第3-17話 ロープ渡過
消防学校の就寝時間は早い。二十二時。
それとともに起床時間も早い。六時。
「起床起床」というアナウンスが入り、その音で一斉に全員が動き出す。ガラガラという騒音を撒き散らしながら、布団とシーツをたたみ、決められたように並べる。布団やシーツのたたみ方も細部にまで規定がある。それを遵守するということに関して重きが置かれている。
この消防学校には初任生のみならず専任生といって、現職の消防職員も多数在籍している。それは時期によって異なるが、現在は救急課程が同時に行われている。
それら全員を含めた全学生が一斉に訓練場に駆け寄る。といっても、これも課業のときと同じように列をなして部隊行動を取る。
全員が訓練場に並び終えると、その日の当直教官が指揮台に登り、挨拶をしてから全体で朝の体操が行われる。それは泊まり組の助教も参加しなければならず、久々にその気だるさを体感した。
体操が終わると一旦校舎に戻って朝の支度をする。朝食を食べ、課業の準備にかかる。
そうして、消防学校の一日はせわしなく始まっていく。
俺達助教が呼ばれる三週間にははっきりとした目的がある。
それは「救助技術の教育」。
消防職員の業務は多岐にわたる。つまり、消防学校の教育カリキュラムも同じようにさまざまなものを組み込まなければならない。消火、救急、救助のみならず予防や法令遵守、ときには英語のプログラムまでこなさなければならず、それをすべて教官だけでこなすのは厳しいものがある。
そこで用意されたものが助教派遣というシステムだ。
俺達はその中でも「救助担当助教」ということになる。
初任生たちも最低限の訓練は積んできているし、スキルも持っている。それをさらに実戦投入できるように教育することが目的だった。
まずは基本的な動作を教育し、時間の経過とともに実戦向けにシフトしていく。
最初の一週間は俺達も退屈と感じるくらいのことをやる。初任生の中には充分な教育を受けてから入校した者もいれば、そうでない者もいる。それらの平均化を図る。
金曜日の訓練は、ことさらみんな気合いが入っている。
それはもちろん俺達も同じでやたらと厳しくなる。
初任生は「コレを乗り越えれば二日間の休みだ」と浮き足立っている。俺達もそれに答えるように理不尽さを増す。
助教として初めて迎える土日はあまりにも速く過ぎ去った。とはいえ学生時代のように、月曜日の朝が億劫に感じたりはしない。
月曜日の朝、俺と石田は同じように駅で待ち合わせをした。電車に揺られ、乗り換えてバスに乗る。先週とは違って、バスに乗り込むと大きな声で挨拶をされた。
「外ではそんなに大きな声じゃなくていいよ」
恥ずかしげに言うものの、そんなわけにはいかない初任生の気持ちも分かった。
今週からは応用型の訓練になっていく。一週間前に教え込んだ基本的なスキルを応用的に扱う。
そして、同時に指導方針も並行的に移行していく。金曜日までは、「機械のような厳しい人間」だったものを少しずつ柔らかくしていく。そうすることで、指揮官とのコミニュケーションを学ばせる。もちろんこれは、教官たちも行っていることなのだが、俺達はさらに短期間でその関係性を構築する。そういう部分も教育の一環なのである。
とはいうものの、俺はそもそも教育に向いていない。
どうしても馴れ馴れしくなってしまう。もちろん訓練中にそういうことはないが、休憩中や夜の時間では話しかけたくて仕方なかった。それでも助教という立場から堪えていた。
体力的にキツイものの中に「救助訓練」というものがある。これは「人を救助するための訓練」という意味ではなく、一つの熟語として考えられており、その内容はロープ渡過、ロープ登はん、ロープ降下などが挙げられる。
そしてこれらにはいくつかの種目があり、それを競技的に競い合う「救助大会」というものがある。正式には「消防救助技術大会」というものだ。
これには全国の消防局、消防本部が参加しており、参加者のほとんどが救助隊員が参加する。
俺もかつては参加していた。
今日の訓練はロープ渡過訓練。二棟の訓練棟の間にロープを張り、そこを綱渡りする訓練である。
そして明日はロープ登はん訓練とロープ降下訓練。
三日目はその全てを復習する。つまりこの「助教期間」のなかでもっともキツイ三日間が始まる。
ロープ渡過訓練は三種類の方法を教え込む。とはいえ、時間が限られている中での指導では多くのことを教えることはできない。最低限の指導が限界だった。
訓練の終盤、一人の初任生が渡過ロープの途中で力尽きた。
「おい!どうした!後藤学生!」
俺が声を掛けると「うぅ」とうめき声をあげながらも「何でもありません」と声をふり絞った。
「なんだ?限界か」
「いえ、まだやれます」
「いいぞー?無理しなくて」
「いえ・・・」
後藤学生はうめきながらもなんとか必死にロープを掴んでいる。
石田がピックアップに行こうと準備をした。
「限界ならいいぞー?助けてくださいって言ってみろ!」
俺は努めて穏やかに言った。
「消防士のくせに言えるもんなら言ってみろ!」
だんだんと声色を変えていく。
俺はすでに渡り終えていた初任生達の方を一瞥した。彼らはすっかり疲れ切って座り込んでいる。
「おらー!限界なら言ってみろ!助けてくださいって!」
「言いません!まだやれます!」
「お前一人が遅いせいで救出が遅れたら困るんだよ!はやくギブアップって言えよ!」
「うぅ・・・」
後藤学生はロープを掴んだまま黙った。
「お前が非力なせいで、要救助者がそのあいだずっと苦しむんだよ!はやくギブアップって言え!」
俺はさらに追い打ちをかける。精神面を削り落としにかかる。
「お前が行かなくても他に行けるヤツはいるんだよ!はやく”もう無理です”って言え!」
後藤学生が諦めてロープを離そうとした瞬間、石田が叫んだ。
「後藤!絶対に離すな!絶対に諦めるな!お前が諦めたところで今この瞬間は何も変わらない!俺がピックアップに行けば事が済む!だけどな、お前が今諦めると、お前に諦め癖が付く!そうなると、いつか要救助者も諦めるようになる!絶対に諦めるな!」
石田の言葉に後藤学生は反応してロープを強く握った。
それでも俺もやめない。
「いいよ、いいよ、無理すんなよ!離しちまえば楽になるよ!大丈夫だから離しちまえ!そしたら石田が迎えいくよ!」
「いえ、絶対に諦めません!」
とは言うものの、限界を迎えているのは確かだった。
「無理すんなよ!ほら、お前の仲間達もそう思ってるよ!」
俺がそう言うと初任生達が反応した。
「お前がキツそうな顔してても、なんもコイツらには関係ないんだよ!お前が必死に頑張ったって、誰もなんとも思ってくれないんだよ!こんな部隊の中で頑張る必要ねぇよ!ほら、諦めちまえよ!」
数人の初任生が立ち上がった。苦しむ後藤学生に応援の声を掛けようとした瞬間を逃さず遮った。
「ゴトウー!がん・・・」
「うるせー!騒ぐな!」
俺は発言を制止した。
初任生達は凍りついたように動けなくなった。
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