第4-20話 発散
帰りの道では消防車は注目を集めた。
すれ違う人達が何をするわけでもなくこっちを見つめる。
赤信号で車が横に並ぶと、中に乗っている子供達がこっちに向かって敬礼をしてきた。俺達も敬礼で返す。
現場を離脱する直前、女性警察官が明らかにこっちを意識していたのが分かった。先ほど聴取にあたった丸山巡査だ。
彼女は消防車に向かって深々と頭を下げた。その警察官らしからぬ動きに彼女の人となりを垣間見た気がした。
疲れを吹き飛ばすには笑いが一番だ。
「聞いて・・・コイツ、開口部の設定を決めたとき、めっちゃビビってた」
後部座席に向かって誘うように話しかけると、浅利は食い気味で返した。
「ハハ、ビビってねーし」
満面の笑みで答える。
「いや、そんなこと言ったら、二人が煙に巻かれ始めたとき、エジさんの慌てようヤバかったっすよ」
石田が煽るように掘り下げた。
「いや、慌ててねーから」
「いや、めっちゃ慌ててましたよ!どうしようどうしようって」
「うるせぇな」
ドッと笑いが起きる。
「コイツ、女の子掴んで脅してたぞ?」
隊長も割り込んでくる。
「いや、あれは仕方ないっすよ!何度も今は無理だって言ってんのに聞かないから・・・」
「それより、また上に噛み付いてましたよ!早く残火処理しろって言われて、自分で行けよって喧嘩売ったらしいっす!大倉隊長が教えてくれました!」
江尻が聞きつけたらしい。
「いや、あれは・・・コイツらがすぐへばるから・・・」
なすり合いが加速していく。
そうやって各々が称賛しあったまま消防車は署へ向かっていく。
まったく無意味な会話のように思えて、これがとても大切だった。
現場では少なからずストレスが溜まる。それは恐怖が原因だったり、怒りや歯痒さが理由になったりするのだが、こうして発散する場を作る。
そうすることで、自然と前向きなデブリーフィングになっていく。そういうふざけた会話の中に、どういう状況のどういう感情からその判断が生まれ活動に繋がったのかを、自然と身につけることができる。不満をそのまま不満で発散するのではなく、少しでも前向きな形にする。場合によっては「反省していない」と叱責を受けることかもしれないが、そうだとしても、これがこの隊のスタイルだと思っているし、それは変え難いものだ。
シキシマが前線で強くあれるのは、こういうことが大きく響いていると思っている。
帰署すると、車庫の中にオリーブオイルの香りが立ち込めていた。
パスタが出来上がっている。先に帰った救急隊が作って待っていてくれた。
昼食だったはずのたらこスパゲッティを食べ始めたのは十九時を過ぎてのことだった。
夕食を食べ終わると、署内は恐ろしいほどにいつもどおりの時間が流れる。
まるで先ほどまで煙の只中にいたとは思えない。唯一、身体を動かしたときの残り香で思い出す。風呂では頭の先から足の先までを二周洗ったが煙の匂いは取れない。それでも救急隊が準備してくれていた湯船のおかげで少しだけ肉体疲労は緩和された。
風呂を出た後はソファーでテレビを見ていた。ふと見回すと、鈴木隊長と渡部救急隊長の姿が見えない。おそらく先ほどの火災について首脳会議でも開いているのだろう。立場的に俺も参加するべきかと思い署内を探した。
仮眠室から声がする。二人はベッドに向かい合わせで座り、何やら話をしていた。俺は隣のベッドに座って滑らかに入り込んだ。
「結局、手がかりなしですか?」
俺の入場にも動じることなく会話が続く。
「あぁ、でもこれから捜査が入ると思う」
「そうですか」
「とりあえず、現場に空の缶があったってことは、どこかで入れてるんだろうから、ガソリンスタンドとかあたるんじゃないか?」
「なるほど・・・」
「しばらくは二人も警戒しといてくれ。愉快犯じゃないといいんだけどな」
消防職員の中には、いくつか通説がある。その一つが“放火はつづく”というものだ。放火はある一定の期間、連続して起きることが多い。一度発生するとコンスタントに起きる。
それともう一つ。“放火は人を殺す”というものがある。人為的に起こされた火災は殺傷能力が高い。なぜなら、起きないはずの場所で起きないはずの事が起きるからだ。予測ができない。そしてそれは一般人に対してももちろんだが、俺達消防士にとっても同じだった。それが怖い。
今回もまさにそうだった。耐火構造建物で通常あれほど燃えることは少ない。そして招いたのが熱気の滞留だ。それにより俺と浅利が危険に晒された。
火災の恐ろしさを肌で知っている俺達にとって怖いのはそこだった。人は恐怖のメカニズムを知ると更に恐ろしさが増す。
隊長が言った「警戒しといてくれ」はここに真意があった。警戒といっても俺達に犯人を捕まえることができるわけではない。火災指令がかかった場合に放火のスイッチを入れる。そうすることで予測を膨らませる。
ふと丸山巡査の顔が浮かんだ。
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