第3-40話 広がる波紋

 しばらくの間、俺達の禅は続いた。

 本題らしき話をするわけでもなければ、世間話すらしない。俺達はひたすらに浮きの動きだけを見つめ続けた。

 ときにはタバコを吸ったりもしたが、釣り堀は手が汚れるので、スマホすら触る気にならない。

 やっと新川が口を開いたかと思えば、「あ、コレ」と言ってショルダーバッグに入れてあった缶コーヒーを渡してきただけだった。それに対して、俺も「センキュー」としか返さない。

 何が悲しくてこんな若者二人が平日の真っ昼間に、こんな静かな場所で釣りなんかしてるのか。

 やっとの思いで魚がかかった。俺は優しく竿を上げる、魚は激しく抵抗した。俺も負けじと思いっきり釣り上げようとすると、せっかくの初当たりがバレた。針と釣り糸は反動で大きく宙を舞い、俺のもとに帰ってきた。

 俺は悲しくもなく無表情に溜め息をついて、また針に餌を付ける。つけ終わると、それをなるべく水面が波打たないようにチャポンと入水させた。

 新川は変わらず浮きの動きを眺めている。

「それ、もう餌取れてんぞ?」

俺の言葉に返事もしない。そう、この男は諦めが悪い。

「新しいの付けろよ」

俺の言葉を最後に、ようやく破られた沈黙は帰ってきた。

 しばらくは、餌を付けては入れ、騙されては竿を引いた。

 ようやく禅が終わったのは俺が二本目のタバコを吸い始めたときだった。

「自分、東京に行こうと思います」

それが、観光や遊びに行くことではないことくらい、聞かなくても察した。

 今度は俺が無視する。

 俺は電子タバコのボタンを長押しして強制終了した。吸い途中のカートリッジを灰皿にポイッと投げ入れる。

 針に餌を付けて、水中に投げ入れた。

「なんでまた?」

新川はアタリもないのに、竿を引き揚げた。

「・・・目標が分からなくなりました」

深刻な話なのは分かっていた。それでも、「木浜消防を辞める」というようなことだとは予想し得なかった。

「なんか悩みでもあんのか?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど・・・なんか、ムラさんは救助隊を降りても消防隊で楽しそうなんですよ。でも自分は、今の救助隊にいても楽しくないんです」

「ほう・・・というと」

俺は新川に話を始めさせた。

「最近・・・最近でもないんですけど・・・救助が前線で活躍することが少ないんです。俺達が最後の砦だからとか、バックアップだからとか、消防隊にはできないことがあるからとか、理屈では分かってるんですけど、じゃあその先に何が待ってるのかって思ったら、救助隊は出動も少ない上に、出動しても消防隊が頑張ってくれちゃうときもある。俺達が活躍できる場面って少ししかないんです」

「ん・・・なるほどな」

「ウチには高度救助隊や特別高度救助隊があるわけではない。国際緊急援助隊に登録されているわけでもない。特別救助隊になると、その上はないんですよね」

新川ははっきりと落胆した声で言った。

「それでもっと高みを目指したいってことか?」

俺が話をまとめようとすると新川は返事を渋った。新川は針に餌を取り付けると、静かに水中に投下した。

 今度は俺が竿を上げる。

「キョウ、そんなことじゃないんだろ?」

竿を置いて前かがみになって膝に肘を付いた。

 新川の竿にアタリがあるが、彼は引き揚げなかった。俺も新川もアタリから広がる波紋を見つめたままでいた。

「なんかつまんねぇんすよ。出動のこととか目標とかじゃなくて、つまらないんです。最近の本署はなんというかすごく業務的で、仕事だけやってればいいって感じで、とにかく問題を起こさないように無難にって感じで。後輩の指導に関してもパワハラにビビってて、行き過ぎた指導をしないようにとか、若いヤツに忖度しすぎてて、あれじゃ後輩なんて育たないし、強いヤツなんてできあがらないっすよ」

見なくても新川の表情は伝わってきた。声からして涙を流しているわけではないが、怒るように顔がクシャッと潰れている。

「褒めて育てられた人間と貶されて育てられた人間、前者が辿り着くのは所詮、指導官が予想し得る範疇。後者は稀に突き抜けるときがある。俺は、そんな都合のいいこと言って育てられました。おかげさまで、突き抜けたかは分からないけど、大概のことじゃへこたれなくなりました」

「でも、だからといって後輩の教育に悩んでるとかじゃねぇんだろ?」

「そうっすね・・・」

新川はハッキリと真意は言わなかった。それでも彼の悩みはなんとなく察した。それがどうにも言葉にしようのないもので、故に彼自身もどうしていいか分からないという葛藤の中、相談に来たことは分かった。そしてそれは、俺が救助隊に戻れば解決するような問題ではないことを暗に示していた。

「ムラさんが救助試験を受けること、阻止しようとしている連中がいます」

新川は急に話を切り替えた。

「そうかえ」

「最近のシキシマの動きから、”危険因子は救助に戻すべきではない”と密かに動いている人間がいます」

「なるほどね」

俺は他人事のように返した。

「ムラさんや伊川さんが受ければ、十中八九合格ラインに達するし、経験値だって豊富です。それを”落とす”もしくハナから”受けさせない”と画策している人間がいます」

「まぁそんなとこだろうと思ったよ」

新川は浮きも見ずに俺を見つめた。

 俺は少し顔を上げつつも目線は水面に流した。

「別にいいんだよ、それならそれで。お上がそう決めるんならそれで構わない。従うしかねぇだろ。もしそれを聞いていたとしても、俺は志願するし、それは伊川も変わらないと思う」

「俺や早坂は、いつかそのうち、あなた達が戻ってくると思って頑張ってきました。こないだの霧島隊長の一件もそうです。どうして頑張っている人間がそんな目に合わないといけないんですか。このままじゃ、二人とも笑いものになりますよ」

新川の目線は、ほとんど睨むような目つきになっていた。

「知らねぇよ。でもよ、だから”はいそうですか、では静かに生きます”ってわけにはいかないんだよ。お前らがそう言ってくれてるのに、こっちもこっちで、引き下がるわけにはいかねぇんだわ。それならそれで構わない」

睨む新川に、俺は笑顔で返した。

「そういうところが、お上が気に食わないところなんすよ」

新川の言ってることは的を得ている。

「だからって俺達が引き下がるところを見たいわけじゃないだろ?」

俺の言ってることも的を得ているはずだ。




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