第3-33話 涙の引揚下命
しばらくすると、鈴木隊長が指揮本部から戻ってきた。
鈴木隊長とは余計な言葉を交わさなかった。それが暗に「あの活動は当たり前だ」と肯定されているような気がして、どこか心地よかった。
俺は鈴木隊長と交代するように指揮本部に向かった。指揮本部の真ん中には指揮隊長が陣取っており、腕組みをして構えていた。
俺がゆっくりと歩いていくと、指揮隊長はチラッと一瞥して火災建物に目線を戻した。
俺は指揮隊長の横に着くと、深々と頭を下げた。
「生意気な口叩いて申し訳ありませんでした。それから、ご助力ありがとうございました。指揮隊長のご判断なければ、全滅しておりました」
「あぁ、気をつけろ」
指揮隊長はぶっきらぼうに答えた。あっさり過ぎて少し寂しかったが、それ以上必要ないとも思い、踵を返した。
振り返ると、指揮隊員の加藤司令補がニヤニヤと笑っていた。俺はそれに気まずそうに会釈して返し、戻ろうとした。
「ありがとうな」
後ろから投げかけられた。
「指揮隊長になってから、起きる災害一つ一つをを無難に終わらせることしか考えてなかった。お前が言うように、要救助者にとってはそれが全てなんだよな。一大事なんだよな。簡単なことを忘れてしまっていた」
俺は振り返り指揮隊長に向き直った。指揮隊長は動かずに目線も変えていない。もう一度深々と頭を下げた。
「ご助力、心より感謝申し上げます」
指揮隊長は火災建物を見つめ続けた。
「よくやった。鈴木隊長に伝えてくれ。建物南側の部隊が疲弊してきた。シキシマが動けるようになったら応援を頼むと」
「了解いたしました」
俺はヘルメットをグッと深く被り直し、指揮本部をあとにした。
工場倉庫火災は長時間に及ぶ。
耐火構造建物には、一度溜まった熱気が逃げにくいという弱点がある。俺達はまんまとそれに翻弄され、しばらく時間をかけた。
南北二箇所に分散し、排気放水と消火放水を繰り返した。部隊を交代交代で回転させ、少しずつ鎮火に向かっていく。
南側に着いた俺達が北側の部隊と建物の内部で出くわしたのは、消火活動が始まってから四時間後のことだった。北側部隊との合流は、まるで久々の旧友にでも会うように喜んだ。
消火活動の序盤は苦戦を強いられたものの、火勢が劣勢になれば時間はかからない。あっという間に火災は鎮火した。耐火構造がゆえに残火処理は容易だ。火が燻っているところに水を打てば簡単に消える。
疲弊しきった身体をさまざまな掛け声で鼓舞した。ときには「村下士長休むなー」と揶揄されながらの活動は、他部隊の隊員との仲を深めた。消防士が仲良くなるのはいつの時代も火災現場なのかもしれない。
「ムラー、まだかー、どうぞ」
疲れ切ってくると、無線統制もクソもない。
「では、隊長自らが代わってください、以上」
俺も冗談で返す。
「一方送信、いいから早く消せ、以上」
指揮隊長の声が全員の無線器を鳴らす。
建物の内部では小さな笑いが起きるが、あくまでも災害現場という手前、大きく笑うことは控える。
もちろんふざけているわけではない。残火処理も真剣にやっている。それでも、救出活動を死ぬ気で乗り越えた者達に、ささやかな癒やしの時間を与えてほしい。
「鎮火報、鎮火報、木浜市若生で発生した工業倉庫火災について、ただいまをもって鎮火とする、繰り返す、木浜市若生で発生した工業倉庫火災について、ただいまをもって鎮火とする、以上」
指揮隊長によって鎮火が知らされた。
俺達は散らかった資器材をのんびりと片付けていく。怠惰でのんびりしているわけではない。それが限界だった。許されるなら、防火衣を脱ぎ捨てて大の字で寝転がりたい。びしょびしょに濡れた防火衣はもとの二倍くらいの重さになっている。
展開されたホースを何本も巻いて消防車に積み込む。自隊の撤収作業が済めば他隊の作業に協力する。そうして全ての撤収作業を完了させる。
その頃を見計らって全隊に無線が流された。
「指揮隊長から各局、全隊員は指揮本部に参集すること、以上」
(ん?何かあったか?)
これまで、火災現場の引き揚げ前に参集がかかることなんて一度もなかった。
俺達は何か何かと指揮本部に集まっていったが、指揮本部は特段変わった様子はなかった。
集められた隊員達が不思議そうな顔をしていると、スッと鈴木隊長が前に出た。
「みんな、ありがとう。おかげさまでウチのヤツらが無事に帰ってきた。本当にありがとう」
鈴木隊長が疲れ切った顔で礼を言った。横では指揮隊長も軽く頭を下げていた。
「俺からも礼を言いたい。みんなの協力で、全員を救出できた。ありがとう」
指揮隊長も最小限に礼を言った。
初めてのことで、俺達隊員は呆気に取られた。「礼を言われてもどうしたものか」と困っていると、端の方から拍手が上がった。し始めたのは橋下隊長だった。
その拍手はだんだんと広がり、全員で称え合った。
それからは、世間話のようにそれぞれが「ああだった」「こうだった」という話になった。
江尻も石田も、称えられながら喜んでいる。
俺は騒ぎのなか、悩んだ挙げ句にある事を決心した。
前に出てピシッと手を上げ、全員が注目するのを待った。
「みんなに言いたいことがある!」
そう言うと全員が静まり返った。
「実は・・・ウチの江尻はこないだまでPTSDだったんだ」
みんなは絵に描いたようにザワついた。江尻本人も驚いている。鈴木隊長はわずかに首をかしげた。暗に「言って大丈夫か」という心配をこちらに向けた。
俺はそれに強く頷いた。
「この活動中に払拭したみたいだけど、もしかしたらこれからも迷惑かけることがあるかもしれない!そのときは・・・みんなで助けてやってほしい!」
俺は最初からコレが言いたかった。コレさえ言えれば、俺達の懸念は何もなくなる。江尻はそれだけの実力を持っているし、コレをしてやることが俺達上司の責任だと思っていた。
群衆は固まった。俺は不安を抱えつつも「これでダメなら他に手段はない」と一種諦めていた。
「なら、そのときは代わりに俺が行きます」
「そのときは救助隊を分散させればいい」
「中隊活動に切り替えれば何も問題ありませんよね」
「指揮隊を活動隊に加えれば良いさ」
口々に声が上がった。もはや誰が言っているのか、どこから上がっているのかも分からない。
俺はその光景に顔を伏せた。溢れるものが止まらなかった。堪えられなかった。
その場に座り込み、額を強く掴んで隠した。
「すまんねぇ、気付いてやれなくて・・・」
橋下隊長が肩をさすりながら声を掛けてきた。俺は首を振ることしかできなかった。
「なんでムラさんが泣いてんすかぁ!」
江尻の声も震えていた。
「みなさん、よろしくおねしゃす」
江尻が涙ながらに頭を下げた。
もう一度拍手が沸き起こった。鳴り止むまで、俺はずっと額を掴み続けていた。
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