第3-20話 スタートライン

 水曜日、助教期間終了まであと三日。

 だんだんと助教の中にも初任生達の中にも名残惜しさらしきものが出てくる。

 訓練の内容は、変わらず想定訓練をひたすら繰り返す。助教が考えた想定に対して、そのとおりに動く必要はない。むしろ、俺達に考えつかないような行動を求めていた。

 今日の体力トレーニングは俺に決定権がある。

「今日の訓練終わりは”背負い搬送トレーニング”とする!」

仲間を背中に背負って搬送する。

「内容を説明する。各小隊、学生番号の若いものから順に後ろの者を背負ってトラックを一周する。終わったら背負われていたものが後ろの番号の者を背負う。つまりは小隊対抗だ!遅かった小隊は・・・分かってるよな?」

そう言うと初任生達は楽しそうな顔を見せた。

「ちなみにこれは小隊対抗だ!もちろん、助教達も・・参加しますよね?」

俺は脇に並んだ助教達に目をやった。

 助教達は嫌がりながらも楽しみな顔をした。

「いいか?当然だが罰ゲームは助教にも参加してもらう!そうだな・・・初任生達は校内の草むしりでもしてもらおうか。助教には・・・夕飯のときに一発芸でもしてもらおうか!では、訓練準備!」

初任生達は燃えた。血気盛んな若者の心臓を燃やすことは容易い。

「いやー、こんなのいつぶりかのう」

阿部助教が呟いた。

「阿部さんの面白い話聞きたいですね!」

金井助教が指をパキパキと鳴らしながら言った。

 俺は担当の第四小隊を集めた。他の助教達も同じように集めている。

「お前らわかってんな?言い出しっぺの俺が負けるわけには行かないからな?何が何でも負けるなよ?」

「よーし、お前ら!村下助教の一発芸はちょっと気になるが、負けると何させられるか分からない!絶対勝つぞー!」

小隊長の麻生学生が円陣の真ん中で声を上げた。

 「では位置について、よーい、はじめ!」

教官の号令でリレーが始まった。


 「アイツらマジでふざけやがって・・・」

俺は石田に文句を言いながら草をむしる。

 序盤から劣勢だった第四小隊は、俺と石田の健闘により一時は二位まで追い詰めたものの、アンカーの麻生学生によって最下位となった。

「村下助教、なんで罰ゲームを一発芸なんかにしたんですか?」

女子学生達が笑いながら声を掛けてきた。

「助教達の中で俺と石田が一番若い。だから俺達を入れれば絶対に勝てると思ったんだ!それよりお前ら遅すぎるだろ!」

初任生達は「さーせん」と口々に謝った。

 別に怒っているつもりはなかったが、言い出しっぺが一発芸をすることになるとはなんとも滑稽で恥ずかしくなった。

 草むしりが終わって第四小隊が食堂に着くと、すでに全員が着席していた。今日は助教や教官も自分達の担当小隊の席に座っていた。

 入場とともに拍手と歓声が沸き起こった。こんなにも嬉しくない歓声は初めてだ。

「えぇ・・・それでは一発芸しまーす・・・」

 結果は対抗リレー以上の惨敗に終わった。


 「連絡します。初任生及び助教は訓練場にお集まりください。繰り返す、初任生及び助教は訓練上にお集まりください、以上」

その日の夜、校内放送によって初任生と助教が集められた。

 教官から、言われていたことがある。

「残りの二日は忙しくなるから、今日のうちに小隊と話し合って欲しい。内容は各助教に任せる」

 俺達は初任生を訓練場の四箇所に集め、それぞれ分かれた。

 第四小隊は訓練棟の足元に集めることにした。そこには「ロープ登はん」で使用する二十メートルの壁面があり、そのスタートラインがあった。

「おつかれさま!」

俺が声を掛けると麻生小隊長が居直った。

「村下助・・・」

はじまりの号令をかけようとしたところで俺が手を挙げて止めた。

「今はいい。今は、助教としてじゃなくて、消防署の先輩として話をしたい」

そう言うとそれぞれが「おつかれさまです」と挨拶を返した。

「座ってくれ」

俺は促して全員に安座をさせた。一つ小さな深呼吸をしてから話を始める。

「俺はさ、”ロープ応用登はん”って競技に出てたんだ」

そう言ってスタートラインで構えた。

「イシ、号令!」

そう言うと石田が胸ポケットから笛を取り出して「ピ、ピー」と強く吹いた。

「よーい」

石田はもう一度勢いよく笛を吹く。

「ピッ」

俺はスタートを切るフリをして止まった。

「お前達は今ここだ。スタートラインを踏み出したところ。このあと補助者の背中を蹴って飛び上がるんだけど、それを失敗すると、まずこの競技は勝てない。それから、この競技は約十秒で終わる。本当に一瞬なんだ。気付いたら終わってる。俺の消防人生十年も気付いたら終わってた。必死に上向いてロープ握ってないと落ちちまう。今のうちにしっかり構えとけよ」

安座をしている彼らの背筋が伸びた。

「村下さん、背中を蹴って飛ぶタイミングはいつですか?卒業のときですか?」

第八分隊の高木学生が手を挙げたまま聞いた。

俺は石田の方を見てその答えを石田に託した。

「人それぞれだと思う。多分、卒業のタイミングじゃない。僕にもハッキリとはわからないけど、多分、テンションのかかった現場だと思う」

「そうだね。それが卒業した次の日の者もいれば、一年後三年後の者もいると思う。その時、どうするか、何を感じるかが大事だと思う」

俺が続けると石田が被せた。

「僕にとっては、この人との初出動だった。それはそれは無力さを感じたよ。なんせ僕のことなんてまるで頼りにしてないんだから。一人で全部やっちゃうようなもんでさ。でもそのときに思った。あぁ、コレに混ざりたいって」

「それがいまでは助教補佐だ。人は必ず成長する。そのターニングポイントを見失わないでほしい。それから、ときにキツイときもある。そのときに負けないでほしい」

全員が息を吐くように小さく返事した。

「もう一度言うが今日は助教としてではなく、先輩として話をする。どんなことでもいいからざっくばらんに質問してくれ」

そう投げかけてさまざまな質問に答えた。


 第二小隊が解散したところで最後の質問を聞いた。

「そろそろ時間だな。最後に何か聞きたいことは?」

「はい」

麻生小隊長が手を挙げた。

「消防士にとって、大切なことはなんですか?」

なんとも核心的な質問に、俺は最適な間を置いてから答えた。

「人に優しくあれ」

思わぬ回答に一同が反応した。

「消防士は基本的に人に優しい仕事だ。でも気付くとそうじゃなくなってることがある。これからたくさんの問題に出くわすだろう。諦めなければならない瞬間も必ず訪れる。ときには現場じゃないところで優しくないものを見たりもするだろう。そのとき、”俺達は消防士だ”ということを忘れるな。困っているヤツがいれば助けろ。それだけのことだ。人に優しくするってのは意外と難しいことなんだよ」

 本当なら、もっとカッコいいことを言うべきなのかもしれない。それっぽい格言でも並べておけば感動を与えられるかもしれない。それでも、そんなことよりももっと伝えたいことがあった。それが彼らの中でどれだけ響くかは分からないが、感動を与えたいのもカッコよく見られたいのも自己満足な気がした。




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