第4−6話 トリアージ

「ん?」

「いや、なんかおかしんすよ」

石田は溜めた。

「なにがだよ?」

どうせ言うつもりだったくせに、言うかどうかを迷うようなそぶりを見せた。

「あの、緑タグの赤ん坊、なんかおかしいっす」

「なんかってなんだよ?」

「いや、それが、ハッキリ言えないんすけど、こんな状況なのに泣いてないんですよ」

俺は振り返り、青いワンボックスの脇で母親に抱かれている赤ん坊を凝視した。距離があってよく見えないが、確かに石田の言うように泣いてないことは分かった。

「確かにな」

俺は考えて止まった。

「自分、わかるんすよ、兄弟多いんで。こんな状況なのに泣いてないのおかしいんすよ」

「わかった。イシ、様子見てこい!」

俺は石田の背中を押し出した。

 黄色タグの男性の処置に取り掛かっている仲宗根を呼びつけた。

「ナカソネ、イシが赤ん坊の様子がおかしいって言ってたけどどうだ?」

仲宗根は息を切らして赤ん坊の方を凝視した。

何度か深く息をしてから、仲宗根は答えた。

「見落としたかもしんないっす!もっかい見てきます!黄色タグの男性、左腕が開放骨折してて被覆が必要です!ムラさん、お願いします!」

仲宗根は走って赤ん坊の様子を見に行った。

「分かった!」

俺は黄色タグの男性のもとへ向かい、途中だった被覆処置に取り掛かった。

 処置をしながらも、仲宗根の動向が気になった。

 そのとき、とうとう聞かれたくない質問をされた。

「なあ、消防士さん、俺はいつになったら救急車で運んでくれるんだ?」

 俺はわざと一瞬止まって、その男性の顔を正面から見た。少し間をおいてから、できるだけ声色が変わらないように答えた。

「傷病者が多数います。全員を適切に搬送するため慎重に観察しています」

 俺のつまらない答えに、その男性は明らかに不服な顔を浮かべた。


 そのころ、指揮本部では搬送順位の選定が進み、着々と決まってきたようだった。

 三番目の救急隊も到着し、ほとんど観察もなくスクープアンドラン状態で二人目の赤タグ女性の搬送にあたり始めていた。

 仲宗根が戻ってくる。

 それに合わせて、俺は全員から距離を取った。

「やっぱり石田の言うとおりかも知れないです。ですがこれといって決定打がありません。バイタル測定もしてみましたが異常が見当たりませんでした。でも確かに違和感があります」

 確かに子供、とくに赤ん坊は自分で意思表示ができない。

「タググレードあげるか?」

 そう聞いたとき、指揮本部から全活動隊員への召集指示が無線機から流れた。

「指揮本部から各隊員へ、搬送順位の意思統一を図る、指揮本部に集合すること」

 その無線に答えて、指揮本部に足を向けたが、ギリギリまで仲宗根から目を切らなかった。

 最後の瞬間、仲宗根が小さく頷いた。


「赤タグ二名の搬送が完了した。増隊要請をかけたがみんな出払ってて次の救急車が来るまでは三十分近くかかるそうだ。つまり、即時搬送できる救急隊はここにいる敷島救急だけだ。次の搬送は黄色、緑タグは救急車が来るまで消防隊が管理することとする」

それは普段なら、無線で流すだろう内容だった。

 仲宗根が目線を落としたまま一歩前に出る。

「指揮隊長・・・」

何かを覚悟するように目線を上げた。

「緑タグの赤ん坊、黄色にグレード上げます!」

それは決して大きくはなかったが、現場にいる全員に聞こえるかのような透き通った声だった。

 一瞬、全員の眉間にシワが寄ったのが分かった。

 すかさず指揮隊長が返した。

「なんでだ?」

仲宗根のシワも負けじと強く寄っていた。

「赤ん坊のバイタルを観察しましたがバイタル異常は見られませんでした。ですが、この状況に泣き声一つあげないのは異常行動と思われます。また、追突による衝撃は身体的生育が弱い赤ん坊にとって状況評価からして高リスク受傷起点と判断します」

無理矢理にでも報告しきった。

 全員が苦い顔をし、懸念をオブラートに包んでいる間に間髪入れず続けた。

「よって黄色タグ二名と判断、二名のバイタル測定を実施し搬送順位を再評価します」

そう言って仲宗根と武林は黄色タグの男性、つまり議員の男性のもとへ向かった。

 そこへ入れ替わるようにスーツの男が割って入った。

「どういうことだ?先生が先ではないのか?」

予想どおりの流れすぎて、思わず目を閉じて顔を上げた。

「失礼ですが、先生とは?」

鈴木隊長が物腰柔らかく、聞かなくても分かっていることを質問した。

「市議会議員の大沢先生です」

分かっていたのは鈴木隊長、指揮隊長の二人だけだったようだ。

 そしてこの不毛な自己紹介に俺は必要ない。

 俺はそっと抜けて、仲宗根がバイタル測定をしている議員先生の方へ向かった。直接見なくとも明らかに不機嫌な顔をしていた。

 俺はあえて分かりやすく聞いた。

「ナカソネ、どうだ?」

それが分かって、仲宗根も淡々と答える。

「開放骨折があるので、血圧が少し下がっていますが、他のバイタルは問題ありませんね」

「そうか、わかった。指揮隊長に報告に行こう。タケ、傷病者を見てて」

そう言い残し、仲宗根を連れ帰った。

その途中、歩きながら聞いた。

「お前はどう思う?」

仲宗根は葛藤していた。

 確かに赤ん坊の異常行動については、気がかりな部分が多い。ましてや詳細な検査ができない現場でかつ意思表示のできない赤ん坊となればできれば優先したい。しかし、開放骨折という一見重症感の高い負傷は優先度が高いように見える。それを素人にうまく説明することは難しい。

 仲宗根は答えない。

 通常の判断で言えば、明らかに外傷のある傷病者を優先すべきなのだが、次の救急車が来るまでに三十分かかる。そうなるとその間に赤ん坊が万が一にも急変した場合、消防隊だけでは対処できなくなる。

 しかし、目の前で起きている惨状が最もそれを許さなかった。


 明らかにスーツの男の口調が変わっている。

 指揮隊長に詰め寄っていた。

「先生はあんな大怪我をしているんだ。黄色だか緑だか知らないが、早く搬送してくれ!」

「現在、ウチの救命士がトリアージという優先順位選定をしています。トリアージというものには高度な技術が必要で救急救命士という資格を持った隊員にしか許されていません」

渡部救急隊長が丁寧に説明をしているが全く聞いていない。

「どっちが重症かなんて私が見てもわかる!どう考えても先生のほうが重症だろう!あんなに痛がってるんだぞ!そんなことも分からないで、まったくウチの消防は何やってるんだ!」

 更にヒートアップをみせる。

(こりゃダメだな)

指揮本部の手前で俺は仲宗根の腕を掴んだ。正対するように正面につき、俺は指揮本部に背を向けた。

「仲宗根、救命士はお前だ!お前に分からなきゃ俺達にも分からない!間違いか正解かで考えるな!全部救う方法はどれだ?」

 指揮本部の方を向く仲宗根は、口を結ぶことでそれに返事した。


「黄色二名のうち、乳児の症状が重篤な可能性があります。男性の方は緊急性を要しないことが断定できますが、乳児に関しては不明点が多く、症状悪化の可能性を否定できませんでした。よって、乳児の搬送を優先します!」

 仲宗根は滑らかに言い放った。

 またしてもシワを寄せられるかと思い、全員の顔を見渡したが、その時には厳正とした顔が広がっていた。一名を除いて。

「頭おかしいのか?どう考えても先生の方が重篤だろう!何だこれは?わけが分からない!いい!もう早く先生を搬送しなさい!」

そう言って渡部救急隊長の腕を掴み引っ張った。

 その引っ張られたときの顔を見る限り、この男もまた覚悟していた。

 仲宗根の啖呵に感化された俺はスーッと息を吸い込んだ。

 一言申し上げようと息を吐こうとした瞬間だった。鈴木隊長が思わぬ一言を言った。

「分かりました。おっしゃる通りです。では救急車へどうぞ」

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