第3-14話 地獄の三週間

 川野克基、三十五歳。

 元木浜市消防局所属で現在は県消防学校教官。かつては俺とともに特別救助隊に所属していた。俺が救助隊員二年目だった頃の直属の上司だ。

 そして現在では消防学校の教官として勤務している。それも派遣教官という出向組ではなく、正式な職員として。

 年齢もやや上であり、面倒見のよさから、俺は兄のように慕ってきた。それが突然、「辞める」という話を聞いたのは、もう三年近く前のことである。理由は単なるこの男のわがままだった。

 わがままと言えば聞こえは悪いが、実際には組織的な問題だ。この男は非常に先進的な思考を持っていた。しかしそれは、こと閉鎖的なこの職場では忌み嫌われる。つまりは「俺のやりたいことをやれないのなら辞めてやる」というわがまま以外の何物でもなかった。とはいえ、消防学校の教官など簡単になれるものではない。実際には、タイミングよく教官への誘いが来ており、それに乗っかった形だ。要するに実力は高い。


 俺は声を潜めた。

「カッちゃん!久しぶりっすね!」

そう言うと、恥ずかしそうに答えた。

「わかったよ!ここでは”教官”て付けてくれ!」

俺から見てもこの男は大先輩だ。歳も六つ上で、消防歴も同じく離れている。それでもこの男は以前「下の名前で呼んでくれ」と言っていた。消防独特のお堅い年功序列を嫌い、そういう意味でも常に先進的発想を持っていた。

 石田からすれば、川野という男に対して「先輩」というイメージはないらしい。それもそのはず、石田は「川野教官」にしか会ったことがない。彼が初任生だった頃の教育を任されたのが、この川野教官だったらしい。


 俺達は学校に到着すると、まずは各教官に挨拶回りに行った。

 消防学校には総勢十八名ほどの教官がおり、うち十二名が「指導教官」といって実際の教育にあたる。他六名は「管理職教官」といって学校の総務課的役割を担う。そこにはもちろん学校長や副学校長もいる。

 挨拶回りを済ますと、この期間のために集められた他の助教らとの顔合わせをした。助教は全員で四名、それぞれにかく補佐が付き、総勢八名になった。

 助教の四名はそれぞれ異なる消防局から集められ、一番年長が阿部司令補、二番目が金井司令補、その次が貴島士長で俺が一番年下だった。


 顔合わせが終わると早速、初任生に紹介された。ここで案内役の教官から言われたのはただ一つ。「ナメられないようにガツンとお願いします」それだけだった。

 初任生は午前中、講義を受けており、その終わりに時間が設けられた。

 初任生が綺麗に整列して着座している。俺達八人はゆっくりと歩いて前に向かい、彼らと対面した。

「それでは、今日からお世話になる助教の方々を紹介する!」

案内役の教官が大声で放ち、そのあとは決められた順番で挨拶をしていく。「最後に年長者にしてもらおう」と話し合いで決まり、順番は下席者からになった。

 眉間にシワを寄せていた俺は、教官から差し出されたマイクをあえて断り、一息に吐き出した。

「木浜消防局、村下士長!俺は君達に地獄を見せに来た!三週間よろしく!」

講堂自体はもともと静まり返っていたが、さらなる静寂が流れた。

 そのあとも三人の助教がそれなりの挨拶をして、この日の午後から俺達も訓練指導に参加することになった。

 消防学校の食事は朝、昼、夕と三食給食が用意される。

 俺達が食堂に入っていくと、騒がしかった食堂が一気に静まり返った。

 その緊張は石田にまで伝播したようで、石田も静かだった。いつものおふざけはなし。今日は無言の二人だった。


 午後の訓練は十三時から時間どおりに始まる。といっても時間どおりではない。

 消防学校では寮から訓練場までの道のりすら整列して行動する。部隊行動は良くも悪くも時間がかかる。一つの動きを取るごとに集合をかけ、並ばせ、整頓させなければならない。こういう細かなところで部隊行動の徹底を図るのが消防学校というところだ。

 つまり、初任生達は訓練開始の三十分前には行動を始める。そのツラさは痛いほど理解できた。

 初任生が動き出したのを見計らって、俺達も部隊行動で訓練場まで行く。普段は合理性を重視している敷島出張所スタイルに慣れ親しんだ俺と石田にとっては苦しいものがあった。

 初任生は慣れた手付きで移動を済ませ、十分前には訓練場に整列した。

 十分間、ただひたすらに待つ。


 総勢百二十四名もの学生が、物音一つ立てずに整列休めの姿勢でただひたすら待ち続ける。風が吹いても揺れることなく立木のように。

 俺達も五分前からその脇に並び始める。

 今日の訓練予定は「ロープ結索訓練」。だがしかし、それが十三時から始まるなどと思っているものは誰ひとり居ない。

 そう。その前に儀式がある。

 俺達はただ助教として呼ばれたわけではない。俺達は元救助隊員として呼ばれている。つまり、俺が言ったように彼らに地獄を見せるために呼ばれた。

 今日の指導担当官は例に倣って最下席者の俺が務める。

 「キーンコーンカーンコーン」

 チャイムの音とともに整列休めから一旦気をつけの姿勢になり、そこから走り始める。

 初任生百二十四名の前に立ち、決められたとおりに訓練開始報告を受けたあと、声高らかに指揮を執った。

 「それではただいまから、救助員点検を始める!」




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