第3-19話 最初の砦
助教期間、第二週、木曜日。
この日の午前中は、「安全管理」という座学で阿部助教が一括して行う。つまり、俺達他の助教は暇である。
とはいえ、教官から依頼されていることがある。それは「寮室点検」。彼らの住処を荒らしに行く。
消防学校の寮生活は細かく厳しい。ロッカーの中身、ベッドの上にたたまれた布団やシーツのたたみ方、机の上に塵なんて落ちていようもんなら強烈なお仕置きが待っている。
そしてその監督業務がある。普段なら教官が行うものだが、今日は教官方がお忙しいようで、俺達助教がかって出た。
「ベッドブレイク、懐かしいっすねー」
寮室に向かう途中、石田が楽しそうに言った。
この「ベッドブレイク」とはたたまれた布団をグチャグチャに壊すこと。つまり制裁だ。たたみ方が綺麗でないものをピックアップして壊していく。
他には「ロッカーフォール」や「デスクフロー」などという技も存在する。
俺もかつては二階の窓から布団一式を捨てられたこともある。
ここぞとばかりにたたみ方が汚い布団をひっくり返し、整理整頓されていないロッカーの中身を掻き出した。
各寮室にはある格言が飾られている。
「スマートで、目先が利いて、几帳面。これぞ人命救助の第一歩なり」
額縁に飾られているそれは、昔と何一つ変わっていない。
それでもその額縁にホコリが付いているのを見て、気のせいかもしれないが一種の緩みを感じた。
(俺が初任生のときはホコリ一つ許されなかった)
そう思いながら俺の中で渦巻く違和感を感じた。
「最近の消防学校は昔ほど厳しくできない」
助教に来た初日、川野教官が寂しげにそう言った。
それは俺も以前から感じていたことで、基本的にはそれも若者のせいにされる。
そういう意見を聞くたびに、「本当に若者が悪いのか?」と自問してきた。
俺はその額縁を手に取り、そっと机の上に置いた。特に置き手紙や指示をするわけでもなく、「きっと綺麗に掃除してくれるだろう」という願いを込めて。
その日の午後と翌日の訓練は、予定どおりに進行した。
例に習って金曜日はことさら訓練の厳しさに磨きがかかる。初任生達も助教達も削られた体力を振り絞るかのように走り回った。訓練場には怒号とそれに呼応したうめき声が響く。
訓練が終わって、石田と二人で帰路につく。バスを降り、繁華街を通って電車に乗り換える。
この街にとって消防学校生とはある意味かっこうのターゲットだった。金曜日は必ず人が溢れかえる。初任生達はここで憂さ晴らしをし、教官達も「見張り」と称して練り歩く。いたるところに「消防学校関係者様歓迎」というポップが貼られ、そのほとんどが「大盛り無料」や「割引」などのサービスをしてくれた。
俺と石田も懐かしさに浸るため、一杯引っ掛けてから帰ることにした。江尻を誘って。
江尻と待ち合わせた俺達は手頃な店を見つけると、さっそく乾杯をした。かつての思い出話や最近の消防学校の情勢について話をした。
俺はその会話の中で一縷の違和感も感じられなかった。そこに落ちていた、僅かなほころびの糸に気付くことができなかった。
助教期間、最終週、月曜日。
今日から総合訓練が始まる。今までの基本訓練や応用訓練をフルに活用した訓練で。主には想定訓練が実施される。各助教が作った想定状況に対して、各小隊が自らで対応を考え実戦する。最後の金曜日にはそれらの大規模な訓練を行う。
訓練開始前、整列した初任生達に貴島助教が喝を入れた。
「俺はかつて現場で仲間を失ったことがある!そのときの苦しみを考えると、未熟な者を現場に送り込むわけにはいかない!君達の査定のなかには助教評価というものがある!俺は容赦しない!本当に無理だと思ったら切り捨てる!それが俺達助教にできる唯一の優しさだ!」
見事な訓示に一同の顔が引き締まったのが分かった。
「なにか質問ある者はいるか?」
最終週初日、訓練終わりのデブリーフィング。
「はい!」
手を挙げたのは第四小隊の今宮学生だった。
「村下助教はいつもしきりに”早くしろ”とか”急げ”と言われている気がします。私の所属では”ゆっくりでいいから確実に”と言われてきました。”早くしろ”と言われると焦ってしまうのですがどうしたらよろしいのでしょうか?」
質問というより相談のような気がした。というより意見という印象すら感じた。
「あぁ・・・早くできるようにしたらいいんじゃない?」
石田が「フッ」と笑った。それにつられて他の初任生も笑った。
石田はいつも俺が気の抜けた答えを返すと笑う。
「今宮、この人の言ってる意味、分かる?」
石田が間に入って聞き返すと、今宮学生は首を斜めに傾けた。
「できればそうしたいと思うのですが、なかなか早くできるものではなくて・・・」
俺は崩れた表情を正した。
「今宮・・俺達の仕事は”一分一秒を争う”これは分かるな?」
さらに石田が噛み砕いて説明した。
「早けりゃ良いってもんじゃない、でも・・・早いに越したことはない」
真剣な眼差しで言う石田を見て、今度は俺が笑った。
「そう、確かにリスクを冒してまで急ぐ必要はないけど、早くする努力は必要だよ。それが、”ゆっくりでいい”なんて思ってたら、いつまでも技術は磨かれない。自分でプレッシャーをかけて追い込まないと、気付いたらレスキュアーとしての誇りを失うぞ?」
俺が話し始めたときには全員の笑顔が消えていた。
「最後の砦って言葉を知ってるか?」
初任生達が頷く。
「片野!最後の砦って言われたら、何を思い出す?」
「救助隊です!」
片野学生が居直って答えた。俺はその答えにニヤリと返した。
「いいこと教えてやる。最後の砦ってのはな、消防隊のこと言うんだよ」
そう言うと石田が呆れたような顔をした。
「いいか?現場に出ると分かるんだが、救助隊ってのは様々な救助現場で活躍する。でもな、消防隊の戦場はほとんどが火事の中なんだよ。つまり時間に制限がある。ましてや救助隊は消防隊に比べると圧倒的に数が少ない。これがどういうことか分かるか?」
俺は全員に問いかけた。
「消防隊の方が先に現着する可能性が高い・・・」
女子学生の山上が呟くように答えた。
「正解!そう、つまり消防隊の方が先に救出にかかる確率が高い。消防隊が最初で最後の砦になることが多い。だからこそな、早いに越したことはないんだよ。遅くていいことなんか一つもない」
初任生達の顔が険しくなっていた。
「もちろん、今の君達に救助隊と同じようなスピードや技術を求めるつもりはない。でもな、消防隊だから遅くてもいい、新人だからゆっくりで構わない、そんな考え方・・あの消防隊では許されないんだ」
俺の回顧に石田が笑った。ひと呼吸置いて続けた。
「いいか?どの現場でもお前達が最後の砦なんだ。救助隊じゃない、先輩じゃない、ベテランじゃない、お前達だ」
「・・・あの・・お二人の所属部隊はどんな部隊なんですか?」
山上学生が聞いた。
「ん?街の外れにあるしがない消防隊だよ」
俺が答えると、石田が続けた。
「シキシマっていう恐ろしい場所」
二人で笑い合ったが、初任生達は分からない表情を浮かべた。
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