第3-36話 教育方針

 俺達にはある課題が待ち受けていた。

 救助隊選抜試験。約一ヶ月後に控えた試験に向けて、俺達はひたすらに邁進していた。

 途中、キリさんのことや助教派遣などで暗礁に乗りかけたものの、それでも俺達が怠ることはなかった。とはいえ、江尻がPTSDに悩んだときは、全員が諦めかけた。もちろん客観的に見れば、それとこれとは別の話のように思えるが、そうもいかないのが消防署という場所である。決して、「江尻がならないのであれば俺もやる気はない」などとおままごと気分でいたわけではない。ただ単に、仲間が苦しんでいる時に、自分だけ夢にひた走る気になれなかった。

 助教任務や江尻の問題が解決した今、俺達には何の懸念もない。心置きなく邁進できる。それはまるで期末テストから開放されたときのような気分だった。

 俺達の選抜試験対策は浅利の課題対策にも功を奏した。

 敷島出張所はいつも忙しい。抱えている問題がなくなればなくなるほど、忙しくなっていく。それでも不思議と身体的疲労は感じない。どんなに過激な訓練をやっても、どんなに身体が筋肉痛を抱えてもそれらは何の問題でもない。

 むしろ俺達が苦手とするのは、小さな小さな心のほころびだ。それさえなければ、どんなに過酷なものとも戦える。

 日中は訓練を詰め、夕方からは身体を追い込んだ。

 夜には身体が悲鳴をあげて全員の動きがゆっくりになる。

 消防署には不思議な風潮がある。やっかみか、本心か分からないが、トレーニングを頑張る者に対して「出動があるんだから無理するなよ」と言う人がたまにいる。

 俺自身にはその言葉の意味が理解できなかったし、まずまず俺の身近にはそんな人がいなかったのだが、外野からそういう声を投げかけてくる者はいる。

 もちろん、ここ敷島出張所にそんな軟弱者はいない。ここにはそれらを「面白い」と思える人間しかおらず、鈴木隊長や渡部救急隊長はその様子を楽しんだ。


 浅利の教育に関して、鈴木隊長も渡部救急隊長も一切口を出さない。もちろん、それは浅利自身の実力に伴う結果である。しかし、そんな浅利にも体力以外で欠落している部分があった。

 浅利は基本的に大人や世の中をなめている。そしてそれは、その見た目のふてぶてしさが拍車をかけた。

 俺自身は「若者なんぞ少々生意気なくらいが丁度いい」と思う節があり、特別気に障ることはなかったが、ただしそう出るからにはそれ相応の技術が必要だ。それだけは叩き込まなければならない。

 ある日の訓練中のこと。俺が指示した活動訓練がひととおり終わったときのことだった。

「ディー、お前それ全力か?」

「はい、もちろんです」

返事からしてサボっているとは思わない。

「いや、お前は全力じゃない」

「・・・」

浅利は返事に困って黙った。少なからず表情にイラつきが見えた。

「ホース伸ばすのも、ロープ結ぶのも、面体つけるのも、それが全力か?」

「手は抜いていません、安全確実にやってます」

「そんなのは当たり前だ。その安全確実をもっと早くしろ」

「お言葉ですが、自分は全力でやってます」

浅利に悪心はない。どちらかといえば意地悪を言っているのは俺の方だ。

「お前がやってるのは人命救助だ。おままごとじゃない。”ゆっくりでいい”なんてないんだよ」

「はい・・・」

その返事は、いかにも消防士らしくない不穏な返事だった。そこに爽やかさはない。

(コレか・・・コイツがあんな評価なのは・・・)

その会話を皮切りに浅利のスピードは格段に速くなった。集中して無駄な部分を削り取っている。単に速くするだけではなく、動きに緩急が付き、メリハリが出てきた。

 俺はその変化に対して、褒めもしなければ、罵倒もしない。淡々と見つめた。ときに小さな声で「よし」と言うだけ。

 浅利が少しミスをすれば静かに指導をする。

「”訓練ではいくらでも失敗していい”なんて言うヤツがいるが、それは間違いだ。訓練でできないヤツが、現場でちゃんとできるわけない。訓練では失敗するな。現場でも失敗するな」

 俺はまるで合理的ではない言葉を羅列した。それでも浅利は表情一つ変えない。

(コイツ、一見聞いていないように見えて、真剣に聞いてる)

浅利は険しい顔で考え込んだ。言葉は小さくぶつぶつと呟くが、頭の中をフル回転させていることは外から見ていても分かる。

 なんとかして俺の無茶な要求に答えようとする彼の姿は、静かに胸の中を燃やしているように見えた。

「ディー、ロープを結ぶ上で大事なことは何だと教わってきた?」

「・・・一発で確実に決めることですかね」

「おぉ、確かにそうだな。でもな、はき違えるなよ?それは遅くてもいいってことじゃないからな」

「・・・と言いますと?」

「確かに一発で決めることは大事だ。だからといって”ゆっくりでいい”わけではない」

「はぁ」

遠回しに自分で答えを見つけさせようとしたが、この男にそんな小細工は必要なかった。

「速いに越したことはない。確実な上で早くするんじゃなくて、速い上で確実にやるんだよ。似てるようだけど大きな違いだ」

「はぁ・・・つまりはそうじゃないと成長していかないってことですか?」

やはりこの男は飲み込みが早い。

「そう。確実を優先させると、ある一定のスピード感で満足するようになる。そうなれば成長することはない。速さを求めた上で確実にしていく。それが訓練でやっておくべきことだ」

「なるほど・・・」

浅利は考えるように自分の顎を掴んだ。

「そんな風に教えられたのは初めてです・・・」

俺はしたり顔で構えた。

「あの・・・もっかいやらしてください」

(ハマった)

俺が返事をすることもなく、浅利は構えた。

「あいよ。じゃあもう一回、イシとディーの二人で進入から退出までをソッコーで!」

今度は浅利が返事を流した。隣で石田は楽しそうにしている。

 浅利は深くゆっくりと呼吸をすると、首をコキコキと鳴らしながら、丸顔の上に乗っかる一重の目をさらに細くした。

「準備よし」

浅利は小さく言った。消防士が訓練を始めるにはあまりにも小さすぎる声だった。それでも、こんなときは咎めない。

「それでは、ただいまから進入活動訓練を開始する!訓練かかれ!」

俺の号令で二人が動き出した。

 石田はいつもどおり素早く軽快にホースを伸ばし、ロープを結んだ。

 浅利は体型からして石田には追いつかない。それでも動きが軽いわけではないが、無駄な動きが一切ない。走りや動きにキレはないが、石田よりも小さく動いた。ロープを結ぶのも面体を付けるのも見たこともないような動きをした。

 石田も追われて急ぐが、急げるのは動きを早くする方法しか持っていない。

 訓練が終わる頃には、二人の息は尋常じゃないほどに上がっていた。

「ディーさん、どこにそんな体力残してたんですか」

石田が息を上げ切って笑いながらに文句を言った。

「死にそう・・・死にそう・・・」

浅利は地面に仰向けになって言葉を吐き出した。

「ディー、やりゃできんじゃねーか」

俺が声をかけると、俺達にも見せたことのない笑顔で答えた。

「急いでいいって言われたの初めてでした」

「そうなぁ、安全確実にとしか言わねぇからなな」

俺が皮肉を込めて返すと、浅利は一重を細くして無邪気に笑った。




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