事例2 警察官①

「──で、何でボクとおじさんは警察の人たちから逃げてるんですか?」


 いくつも穴が空いてボロボロの座席の上に、ヨールとタナリオは座っている。ヨールは両手を膝の上に置いてちょこんとばかりに姿勢良く座っているが、タナリオは片手で頭をかきながらもう片方の手で乱雑にハンドルを切り車体を左右に激しく揺らしている。


「仕方ないじゃないか、キミ多分無免許だろ? あとおじさんって言うな、タナリオって呼んでくれ」


「え? そりゃあ、未成年だから運転はできないけど……」


「違う、夢追人ドリーマーの免許だ。『普通REDSレッズ発症者超常能力行使免許』という」


 少し運転に苦労している様子で、タナリオは答える。その長ったらしい単語を聞いたヨールの頭の上に、先ほどあった倍の数の疑問符が浮かぶ。


「……え、何ですかそれ」


「オマ……え、あー……。そうか、知らないのか……」


「あ、はい。すいません……」


 それを聞いて、タナリオは「なるほどなあ……」とため息まじりの感想を漏らす。そして、再び頭をかいてヨールへの解説を始める。


「……そのな? 夢追人ドリーマー──正式名称をREDS発症者って言うんだが、まあとにかくオレたちはみんな超常的な能力を持ってるだろ? だから、それを使うには国からの許可がいるわけだ。そう、車と同じ塩梅あんばいでな」


「へー……。じゃあ、おじ──タナリオさんも持ってるんですか?」


「当たり前だ。というか、持ってないと捕まる。普通学校で習うが……まあ、キミその感じだと学校行ってないだろ」


「あー……。そうですね、そのー、最近はあんまり……」


 タナリオが、横に置いてあるかばんに左手を突っ込んで漁る。しばらくして出てきた手には、カードのようなものが握られていた。


「まあうん、取り敢えずその免許っていうのがこれだ。普通REDS発症者云々って書いてあるだろ?」


「え、わ、ありがとうございます。その、見せちゃって良いんですか? プライバシーの話になっちゃうけど」


「ん? ……ま、良いよ。別に」


 そう言って、タナリオからヨールへ免許証が手渡される。そこには「タナリオ・ルゥ」という本名の他に、様々な個人情報が書いてあった──それに目を通す前に、ヨールは免許証をタナリオの手に戻す。


「その、ありがとうございます。こんな感じなんですね」


「まあな。ホントなら、後で試験を受けないといけないが……」


 途中で、タナリオが言葉を濁す。ヨールが不思議そうな表情で彼を見つめる。


「……まあ何だ。多分、キミはなタイプだからな」


「え? ダメ、ですか」


「ああ。推測だが、恐らくキミはぎりぎり許可が降りるレベルの夢追人ドリーマーじゃない。最悪、リュビカの特殊刑務所にでも収容されるだろう」


 げっ、という表情で、ヨールは少しのけぞる。それを尻目に、タナリオは免許証を鞄にしまう。


「そ、そんなにアレなんですか? ボク」


「ああ。その……シャボン玉。アレはかなり、まあ……アレだからな。うん」


「そ、そんな……。刑務所、うーん流石になあ……」


 ヨールが軽く頭を抱えるのとほぼ同時に、タナリオがまた頭を左手でかく。しばらくして、ふとした様子でヨールがタナリオの方を向く。


「……そういえば、さっきレッズって言ってましたよね。どういう意味なんですか?」


 ヨールの疑問に対し内心(あー、そこからか……)という感想を抱きつつ、タナリオは答える。


「……R・E・D・S。正式名称、現実侵食性願望症候群Reality-Erosional Desire Syndrome。オレたち夢追人ドリーマーの抱える精神障害の名前だ。後天性の奇形と超常的な能力の発現が主な症状とされてる」


「奇形……あ、なるほど。まさに、ボクの目やほほとかタナリオさんの左手とか、さっきのお兄さんの目みたいな感じですね」


「そう。まだまだ未解明のことが多い難病だが、取り敢えず有力な仮説としてあるのは『発症者への極度な精神的ストレスによってその願望が現実にまで影響をおよぼしている』ってヤツだ。まあ、オレも専門家ってわけじゃないから詳しくは知らんが」


 ヨールは「なるほど」とこぼしながら、真剣な眼差しでタナリオの話を聞いていた。タナリオは少し考えてから、言葉を続ける。


「……まあ、仰々しい感じだが要は夢追人ドリーマーがどういうものかっていう考え方の1つと捉えた方がいい。差別主義者たちも、この病名から取ってオレたちのことを『赤人レッド』とか呼びやがるしな」


「へえー……。そういうの全く知らなかったです、ありがとうございます」


 ペコリ、とヨールがタナリオへお辞儀し、前に向き直る。それを尻目に、彼は右手でやや荒っぽい運転を続ける。その振動で、徐々にヨールのまぶたは重くなっていく。既に、彼らは元いた場所からかなり離れていた。



『──おい、医療チームを早く呼べ──』


『──ダメです、カレらも大勢やられて──』


『──みんな、みんな、みんなあ──』


 煙が立ち込める施設の玄関口。半狂乱で行き交う大勢の大人たち。その場で泣きじゃくる子供。どうしようもなく唖然と立ち尽くす、患者衣を身にまとった人々。そして、こちらに近づいてくる1つの人影。


『──落ち着いて、深呼吸するのです──』


 その人影──ねずみ色の長髪の男が近づいて自分の顔を掴む。


『──目を覚ましなさい、ヨール!』



(──ハッ)


 既に停止した車の中で、ヨールは目覚める。辺りを見回すと、先ほどいたシグビッドの街の中心から離れ、そのはずれの辺りにいるようだった。そのためか、人通りは先ほどの比でないほど少ない。


「……お、起きたか」


 運転席でスマートフォンをいじっていたタナリオは、手を止めてヨールの方を見る。ヨールは身体を伸ばしながら答える。


「んー……。おはようございます、タナリオさん」


「うい。……まあ、おはようって時間じゃないが」


 大きくあくびしながら、ヨールは車内のデジタル時計を見る。時刻はいつの間にか14時を回っていた。


「わ、結構過ぎて──」


 突然、車内に「ぐう~」というやや大きめの音が響き、車内に非常に気まずい空気が流れる。ヨールはうつむいて赤面しており、タナリオも何とも言い難いと言った表情で目を泳がせている。


「……何か食べるか?」


「……その、今、金欠っていうか……」


「あー、良いよ。オレも大人だ、子供に払わせたりはしない」


 そう言って、彼は空中で手を振り──次の瞬間、彼の指の間には3枚の紙幣が握られていた。


「……じゃあ、どっかカフェにでも行こうか」



「──あ、このチーズトーストで」


「えー? いや、別にもっと高いヤツでもいいぞ。金ならあるし」


 窓側のテーブル席で、タナリオとヨールが何を注文するか話している。周囲の人間たちは一部こそ好奇の目で彼らを見つめているものの、誰もが彼らの存在を日常として受け入れている。


「んー……。じゃあ、そうだな、このチェダーチーズサンドとかですかね」


「……もしかして、甘いものとか結構嫌いだったりするのか?」


「え? ああ、いや、嫌いじゃないですよ。お腹満たせればいいかなって……」


「そっか。じゃあ、このチェダーサンドな」


「ですね」


 ヨールの言葉を聞いたタナリオは「店員さーん」と手を挙げて言い、呼ばれた店員が笑顔で注文内容を尋ねてくる。タナリオがチェダーチーズサンド・いちごパフェ・アイスティー2杯を注文し、店員が笑顔のままキッチンまで歩いていく。


「あ、そういや、1つきたかったんだが」


「ん? なんです?」


「いやな、キミ金欠って言ってただろ? じゃあ、そもそも普段どうやって生活してるんだ?」


 タナリオから何気なく投げられた質問に対し、ヨールが「その~……」と困った表情を返す。


「どうした? ……もしかして、あんまり話したくなかったり──」


「お取り込み中失礼、ちょっと」


 やや気まずい雰囲気の会話を遮り、ねずみ色の髪をした青年がテーブルに手をついて話しかけてくる。青年はスーツ姿であり、右手に何か黒いものを持っている。


「……どちら様?」


「どちら様かといわれれば、まあこちら様ですかね」


 そう言って、青年はタナリオに向かって黒いもの──警察手帳を見せてくる。それを見て、タナリオの表情が一気に険しくなる。


「……なるほど。で、オレたちはどうすれば?」


「まあそうですね、取り敢えず一旦出て来てもらえましょうか。話は外でやりましょう」


「わかった。ヨール、出るぞ」


 紙幣を置いてから立ち上がったタナリオに続き、不安げな表情でヨールも立ち上がる。そして、その青年の後に続いて2人はカフェを出ていく。


「あの、お客様。お料理がまだ……」


「あ、すいません。店員さんにおごります」


 そうタナリオに言われた店員の背中に、もの寂しげな風が吹いた。



「──うん、ここでいいかな」


 青年に続いて、2人は路地裏の奥までやってきた。タナリオは内心(また路地裏か……)と思いつつも、その青年を注意深く見つめている。


「……で、だ。アンタより先に話を切り出させてもらうが、その手帳について何か言い訳はあるか?」


「んー、そうですね。まあ、取り敢えずこの番号を見せればまず間違いなくついてきてくれるかな、と思ったわけです」


「……ああ、釣られざるを得なかったよ。キサマの目論見に」


「ニヒヒ、まあそうですよねえ。、誰だってついてこないわけにはいかない」


 驚いた様子で、ヨールがタナリオの方を見る。タナリオの顔は、最早この青年を完全に敵と見なしていることを物語っていた。


「で、だ。わざわざ偽造手帳を見せてきたキサマの狙いは何だ? 手短に話してもらおう」


「まあまあ、そんな眉間にしわを寄せなくても。寄せるならワタクシへの好意をお願いしますよ」


「キサマへの好意など皆無だ。そんなことよりさっさと本題に入れ」


「はいはい、ノリの悪いお人だ……」


 そう言って、青年は先ほどの手帳を再び見せつけてくる。その手帳の写真は紛れもなく青年だが、識別番号はやはりかつてタナリオが有していたものである。


「改めまして、ワタクシはザニアと申します。この度、お2人にちょっとばかし協力をしていただきたい──ズバリ、『展望ラボ』について」


「……!」


「ご存じでしょうね、というか忘れられるわけはないか……。まあその、結論から言えば、カレらを潰すのにお2人の力をお借りしたい。流石に、ワタクシ1人ではカレらに容易く返り討ちにされてしまいかねませんから」


 話を聞いたヨールの額に、脂汗がにじむ。


「……アナタ、一体誰なんですか」


「言ったでしょう、ワタクシはザニアだと。でもまあ、ニヒッ、この際そんなことどうでもいいではありませんか。ねえ、元警察官のタナリオさんに、元被験者のヨールさん」


「………」


 しばらく、両者の間にピリピリとした沈黙が流れる。ザニアはひょうひょうとした態度を崩さず、タナリオとヨールは険しい表情で彼を睨んでいる。やがて、その沈黙を破ってタナリオが返答する。


「……そうだな。確かに、オレたちの敵は明確なようだ」


「おお、本当ですか! いやあ、ご理解が早くて大変助か──」


 瞬間、タナリオが右手をザニアにかざし、顔の前に何枚もの紙幣を出現させる。同時にザニアに向かって走り、左手の拳をザニアの顔面に叩き込もうとする。しかし、


「──交渉決裂にしては、何ともひどい形ですねえ!」


 ザニアは冷静な動きで腰から警棒を取り出し、瞬時に伸ばしてタナリオの脇腹を殴打する。タナリオの顔が苦痛に歪む。


 ザニアとタナリオたちの戦闘が、幕を開けた。

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