第4-10話 残された二人

 消防車を降りると、俺は思わず上を見上げた。

 耐火構造建物の三階部分から黒煙が吹き出している。こんなにもハッキリと黒煙が上がっていることなど想像していなかった。

 ここに着車するまでに何台かの停車された消防車の横を通り過ぎたが、それらの消防車から上に向かって放水されていたが、水が中に入っているのか分からなかった。

(また、無意味なことして)

冷静にそう思ったが、なんとなくそうしてしまう気持ちが理解できた。

 江尻と石田は鈴木隊長に連れて行かれ、ここには浅利だけが残った。浅利は必死に言われた資器材の用意をしている。

 ここに着いてから、何度か「なんでこんなに燃えてんだ」という声を聞いた。一見よくある現場での怒号のようにも聞こえるが、それが全てを物語っていた。

 冷静に行動できていればそうはならない。通常の火災であれば、「何故」は火災が消えたあとに気にすることであって、今ではない。

 おそらくここにいる消防士のほとんどが初動に遅れをとっている。

 隊長が言った「常識に囚われるな」という言葉の意図が分かった。

 人は非常識に出くわすと出足が遅れる。

 たった数秒間ぼーっと黒煙を眺めることで、火災自体を俯瞰的に見ることができるようになった。

「敷島鈴木から敷島村下、どうぞ」

鈴木隊長からの無線が飛んできた。

「どうぞ」

俺は俯瞰を続けたまま答える。

「電線により当該建物へのはしご車の架梯は不能、検索経路確保のため内部進入を実施し、東側屋内階段の状況確認に向かう、二人はしばらく待て、どうぞ」

「はしご車架梯不能、内部進入了解、以上」

無線が混線しないように短く切った。

 そこに重要な情報が入る。

「救助隊長から指揮隊長、建物西側屋内階段にあっては二階から三階への踊り場にて熱気のため進入不能、どうぞ」

 つまりは上階へのアクセス手段が一つ削られた。残るは敷島隊が確認している東側階段だけだ。

 俺はまだ俯瞰的に見ている。なんとなく自分がこの火災の当事者ではないような感覚になった。

「ムラさん!要救助者発見!建物五階部分、窓際に見えました!」

やっとこさスイッチが入ったのはこの瞬間だった。


 浅利に報告を受け、煙の隙間を覗き込むが黒煙が上がっていてよく見えない。

 ただそれでも俺は捜し続けることをやめた。時間が無駄になる。

「ディー、確実だな?」

浅利は強く頷いて返事に強い意志を込めた。

「はい」

「わかった。信用する」

そう答えたときには、すでに脳内ではアクセス手段を模索していた。

 おそらく内部進入している敷島隊が調査している東側も西側と同じ状況だろうと考えられた。つまりは基本的なアクセス手段がない。

 俺は俯瞰のなかで見出したかすかな想像に色付けを始めた。

「ディー、車上伸梯だ」

言われたときの表情からして、おそらく浅利もわずかに想像していた。

「分かりました。車、近付けてください」

俺は運転席に乗り込んだ。

 まだ無線は送らない。不確定要素が多すぎる。

 浅利の誘導に従って消防車を建物ギリギリへ近付けた。

「三連はしご架けるぞ!」

 三連はしごを消防車の車上から伸ばす。俺と浅利は消防車の車上に乗って、三連はしごを立てた。

 ちょうど良いタイミングで無線が響く。

「敷島鈴木から指揮隊長、建物東側屋内階段にあっては進入不能、どうぞ」

(いまだ)

俺は待ってましたかというタイミングで指揮隊長に返事すらさせず至急報を送った。

「メーデーメーデー、敷島村下から各隊、建物正面五階部分窓際に要救助者発見、なお現在は黒煙上昇により視界不良、人数等不明、以上」

至急報には誰にも返事をしなかったが、確実に注目が一気に集まっているのが分かった。

「なお敷島小隊村下及び浅利は建物四階部分へ内部進入します!以上」

もちろん現場にいたほとんどの隊員が眉をひそめたことだろう。三連はしごで進入できる高さは高くて三階までだということは言わなくとも分かっている。

 それが四階部分に進入すると言うのだから、不思議に思わざるを得ない。それでも俺はキッパリと言った。

 そして敷島隊の方へ目を向けた瞬間に驚きと不信感を抱いただろうことすら想像できた。

 俺達は消防車の上で三連はしごを最大限伸ばした。引きはしごを伸ばすための伸展ロープを素早く結び、ガシャンっと力強く立て掛ける。

 高さは予想どおり四階ギリギリの高さに掛かった。窓の下枠を数センチ超える程度しか余りがなかった。つまりはこのアクセスポイントからの救出は限りなく不可能に等しい。自分自身そのことを十分理解していたし、その光景を見ていた周りの隊員も分かっていた。

 「ディー、行くぞ」

強く目を見つめて放ったその言葉は、普段のそれとは違った。

「確保よし!」

はしごを後ろ側から押さえていた浅利は覚悟を言い換えるように放った。

「登梯!」

 決して、無茶をしようというつもりはない。それでもこの切迫した状況で、一分一秒を争うこの瞬間、自分達が止まれば全てが出遅れると認識していた。

 俺は無線機から響く声も聞かずにはしごを登り続けた。

 三階に差しかかったとき、凄まじい高温と熱気で息ができなかった。

 最後に吸った一息のまま四階まで登り続けた。

 四階の窓枠、つまりはしごの頂上に着いた頃、そこはもう軽く十メートルを超えている。

 俺ははしごの先端を掴み、そのまま頭を先頭にして体を突っ込んだ。地面を手探りで探し、手が着くとそのまま前転するように進入した。

「進入よし!ディー来い」

外に向かって合図する。

 今度は俺が上側ではしごを押さえる。

 カンカンと浅利がはしごを登ってくるのが手に伝わった。

 浅利が四階に到達すると、同じように前転するように入り込んだ。

「二名進入完了、これより検索にかかる」

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