第3-39話 浮き沈み

 帰りは進入時の慎重さはない。

 空中から地上に戻ると、口の中に血の味がした。きっと歯を食いしばっていて歯茎から出血でもしたのだろう。

 ふと石田を見ると、拳を必要以上に強く握っていた。石田は救急車内に収容されていく要救助者を眺めていた。

 俺が近づこうとすると浅利が石田に近づいて行った。

「イシ・・・」

浅利は石田の握られた手を優しく手にとった。

「頑張ったね・・・もう大丈夫だよ」

緊張からか必要以上に強く握られた手をゆっくりと解いた。

「ホントは俺が行ければ良かったんだけど、ほら、なんせ体重がね・・・」

そういったときには先程までの雰囲気はなくなっていた。

 一重瞼の大柄な男が見せた優しさにしては、それはあまりにも大袈裟で石田自身も驚いていた。


 要救助者の搬送が開始されてから、俺達は撤収作業にかかった。といっても撤収作業の方が大掛かりな作業になってしまう。救助工作車に搭載されているクレーンを使って事故車両を安全な位置まで動かすことになった。

 今度は俺達が救助隊の補助に回る。救助隊員は俺達と同じアプローチ方法で車両の各所に釣り上げるための支点を取った。

 無事に車両が移動され、消防署の仕事としては一段落を迎えた。あとは警察官や業者に任せる。

 俺達は資器材を撤収して引き揚げ準備にかかった。

 俺がロープを撤収していると、一人の救助隊員に声を掛けられた。

「ムラさん・・・また俺達は出番なしですよ・・・」

それは良くも悪くも声にならないような掠れ声だった。

「キョウ・・・」

俺は彼の名前を呟いた。

 新川恭介(あらかわきょうすけ)という。歳は俺より三つ下の二十六歳。俺が特別救助隊に所属していた頃に一年だけ一緒に勤務した。一年だけと言っても救助隊の若手にとっての一年は濃いものになる。ましてや俺達が一緒だったのは新川が新人の頃だったから、なおさらそれは記憶の奥深くに刻まれている。

 声を掛けてきたとき、新川の表情は明らかにもどかしさを抱えているそれだった。

「なんてね。ありがとうございました。ムラさんが先に着いててくれてよかったですよ。あの要救助者、かなり限界でしたからね」

「おう・・・こちらこそありがとうな救助が来てくれて助かったよ。俺達だけじゃ、かなりキツかった」

 新川は救助工作車に戻っていきながら、こちらに向かって親指を立てた。

 俺が消防車に戻ると、みんなはすでに準備を終えて待っていた。

特に余計な会話をすることもなく「おつかれさまでした」の「した!」とだけ言って消防車に乗り込んだ。


 帰りの道中でも会話は少ない。するとしても全く関係ないことばかりだ。それがシキシマらしいといえばシキシマらしい。きっと帰ってからも特別にデブリーフィングなんぞはやらないのだろう。それぞれ細かい反省点はあっても、それをわざわざ口にしなくても分かっている。

 浅利が加わっての初出動は、まるで何も変わっていないかのようだった。浅利がいたことにより、良かった点こそあれ、悪かったことは一つもない。それでもそれが「浅利のおかげ」と浅利様様にならないところが、何よりも彼が馴染んでいる証拠だった。まるでこれが本来の姿だったかのように。


 そんなことよりも俺には他に気がかりなことがあった。それは新川の表情だ。明らかに元気のない顔だった。もともと新川は感情を表に出すタイプではない。淡々と無表情でこなしていく。特に仕事のときは。それがあんなに分かりやすく表情に出すのはあまり見たことがない。

 そんなことを思っていると、夜間勤務中の俺のスマホに電話がかかってきた。

「もしもし」

「あぁ、ムラさん、おつかれさまです」

「よぉ、どうした?」

「あの、救助出動お疲れさまでした」

「おぉ、ありがとう」

それから新川はいくつか質問をしてきた。車両固定方法の詳細や救出プラン決定のプロセスなどありきたりな質問を重ねた。質問と質問の間に妙な間があって、あからさまにモジモジした。

「接触時の要救助者の容態は・・・」

ついに報告書を読めば分かるような必要ない質問をしてきたときに遮った。

「なぁキョウ!」

「はい?」

「久々に釣り堀でも行こうかよ?」

「・・・はい」

話は一瞬でカタがついた。

(最初から相談がありますって言えばいいのによ・・・)


 次の日、仕事が終わると俺は市内の釣り堀センターに向かった。以前はよく足を運んだが、最近はあまり行かなくなった。とはいえ、俺が好きだったわけではなく、新川が釣りを好んだ。

 よく彼が新人救助隊員として奮闘している頃に来ていた。

 待ち合わせは決まって池の淵。つまり、入り口で相手を待ったりしない。先に到着したほうが先に勝手に始める。

 行きつけの釣り堀センターは失礼ながらも閑散としている。市内にはここともう一箇所あって、俺達は決まってこの閑散とした釣り堀センターを選ぶ。

 受付小屋に入ると、仏頂面をしたオヤジから竿を借りて餌をもらう。小屋の入り口とは反対側の扉を出ると、そこには大きな池が広がっている。

 俺は池の淵から眺めて一番日当たりのいい場所を探す。そこに魚が集まる。

 脇には手作りらしき椅子が無造作に並べられており、それを一つ取って、その低い椅子に深く腰掛ける。

 慣れた手付きで針に餌を付け、チャポンと池に放り込むと。そこにはのんびりとした空間が広がる。ここだけは時間がゆっくり流れているように感じる。仕事のこと、プライベートのこと、家族のこと、日々の喧騒から放たれ、何も考えずにただ浮きを眺めるだけ。浮きが引かれて水面に波紋が広がったら竿を上げる。ほとんどが失敗に終わるが、それでも釣ることを目的としていない。

 受付小屋から新川がこちらに向かってきて、同じように隣に座るが、特に挨拶はしない。これが自然な流れだった。まるで俺達流の禅でもやっているかのようだった。




【Instagram投稿はじめました!】

小説のなかのセリフやワンシーンを消防フォトに添えて投稿しています!

よろしければご覧ください!

https://www.instagram.com/kai.shikishima2530

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る