第3-43話 ミッション遂行

 出動前に話していたように、前例の少ない災害に対してはできるだけ細かく指示してあげるべきだと思っている。それでも自分自身の経験値が足りない時もだってある。

 現場に着くと、鈴木隊長はそそくさと警察官の元へ情報収集に向かった。

 そこはそこ、上は上なりの話がある。俺は俺で騒然とするなか、同年代くらいの警察官を捕まえた。

「どんな感じですか?」

おそらく俺より若いその警察官は、至極嫌な対応で返した。

「すいません、ちょっと忙しいので」

(なんだコイツ)

 内心では悪心を抱きながらも、人は焦っている人を見ると冷静になれる。一歩引いた位置から忙しくなさそうな人を探した。

 少し離れたところに顔見知りの警察官を見つけた。その警察官は敷島出張所から程近い場所にいつも詰めているよく知った警察官だ。

俺が近づいていくと、その男はニヤリと笑みを浮かべた。

「ざっす。熊田さん」

本当の名を桑田と言う。

「いやー、困ったねぇ」

この男は大柄で見た目が熊のように見える。だから熊田と呼んでいた。

「概要、分かりますか?」

俺の問いかけに対してぶっきらぼうに返した。

「別れ話がこじれて男が女を刺したんだと」

なんとなく見えてきた。

「それで立てこもってるんですか?」

「そう」

「人質はその女の人ですか?」

「おそらくは…」

確かにこういった場合、大概状況が予めない。

「じゃあ負傷程度とかもわかんないっすよね?」

「悪いね」

熊は小さくなって申し訳なさげに頭を掻いた。

「いえいえ」

とは言ったものの内心焦った。

(やばい…)

何がやばいのか。俺達はこの事件について、まだほとんどのことが分からないことばかりだが、何せ「要救助者が女性でどこか刺されている」という状況だ。

 ヘルメットの中がジワッと汗で湿った。


 俺は必死になって江尻を探した。江尻を見つけるやいなや急いで声をかけた。

「エジ!防火衣!」

本来ならこういった特異な災害では、事細かに指示するべきなのだろう。しかしそんな余裕はない。

 その余裕のなさを感じ取って、江尻は目を合わせると何も聞かずに消防車へ走りだした。

 その時だった。

 少し離れたところから怒号が聞こえた。

「何もしないのか!?」

あまりの大声に現場が固まった。止まらなかったのは俺と江尻の二人だけだった。

 俺達は静止した野次馬や警察官の間をすり抜けて走った。

 防火衣を着ながら、その後に続く予想通りの動向に耳を傾けた。

「それで、おまわりさんは何もしないのか?」

「いいえ!だから今、機動隊を呼んでるんです!」

「それには何分もかかるんだろ!そのあいだに要救助者はどうするんだ!」

「だから、交渉もできない。突入許可も出てないんです!」

 警察官もなかなかだ。この勢いに引き下がらない。それには拍手を送りたいところだが、この男をナメてはいけない。

「そうですか。わかりました」

急におとなしくなった。

(ダメだ…)

それを見て周りの人達がどう思ったのかは分からないが、俺が抱いたのは諦めの感情だった。

 鈴木隊長は穏やかな顔つきで消防車に戻ってきた。

 何も言わずに手のひらをまっすぐ伸ばし、正面で垂直に空を切った。

 俺に向かって何かを合図した。きっと誰にもわからない合図だろう。俺ですら初めて見た。だが意味はわかる。

 石田や浅利も俺達の様子を見て防火衣の着装を終えていた。

 俺は浅利の肩を掴んでグッと耳を引き寄せた。

「正面から見えない消防車の影に破壊ツールを全部用意してくれ」

そんな必要はないが、あえて雰囲気を出すために小声で言った。

「エジ、側面と裏、見てこい。イシ、双眼鏡くれ」

俺は短く指示をしてから、消防車の天井によじ登った。

 石田から双眼鏡を受け取り、覗き込む。ドアのデッドボルト部位を凝視した。

 浅利も天井に登ってきた。

「どうすか?」

「んん…五分五分だな」

「と言うと?」

「開放はできるが、一撃で行けるかどうか…」

「なるほど…」

江尻が建物の周囲を見渡して戻ってきた。

「どうだ?」

「行けない事はないですが、静かにってのは厳しいですね」

つまり玄関以外からの進入はできない。

「わかった」

こういう特異な活動をしていると、何故か言葉が崩れる。

もう一度双眼鏡を覗き込みながら、ふと思った。

(コイツらすげぇな)

そう。俺も鈴木隊長も現場に着いてから、一切何も活動方針を指示していない。指示したのは断片的な要求だけだ。

 こんな災害対応の経験は一度もないはずだ。俺もない。それにもかかわらず、理解している。


鈴木隊長が渡部救急隊長との話が終わって、戻ってきた。

「行けるか?」

あまりにもひどい指揮である。指示もなければ確認もない。

俺達は合わせるように言葉ではなくサムズアップで返した。

「わかった」

まだブリーフィングもない。

(このまま行くつもりだな)

俺は内心で諦めた。悪心は無い。むしろ、腹が座った。

 五人でぶっ揃って、アパートの屋外階段を目指した。

 一人の警察官が近づいてきた。

「何するんですか?」

聞かなくてもわかるだろう。それぞれの手にはエンジンカッターやらハリガンやらが持たれている。

「ちょっと見に行くだけだ。そのままベランダで引きつけといてくれ」

あまりの威圧感にその警察官はそれ以上何も言えなかった。

 後ろからクマが近づいてきた。

「おいおい、勝手だなぁ」

小さな声で俺に言った

「無理ですよ。こうなったら止まんないです」

このクマは隊長のことをわかっている。わかってて聞いている。そのまま流れるように見送った。

 階段を登りながら、石田が聞いてきた。

「どっちで行きますか?」

エンジンカッターでの開放とハリガンでの開放、どちらで行くかという質問だった。

 俺は手に持ったハリガンを掲げながらドアの方を見た。

「一撃でいくさ」

「はい。じゃあドア開放は自分がやりますね」

俺達は二階に着くと、ハリガンとハンマー以外の資器材を階段の踊場に置いた。

 隊長がドアの前に立つ。

 石田がドアノブを握り、俺はドアノブとフレームの隙間を正面にするように立った。

「デッドボルト、破壊します」

俺は隙間を凝視したまま言った。隊長は何も返さない。

 隙間からハリガンを入れ、一撃でデッドボルトを叩き切れる位置を探った。

 後ろには浅利がハンマーを手に構えている。

「ディー、水平叩打、必ず一撃で切れ」

伝えたい事を最小限にまとめた。

「エジ、俺が先行する、後ろ付いて来い。万一の時は避難しろ。イシとディーはバックアップ」

全員を一瞥した。

「三で叩打する」

さすがの俺も息を飲んだ。

「一、二、三…叩打!」

カンッという鋭い音とともに、ハリガンを支えていた俺には切れた感覚が伝わった。

 押し込まれたハリガンの柄をてこの原理で大きく曲げ開き、ドアがフレームからガコンッと外れた。

 石田がドアの縁をつかみ、一気に開く。

 隊長が俺達を押しのけて先に入った。

 俺達には中が見えない。

 隊長の腰を掴むようにくっついて進入し、玄関からほどなくしたところのリビングで、女性が腰から血を流して倒れていた。

 俺が女性の右手首を、江尻が左手首をつかみ、万歳させるようにして引きずった。引きずった後を血痕が追いかける。

 女性が息をしているのかしていないのかすら分からない。

 俺と江尻が女性を引きずり始めた時、横目でわずかに隊長の姿を見た。

 突然突入してきた俺達に向かって、咄嗟に男が向かってきたが、俺達のところまで辿り着くことはできなかった。おそらくだが、ハッキリとは分からないが隊長が蹴り倒した。俺達は何も見ていない。そう。何も見ていない。

 玄関近くまで引きずると、石田と浅利に引っ張られた。

 女性を低い姿勢で引っ張り出した俺達を跨ぐようにして何人かの警察官が続々と中に入って行った。

 あとは救急隊と石田達に任せようと思って、邪魔じゃないところに避けた。

 現場がバタバタと動いているなか、室内から隊長が出てきた。

「おつかれさん。悪かったな」

相変わらず低いテンションで短く礼を言った。普通これではお礼にならないのだが、この男の場合は違う。

「いいえ」

俺達は心情を察して短く返した。

「帰りましょう」




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小説のなかのセリフやワンシーンを消防フォトに添えて投稿しています!

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