第4-4話 忘れられた昼食

 仕事に行くと、瞬間的に他のみんなの休日もたやすく想像ができた。

 おそらく全員が同じ状態だったようで、完全に虚脱した表情を浮かべていた。

 そうなってしまう原因はわかっている。この問題が誰も悪くないというなんともぶつけ難いフラストレーションのもとに生まれた歪な感情であることは明確だった。

 強いて言うなら、現代の消防署が抱える闇でしかなく、それをいくら自分達が騒ごうとも何も解決しないということを分かっているからこそ虚脱してしまう。

 災害や明らかな敵視に対しては真っ向から立ち向かっていく自分達も、見えない愚物を前にして手をこまねくことしかできなかった。


 いつもと同じように勤務に着くものの、どことなくよそよそしい。それぞれが必死に隠しているからこそ、それが容易に分かってしまう。

 それが石田にとってどれだけやりづらいかということを理解していながら、それを修正できない自分たちの弱さが憎くてさらに状況が悪くなる。

 「今日、メシ何?」

俺はいつもどおりに点検終わりのタイミングで江尻に聞いた。

「たらこスパっす」

江尻の返答はぶっきらぼうだった。

「ずいぶん手抜いたな」

茶化した俺に江尻は冷たい視線を送った。

「てめぇ、なんだその目は?」

俺がおちゃらけて聞くと、江尻は更にトーンを下げて言い放った。

「だと思いましたよ」

俺は少し考えてから、自分の過ちに気がついた。

「あ、わりぃわりぃ」

おどけて謝ってみせたがもう遅かった。

「次のメシは俺がやるって自分で言ったんすよ?」

俺はすっかり忘れていた。

「まぁ、大丈夫っす。ストックあるんで」

江尻は背中を向けて事務室に向かったまま言葉を残していった。

「わりぃエジ」

俺は江尻に聞こえないくらいの声で返した。


 事務室に行くと、仕事は無駄に進捗が早かった。

 それぞれがただひたすらに自分のやるべきことに取り掛かった。

 こういうとき決まって人間は作業が得意になる。

 この歪な空間を打ち壊したのは鈴木隊長だった。ちょうどいい頃合いを見つけて声を掛けた。

 「みんないいか?」

その一言が全員にとって救いだった。

 全員はいつになく厳粛な姿勢で自分の席に座った。

「みんなも聞き及んでいると思うが、一度きちんとみんなに話しておこうと思う」

そう言うと、石田が起立した。

「石田の方から退職の意向について話があった。理由としては、消防ではなく新しい道に進みたいということらしい。全員分かっているとは思うが、これは前向きな新たなる道への挑戦であって、決して後ろ向きなことではない」

 そう言うと隊長は全員の顔を一瞥した。

「だからといってお前らに落ち込むなと言っても無理なことは分かってる。悲しいなら落ち込んだっていい。別に前向きだろうが後ろ向きだろうが関係ない。人の別れなんて悲しいものだ。好きに感じろ。ただな、活動に支障をきたすな。それだけだ」

(自分が一番だろ)

隊長が「好きにしろ」というときはだいたい自分が一番感じているからだ。それを自分に言い聞かせるときに「好きにしろ」と言う。

 俺は思わずフッと小さく笑ってしまった。

 そして同じタイミングで渡部救急隊長が笑った。

「なんだお前ら」

鈴木隊長が俺達二人に細い目を向けた。

「いや、別に」

そう返したのも聞かずに続けた。

「以上だ。あとは適当にやれ」

隊長はそう言って事務室を出ていった。

 足音が遠ざかっていくとともに、事務室ではこぼれ笑いが大きくなっていった。

「オヤジも悲しいんだよ」

渡部救急隊長が石田に声を掛けた。

 石田は申し訳なさげに渋い顔を浮かべた。

「そんな顔すんな!胸張れよ!」

 武林が大げさに励ました。

「この人なんて、考え過ぎちゃって買い出し忘れたんだからな」

江尻が俺を指さしながらチクった。

 俺は気だるそうに江尻を睨みつけた。

全員のなかにドッと笑いが起き、このときには異様な空間は引き裂かれていた。

 そこからは普段どおりの時間が流れた。普段どおりといっても全てがそうではない。石田の退職という圧倒的な異常をかかえたまま、それでも普段どおりの素直な全員に戻った。

 聞きたいことは聞き、言いたいことを言った。不要な気を遣わないというのが最大の気遣いであり、それに対して石田も素直に答えた。


 「そろそろ昼メシ作っかー?」

俺はあえて大げさに声を掛けた。

作るも何もない。

「作るってパスタ茹でてたらこソース和えるだけじゃないですか」

江尻の嫌味はしつこく続いている。というより、俺の故意によって無理矢理続けさせられている。

 江尻の無駄絡みに呼応するかのように救急隊の武林や仲宗根もダルそうに手伝った。

「いいから文句言わないで手伝えよ」

そう言いながら、俺が湯がく用の大鍋に水を入れている最中だった。

  「ポー、ポー、ポー、、、救急指令、交通、入電中」

 予告指令の音源種類からそれが消防隊への出動も示唆することは分かった。

 俺達は流れるように任務分担をする。

 何よりも機関員が現場をいち早く確認することが最優先される。

 俺は言葉もなく台所の全ての作業を浅利と石田に託し、やりっぱなしのまま事務室に向かった。

 「交差点だな」

先に指令システムコンピューターを覗き込んでいた渡部救急隊長がみんなに伝えるように話した。

「どこだ?」

しばらく席を外していた鈴木隊長も事務室に覗き込むと、必要最小限の質問だけした。

「中嶋の交差点ですね」

そこは言わずと知れたいわゆる魔の交差点と呼ばれる場所で、なぜか大きな事故が多発する場所であった。

 「ピー、ピー、ピー、ピー、ピー、、救急指令、交通、現場、木浜市中嶋地先、中嶋交差点、第一出動、木浜指揮1、敷島水槽1、柳水槽1、敷島救急1、清水救急1、木浜救急1」

 消防隊と救急隊の同時出動となれば圧倒的に出動に時間を要するのは消防隊の方である。よって、俺は我先にと車庫に向かって防火衣の着装にかかる。

 指令内容の確認は救急隊に任せる。

 車庫に着くとすでに俺以外の四人は着装が済んでいた。

 自然と俺の着装の手伝いをしてくれる。といっても、無駄に手を出されるより、自分で着たほうが早いということも理解しているから、必要最小限に手を出すという難易度の高い支援作業をこなす。

俺がほぼ防火衣を着終わった頃、仲宗根が車庫に出てきた。

「車両三台の関係する事故で負傷者複数名いる模様です」

俺は返事の代わりに息を飲んだ。

 消防車に乗り込み、短く隊長に伝えた。

「車三台、多数傷です」

それだけで隊長はパツンっとスイッチが入る。

 石田が最後に消防車に乗り込み、後部座席のドアを閉めるときにはサイドブレーキは解かれギアはドライブに入っていた。

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