第4-16話 女神の当て布

 「排気口の設定、どうでした?」

江尻がニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。

 やはりあれは江尻の発案だったか。

 確かにあのアシストがなければ救出活動が後手に回っていただろう。

 いや、もしかすると浅利でも開口部を作るという任務は完遂できなかったかもしれない。

 そう考えると、アレがなければ今頃、大量の煙に巻かれて地獄絵図になっていた可能性もある。

「お前が撃ったわけじゃねぇだろ」

茶化すように返した。

「だって、発射銃貸してくださいって言ったら、届け出を出してないからダメだって言われたんすもん」

「貸してくれててもお前じゃ当てらんねぇよ」

決して「ありがとう」などとは言わない。それがこのチームらしさだと思った。

 それを言う相手は一人だけだ。

「隊長、ありがとうございました」

俺はだらんと頭だけを下げた。

「おう。おつかれ」

この男も「よくやった」とは言わない。

 そしてこの男は決まってあることをする。

 俺達が戻ると必ず一度消防車を触りに行く。助手席のドアに手のひらを当てると、一瞬下を向く。

 そして全員がその行動から目を背ける。見ないフリをすることで密かな喜びを倍増させた。


 ふと浅利の方に目をやると、顔の前で右の手のひらをさすっていた。

 明らかに苦しげな顔をしている。

 声を掛けようと近づくと、スッと見知らぬ女性が割り込んだ。

 その人は浅利の前に立ち、彼の右手を両手で包み込んだ。そして祈るように額に当てる。

「こんなにボロボロになって・・・ありがとうございます。本当にありがとうございます」

浅利は驚いてキョトンとした顔をしている。

 よく見るとその女性は俺達が最後に救出した女性だった。

 俺は思わずニヤけて、その顔を江尻の方に向けた。江尻も同じようにニヤついている。石田も口を開けて笑いを堪えていた。

 浅利は恥ずかしそうにうつむいている。

「みんな助かってよかったです」

ボソボソと返す。

「あなたの手がみんなを助けてくれました」

まるで女神が声を掛けてるようだった。

「いいえ、みんなが助けてくれました」

その言葉で、こっちに視線が向くと思って急いで目を切った。

「おらー、消し行くぞー」

江尻と石田にやんわりと声を掛けた。

 二人も気だるそうに返事をする。

「へーい」

ぞろぞろと消防車の方へ向かおうとすると、浅利が反応した。

「自分も行きますよ」

俺は見向きもせず返した。

「右手死んでんだろ?少し休んでろ」

「大丈夫っす、まだ左手があります」

思わずフッと笑った。

「イシ、消防車から救急バッグ持ってこい」

石田を走らせた。

 俺は踵を返し、ゆっくりと女神の方へ向かう。

 石田がダッシュで救急バックを持ってくる。

「お姉さん、救急隊は怪我人の搬送で出払ってます。コイツの右手に包帯巻いてあげてくれませんか?」

そう言って渡された救急バッグを差し出した。

 浅利が止めに入ったが俺も俺で動かない。

 江尻と石田はクスクスと笑っている。

「え?」

彼女は驚いた表情を浮かべた。

「お願いできませんか?」

やっと理解したようで、小さく笑みを浮かべた。

「はい」

「ありがとうございます。では我々は消火が残ってますので、よろしくお願いします」

浅利の背中をグッと掴んで、近くにあったベンチの方へ放り投げた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

浅利のそんなたじろぎを彼女は気にも止めずベンチへ向かった。

 俺はシッシッと浅利を追い払った。

「敷島村下から指揮隊長、敷島隊、消火活動に加勢します、指示ください」

「了解、敷島隊にあっては建物三階部分への外部注水を頼みたい、どうぞ」

「敷島了解」


 耐火構造建物とはなかなか燃え広がることの少ないものなのだが、それも時と場合による。

 つまり発火原因や収容されている着火物によって状況は変わってくる。

 それでも戦術を駆使してシステマチックに活動していくと、必要以上の延焼を防ぐことができる。

 救出活動中にあれほど上がっていた黒煙は姿も見せなくなり、いまでは白煙に変わった。

 火災は水を撃つと白煙を上げる。放水の水が水蒸気に変わることでその現象は発生し、それが一つの指標になっていた。

全てが全てそうなのではないが、白煙が上がれば優勢、黒煙が上がっていると劣勢という一つのボーダーラインになっていた。

 つまり今は優勢である。

 一挙に全方位から放水することによって火勢は抑えられる。そう言うと、最初から消火活動を優先させるべきと思ってしまうのだが、その水蒸気は高温を伴って上階に溜まる。防火衣も空気呼吸器も持ち合わせない要救助者にとっては地獄も同然だ。


 白煙が上がり始めてからしばらく経つと、戦術が移行していく。

「三階窓から梯上放水できる隊はあるか?」

指揮隊長からの無線に即答する。

 本来なら、小隊長である鈴木隊長がするべきだろう。

「敷島隊いけます」

といっても、俺自身は「お腹いっぱい」という顔で後ろからぴーちくぱーちく言うだけだ。それを分かっているから、江尻と石田が率先してノズルを持った。

「じゃあ、梯上放水いくよ」

 俺は近くに置いてあった三連はしごを取りに行った。

 江尻と協力してはしごを伸ばす。三階の窓に掛け、石田に合図した。

「いけ」

石田は放水を一旦止めてノズルを持ったままはしごを登っていく。

「イシ、進入はまだ待ってろ!まだ梯上から撃つだけにしてくれ!」

石田の背中に向かって指示を出した。

「了解っす」

石田も振り向かずにはしごを登っていく。

 三階に到着すると、窓の外から内側へ向けて水を撃つ。

 しばらく撃ったら、次は進入する。そうやってジリジリと火を追い詰めていく。

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