケケッ、さッさと帰ってガイリに飯食わせてやンねェとなァ」


 赤い車の中で、2人の男が笑う。誰もいない運転席で、ハンドルが勝手に回っている。



(このタイミングで現れた敵。しかも恐らく、いいやほぼ確実に夢追人ドリーマー! こいつは、つまり……)


 タナリオの眉間に、深いしわが刻まれる。


「……展望ラボ、か……!」


 タナリオと謎の男たちのカーチェイスが、幕を開けた。



 ザニアは、路地を逃げるように走っていた。その額には汗がにじんでおり、またその手にはおもちゃの拳銃を大事そうに抱えている。時折、彼女は背後を振り返って追手がいないことを確認していた。


「……早く、早く安全なところに行かなきゃ。ボクを救ってくれた人を、助けなきゃ──」


「どこへ行く、偽警官」


「……!」


 慌てて、ザニアは立ち止まる。その路地の向こうには、ヨールと同い年ぐらいの少年が立っていた。異常な眼力でザニアを睨み付けるその少年は白いコートを羽織っており──腰には、1本の刀を携えている。


「あ、アナタは……!」


「残念ながら、オマエはあまりにも知りすぎたようだ。これ以上、オマエのことを生かしておくわけには……いかない」


 少年は構えを取り、今にもザニアに斬りかかろうとする。しかし、ザニアはガクガクと震えながら両手を上げ、膝をつく。おもちゃの拳銃が床に落ちる。


「ど、どうか助けてください! ほら、ボクももう夢追人ドリーマーじゃないんです! だから、お願いです! ゆ、許して……!」


「………」


 その少年は一瞬、刀を握る力を緩めた。ほんの少しだけ、ザニアに対する殺意が揺らいだのである。しかし、その直後──


「……あ……」


──ザニアのいた場所に、ザニアだった血と肉が散乱した。


躊躇ちゅうちょしましたね」


 血溜まりに気を取られていた少年の背後に人影が現れ、思わず彼は振り向く。そして、そこに立ってザニアのいた方へ手を伸ばしている人物の正体に気がつき、姿勢を正す。


「その方は、ワレワレ展望ラボの計画に真っ向から対立していました。その行為に罪はないとはいえ、生かしておく必要はありません。何より……最早カノジョにREDSレッズ発症者としての能力はない。殺すのにはベストなタイミングです」


「……申し訳、ありません。先生」


「いえいえ、そこまで気にしないで。アナタの甘さをゆるしましょう、タマヅ」


 その男──ねずみ色の長髪の男は、とても優しい微笑みをタマヅに向ける。男は目の前の血溜まりに近づき、しゃがみこんで地面に転がっている眼球を見つめる。


「そして、ワタシがアナタを殺したことを、どうか赦してくださいね。ザニアさん」


 その、罪悪感のない清浄な声色で語られる言葉を、タマヅは静かに聞いていた。

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