第4-9話 違和感
事務室へ向かうよりも早く、江尻や石田が走って車庫の方へ向かってきた。
その雰囲気から、それが何を意味するのかは察することができなかった。
「どこ?」
スイッチが入ると質問が短くなる。
「役所っす」
江尻が追い越しざまに短く返した。
「は?」
思いっきり振り返る俺に江尻は半分だけ顔を向けた。
「市役所っす」
俺は事務室に向かってダッシュした。
江尻を信用してないわけではないが、自分の目で確かめたくなった。
事務室では指令システムコンピューターの前に鈴木隊長と渡部救急隊長が腕組みをしてディスプレイを睨みつけていた。
「市役所っすか?」
「あぁ」
隊長は明らかに険しい顔をしている。
渡部隊長が静かにディスプレイを指さした。そこには「入電多数」という小さな文字が書かれていた。
本指令を聞かずに俺達は車庫へ向かった。
「ピー、ピー、ピー、ピー、ピー、、火災指令、中高層建物、現場、木浜市中央一丁目一番、木浜市役所、第一出動・・・」
指令の末尾は消防車のエンジン音にかき消されて聞こえなかった。
俺が装備を終えて車に乗り込むと全員身構えていた。決してそんなことはないのだが、何故かたくましく見えた。
俺はいつものようにガガッとシフトレバーをドライブに入れ、サイドブレーキを解いた。
消防車を走らせながら、鈴木隊長からの第一声を待つ。「どうしますか?」とは聞かない。
何故か、この状況で隊長が何を言うのか聞いてみたくなった。
「まぁ市役所じゃ誤報だろう」
それは、まずまずこの男から発されることのない一言から始まった。
俺以外の三人はこの火災が「入電多数」ということをまだ知らない。
俺は一瞬「えっ」となったが、すぐさま意図を汲み取った。
汲み取るとこまで全員が理解できたかは分からないが、全員の想像が崩れたことは分かった。
俺も後ろの三人も返事をしない。
会話はその一言で終わったが、明らかに後ろの三人はそれを信用しなかった。
まるで聞こえなかったかのように、隊長の発言とは裏腹に空気呼吸器の着装にかかっている。
おそらくきっと、これが意図だった。何も言わずして自己判断させる。
俺は思わず感心してしまったが、それどころではない。すぐさま居直って、自らのするべきことに取り掛かる。
「ウチはおそらくケツの方です。あくまでも他隊の動向を見てということになりますが、基本的には水利は取らないつもりで行きます」
この消防車の初動に関して自己判断を報告した。
「現着したら、隊長がサイズアップに向かっている間、資器材の準備をしよう。高層建物だから五十ミリホースを準備、簡易縛帯やロープも消防車の周りに展開しよう」
江尻が曲面指揮を取っている間、並行して石田がなにやら分厚いファイルを開いていた。
「当該建物の情報です・・・」
何かを探している。
「当該建物、7/0高層建物、消火設備は連結送水管と屋内消火栓が設置されています。なお、避難系統は屋内階段が二系統あり、避難はしごなどの避難器具は設置されていません」
石田が簡潔に情報を述べた。
浅利は消防車のAVM《消防車に搭載されているナビゲーションシステム及び情報共有システム》を操作して情報共有システムを確認し始めた。
「本件火災、風向は西で風速が四メートル、建物の表面は北向きになるのでこのまま進行してもらえば風向きの注意はかわせます。側面に着く場合は注意してください。なお現在、水利予約済みの車両は三台、ムラさんが言うように、ウチは水利には着かなくていいでしょう」
全員ができ得る限りのことをしている。
全てはあの「まぁ誤報だろう」の一言から始まった。
隊長から発せられた予想打にしない一言のおかげで、全員にスイッチが入った。
「指令センターから、木浜市中央、高層建物火災出動中の各隊へ一方送信、現場は指令同番地、市役所、本件入電多数、建物7/0、252は不明、建物三階のフロアから突然出火、現在も延焼中、詳細不明、以上」
指令管制員の声色からして、状況が読み取れた。ましてや情報が薄い。おそらく通報者も切迫していて情報が取れていないのだろう。
俺は体を大きく横に振って進行方向の先を探した。
そうしながら一つ小さなカーブを曲がった瞬間だった。
けたたましく上がる一本の黒煙を発見した。
なんかおかしい。誤報というのがあえて隊長がついた嘘だったとしても、こんなに煙が上がるのはおかしい。いくら燃えるといっても相手は言わなくとも耐火構造だ。こんなに黒煙が上がることはないだろう。
(なんだ?なにが起きてる)
ようやく隊長が口を開いた。
「この火災、おそらく常識で判断すると出足が遅れる。入ってくる情報をきちんと精査して、柔軟に対応すること」
またもや珍しくも、抽象的な指示だった。これもあえてやっている。隊長自らが普段と違うことをすることで、指示の中に組み込まれた意図を読み取った。
おそらく全員が同じことを考えていただろう。
(なんでこんなに燃えている)
そしてハッと居直る。重要なのはそこではない。なぜ燃えたかではなく、いかにして活動を完遂するか。そしてどれだけの手段が考えられるのか。
「高層建物だ。はしご車の着車位置を優先しよう。現場が近づいたら確認しながらゆっくり走行してはしご車の邪魔をしないようにする。それから出火階は三階だ。おそらく三連はしごでの進入は厳しいだろう。内部階段からのアクセスを優先させよう。それから耐火構造だから、注水は控えよう。要救助者がいないことを確認してからだな」
俺が初動についてまとめる。
できればもう少し詳細に指示したかったが、いかんせん情報が少ない。
現場が近づいてくると、四方八方からサイレンの音が聞こえてくる。緊急走行する消防車に顔を向ける人がやけに多い気がした。
まもなく現着というところで再度隊長が口を開いた。
「ウチは建物の正面に着車する。あそこには電線が掛かってるからはしご車は着けられない。現着したらサイズアップに行くがエジ、イシの二人は付いて来い。お前らも分かってるだろうが、この火災、燃え方がなんかおかしい。常識で判断しすぎるなよ」
最小限にしてきちんと初動を示した明確な指示だった。
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