第3-30話 励まし
横槍を刺すように無線が重なる。
「指揮隊長から進入村下、現場で高度救命処置をさせることなんてできないぞ!」
分かりやすく怒っている。
俺は重ねて聞こえないフリをした。
今度は違う方向に向きが変わった。
「指揮隊長から敷島鈴木隊長、現場で高度救命処置をしたなんて聞いたことがないぞ!そもそもドクターの許可が得られない!そんなことできないからな!」
それに一呼吸を置いてから無線がなったのを俺は遮った。
しばらくプレストークボタンを押したまま黙った。それから俺は、努めて穏やかな口調で喋りはじめた。
「進入村下から指揮隊長、では指揮隊長は、ササキヒトシさんという名前をお聞きしたことがありますか、どうぞ」
俺の意味不明な質問に答えあぐねている。
俺はもう一度プレストークボタンを押した。
「腹部狭窄、発災から四十分経過、意識明瞭、下肢の感覚麻痺、狭窄解除すれば病態悪化が予測できる、指揮隊長はこの状況を見たことがお有りですか、どうぞ」
俺はあえて要救助者本人が聞こえる場所で無線を送った。
「自分はこの状況初めてです、火災の中で高度救命処置なんて聞いたこともありません、ササキヒトシという名前も初めて聞きました・・・自分は、こんな状況見たことないからと諦めたくありません、どうぞ」
そこに、どこからか誤送信なのか何なのか「ビリビリ」という音と「面体着装」という聞き慣れた声が無線から鳴り響いた。しばらくするともう一度プレストークボタンが押される。「スー」という呼吸音がゆっくりと二回鳴った。
「敷島小隊バックアップ江尻から進入村下士長、面体着装完了、仲宗根が準備でき次第そちらに向かいます、なお空気呼吸器二基を携行、待っててください、以上」
バラバラに向いた全員のベクトルが同じ方向に向き始める。
「局面指揮隊長敷島鈴木から指揮隊長、こちらはササキさんを救いに行く準備ができました、いかがいたしますか、どうぞ」
全開に嫌味を込めた内容だったが、それでも断れるはずがない状況を作り出した。
俺達も悪心を抱いているわけではない。もちろん指揮隊長の言っていることも理解できる。それでもなんとかこの状況を打破しようとしているだけ。
「指揮隊長・・・コイツらだってあなたが憎くて言ってるわけじゃないんですよ、あなたの言ってることも分かってる、無茶踏もうとしてることも分かってる、それでもササキさんの前に立たされたヤツの気持ちを、ちったぁ考えてやってください、どうぞ」
それはもうほとんど無線ではなく会話のようだった。
「分かった・・・敷島救急隊救急救命士の進入を許可する、なお緊急時対応によりドクターへのオンライン処置許可の要請は指揮本部にて行う、くわえてドクターヘリの要請をかける、以上」
現場にいたほとんどの消防士がさぞニヤついていることだろう。
「それから・・・」
指揮隊長から追加の無線が送られてくる。
「絶対に救出成功させろ!いいな!」
その声で全員の心に火が付いた。地上の様子が分からない俺達にもそれは伝わってきた。
「進入江尻から進入村下士長、準備完了、仲宗根と一緒にいまからそちらに向かいます、どうぞ」
「エジ、待ってる、どうぞ」
「ムラさん・・・」
また深呼吸する音が聞こえる。
「迷惑かけました、進入開始、以上」
無線器から小さな声が響いた。
江尻の努力も鈴木隊長の我慢も指揮隊長の覚悟も痛いほど伝わってきた。確かに俺の言ったことはわがままかもしれない。それでもここまで突っ込んでこれたのもたくさんの人間の努力のうえに成り立っている。その努力を一つとして取りこぼしたくなかった。
この場にいる全員がギリギリのラインを渡っている。それは俺達だけじゃなく、南側で活動する救助隊も柳小隊や他の消防隊も、一線を越えるかどうかの位置で踏ん張っている。
俺達の要請を一度は断った指揮隊長には、この場にいる全員を生きて家に返さなければならない責任がある。それは鈴木隊長も同じことで、俺達を無傷で家に返す義務がある。そのうえで、全員が戦い抜いている。
「ササキさん、ご家族はいらっしゃいますか?」
俺は江尻と仲宗根を待つのに時間を持て余した。
周辺の活動スペースを確保しながら声を掛けた。
「えぇ、妻と二人の息子がいます」
「そうですか。息子さんはおいくつですか?」
「上が二十三で下が今年二十歳になりました。まだ大学生ですけどね。上のは今年から働き始めました」
「そうなんですか。彼ね、今年二十歳なんですよ」
俺は石田の方を向いた。
「自分も消防に入ってから、もう十年になるんですけどね、彼がいなければササキさんのもとまで辿り着けませんでした」
「そんな若い子が・・・」
「それからね、いまから来る二人も自分より歳下なんですけど優秀な子達でね、本当にいつも助けられてます。それに、地上ではベテランのプロ達が構えて待ってます。普段はうっさいオヤジ達なんですけど、こういうときは全力で助けてくれるんです」
俺は前置きのために饒舌になった。
「あの・・・私はそれほど重症なんでしょうか?」
「ササキさん、よく聞いてください・・・端的に説明しますが、あなたは重症な可能性があります。もしかしたら、この重量物を排除した瞬間に意識を失う可能性があります」
「えぇ・・・でも、こんなに元気ですよ?」
明らかに動揺した。
「はい、いまは乗っかってる物のおかげで、内臓の出血が止まっているんだと思います。ですから、現場に救急救命士を呼びました。あなたが意識を失ったときに即時治療するためです」
ササキさんは露骨に不安げな表情を見せた。
石田が俺とササキさんの間に割って入り、話し始めた。
「それとお二人とも、ここは地下なので火が回ってきていませんが、一階に出るとかなりの熱気と煙に曝されます。ですがそこは任せてください。自分はその状況を何度も訓練してきました。きっと、この現場に自分達以上に訓練を積んだ者はいません」
ササキさんの目が光っている。
「それから今ここに向かっている江尻さんて先輩は、こないだまでPTSDという病気だったんです。それを、お二人を助けたいがために克服してきたんです。それに、もう一人仲宗根さんという人は、自分が知っている限り最も優秀な救急救命士です」
こんな風に人を励ましたのは初めてだった。
ササキさんの光った目からは思わず涙が溢れ出していた。
「自分、”消防士になる”って両親に話したとき、すっごく父親に反対されたんです。自分、長男だから家を守らなきゃいけないって。それでも消防士になりました。いまでは本当に良かったなって思ってます。毎日こんな頭おかしい人達と訓練してて、めちゃくちゃしんどいですけど、本当に良かったなって思ってるんです」
石田の目からもポタポタと涙が滴り落ちていた。
「私も・・・いつも息子達を叱ってばかりだな」
「ササキさん、生きて帰りましょう。生きて帰って、思いっきり息子さん達を褒めてあげてください」
俺が重ねるように励ました。
「・・・そうだね」
ササキさんから不安げな表情は消えていた。
「君達はどんな人生を送ってきたんだ」
「息子さん達と変わりませんよ。そこらへんにいる若者と同じです」
「君、名前は何という?」
ササキさんは石田の方を向いて聞いた。
「石田といいます。敷島出張所の石田といいます」
「ムラさん!イシ!」
遠くから聞き慣れた声が聞こえる。
「エジ!ナカソネ!ここだ!」
二人が近づいてきている。
(地下には火煙がないはずなのにやけに遅かったな)
「ムラさん!イシ!」
「ここだ!」
何度かそのやり取りを繰り返したあと、部屋のドアが開いて二人が姿を見せた。
俺と石田はその様相に驚いた。
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