第3-41話 揺らぎ

 結局、新川との話はどこにも着地しなかった。

 彼からの話は、相談ではなくほとんど愚痴のような形になった。新川が話した「東京に行こうと思う」という話が、どれだけ真剣なのかは測らずにいたが、それは新川が深くは聞いて欲しくはなさそうな気がしたからだ。

 ただ、彼自身がわがままな戯言を言うような男ではないので、俺としてはわずかながらも心に心配事を抱える形となった。

 別に新川が辞めたからといって、正直自分に何か不都合があるわけではない。彼の人生が一変するだけで、俺にはほとんど影響しないだろう。むしろ個人的には、親しい友人が大都市に繰り出すとなれば、それはそれで鼻が高い。先進消防組織の話が聞けたり、東京に遊びに行く機会を得たと思えば、そちらのほうがメリットが大きいかもしれない。

 そんなことを考えていたわけではないが、俺は不思考を貫いた。俺の意見も言わないし、一般論も述べなかった。そんなときばかり、常日頃後輩達に「常識を疑え」と教えていることを言い訳にして、考えるのをやめた。

 「ヤツの人生だからヤツが決めるべきだ」などという、そこらへんに落ちているようなありきたりな意見を言うつもりはない。何かをきっかけに、俺の中で答えが出たら、そのときはおおいに意見を述べてやろうと思っていた。

 新川自身も、特段のアドバイスや意見を欲したわけでもない。それらを求めもしなければ、この大事を秘密にしてくれとも言わなかった。もしかすると、むしろ言い広めてくれという意味なのかとも勘ぐったが、俺にそんな勇気もなければ、そこまでの正義感もなかった。俺も新川も、そこまでして組織を変えようという気など持ち合わせていなかった。


 仕事に行っても、それを誰にも話さなかった。もちろん、俺が新川と会っていたことはみんな知っている。それでも詮索が嫌いな俺の手前、誰も聞いてこなかった。電話口で明らかに相談を受けるような会話をしていたのだから、本当はみんな気になっていたはずなのに、それでも平然と過ごした。

 しかし、適度にジャブは打たれる。

「こないだの釣り堀どうだったすか?」

江尻が二人きりになったタイミングを見計らって、聞いてきた。江尻としては悪気はないが、それでも答える気にはならなかった。

「相変わらず全然釣れなかったよ」

俺の回答を聞いて、江尻はすぐに襟を正した。もうそれ以上は聞いてこない。


 問題が起きたといっても、それは俺や新川の中だけであって、シキシマには関係ない。

 つまりどんなときでも仕事内容は変わらず、訓練をするだけ。

 先日から行っているのは、救助隊支援訓練。俺を除いた三人で、俺が起こした想定に対して、救助隊現着までの補助活動を行う。正解もなければ、限界もない。現着予想時間を考慮して、活動内容を自分達で決めていく。

 例えば、先日の交通事故による高所作業救助に関しても、様々な条件を変えて行った。救助隊があと三分で現着すると言われていれば、作業内容は変わったはずだ。それらをひたすらに起こしてはこなした。

 この訓練はわりと高度な訓練で、やりがいもあるが、ときに若者を絶望に叩き落とす。対処活動が思い浮かばなければ、刻々と時間が過ぎ、あっという間にタイムリミットを迎える。その結果、何もできない絶望に苛まれる。

 しかし、人はそうやって追い込むと、追い込まれることに慣れてくる。最初は焦りから何も思い浮かばなかった者が、一つ、二つと思い浮かぶようになってくる。そしてその数が増えていけば、活動のクオリティが上がっていく。

 また、コミュニケーション能力も養うことができる。活動プランの提案手段や、それに対する否定、推敲、決定などの過程を訓練のうちに経験させておく。

 この古びた縦社会にはまだ浸透していないが、そういう部分に主眼を置いた訓練は、こちらが無理やり作ってあげなければならない。

 できない作業があれば、何度でも繰り返し行う。それも単に繰り返すのではなく、少し時間を置いたりシチュエーションを変えて行う。

 休憩時間はデブリーフィングには使わない。というかデブリーフィングは基本的に必要ない。振り返ったところで、それは単に自己満足になってしまう。その場、その場で物事を判断していく思考が求められる。

 彼らはこの期間、まるで何度も現場活動をこなしているような感覚になっていただろう。基本訓練や復習はしない。とにかく現場でできるかどうかを追求した。


「最近、なんか燃えてますね。特に今日は」

訓練終わり、江尻は他意もなく聞いてきた。

「ん?訓練つまんねぇか?」

「そんなわけないでしょう。こんな面白い訓練ないですよ」

「他のところじゃこんなことできないからな」

俺は自負を全面に押し出して答えた。といっても好き放題やらせてもらえる感謝だけは忘れていない。

「そもそも他じゃここまでのスキルを求められませんからね」

江尻も胸を張って答えた。

「シキシマにも求められてないかもしれないけどな」

ふと隠し持っていた不安をこぼしたのを江尻は見逃さなかった。

「なんかあったんすか?」

そのとき、タイミングよく遠くから浅利が割り込んできた。

「ムラさーん、今日やった立坑救助支援、夜もやっていいすか?」

「こんだけやったんだから夜はもういいだろう?ゆっくりしよーぜ?」

俺がわがままに答えると、浅利も江尻も俺の意見なぞ気にもとめなかった。

「やりますからね!よろしくおねがいしまーす」

浅利は吐き捨てながら通り過ぎていった。

「マジかよぉ」

めんどくさ気にも浅利の背中に笑顔を向け、江尻がこちらを見つめていた。

「いい・・・」

江尻の言葉尻だけが聞こえた。

「あんたは迷わなくていい」

「あ?」

「上下左右、敵だらけで大変かもしれないけど、あんたは迷わなくていい」

江尻は俺から目線を逸して言った。

「”俺達がやってることは正しい”なんて胸を張るつもりはないけど、もしかしたら行き過ぎなのかなっても思いますけど、一日中菓子食ってソファに座ってるよりはいいでしょう」

俺が笑うと、江尻は続けた。

「って、自分が教育を受け始めた頃にあなたが言ったんですよ」

俺を茶化したがすぐに真面目な顔になった。

江尻は車庫で片付けをする浅利の方を向いた。

「あなたが思ってる以上に、自分らは覚悟してますよ。自分らがやってることも、現場で目指していることも、それが周りにどう思われるかも、ちゃんと分かってますよ。その上で、ああやって”夜もやらせてくれ”って言ってるんです」

改めて彼らの言葉や動きを見て、揺らいだ覚悟や信頼が確固たるものになった。




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