第3-3話 十時十分
水利点検をしていると、市民の方に話しかけられることがある。すれ違った子供には手を振るし、時間と場所が許せば乗せてあげることだってある。
「水量異常ありません!」
「はいよー」
江尻と石田が消火栓を開けて実際に水を出し確認する。状態を俺に報告し、俺はその結果を用紙に記入する。といっても、ほぼほぼ「良好」以外に丸をつけることはない。
「次行くかぁ」
消防車に戻ろうとしたとき、一人の老人が消防車の脇にいるのが見えた。
「こんちは!」
江尻が元気よく声を掛けた。
「やぁやぁ、ご苦労さまぁ。なんだい、消火栓の点検かえ?」
「はい!ちゃんと使えるか見回ってんすよ!」
「おつかれさまねぇ。にしても、消防車ピカピカだねぇ、新車かえ?」
「いや、まさか!もう十八年も経ったオンボロですよ!みなさんの税金で買ってもらってるモノですから、毎日ピカピカに磨いてるんすよ!」
江尻の言うとおりである。
ウチの消防車は遠目で見ると綺麗に見えるが、近くで見ると塗装が剥げていたり、フェンダーが割れたりしている。
「そんな風に言っていただけて、運転手冥利に尽きます」
俺は丁寧に頭を下げた。
「じゃあ、頑張っとくれよぉ」
老人とは、ときに唐突に喜びを運んでくる。
水利点検も終わって、鈴木隊長の指示で思いのままに消防車を走らせた。
敷島の管轄は平地が多い。海に面しているため風が強く、一年中空気が湿っているものだが、今日はやけに乾燥している。
海岸線から丘陵地に向かって走らせた。できるだけいつもと違う道を選ぶ。同じところを通らないように。
「そろそろ帰るか。昼メシなに?」
隊長が後ろに向かって聞いた。
「今日はチゲうどんです」
隊長が「ん」と小さく返事した。
「ポー、ポー、ポー、、、火災指令、一般建物、入電中」
俺と隊長の間に置かれている無線機から予備指令が鳴った。
俺は落ちついて消防車を路肩に停め、消防車の右側シャッター内に積んである防火衣を取り出して着た。
全員が着装し終わったところで、本指令が鳴った。
「ピー、ピー、ピー、ピー、ピー、、、火災指令、一般建物、現場、木浜市桃谷三丁目四番十号、桃谷保育園、第一出動、木浜指揮1、木浜救助1、木浜水槽1、木浜水槽2、敷島水槽1、柳水槽1、清水はしご1、清水救急1」
「保育園?」
唾を飲んだ。
「桃谷保育園って・・・」
江尻が俺を覗き込んだ。
「ミナト君のとこっすか?」
俺は何も答えずにもう一度唾を飲み込んだ。
「指令センターから、木浜市桃谷、一般建物火災出動中の各隊へ一方送信、現場は指令同番地、保育園、建物2/0、252は不明、建物一階の調理場から出火、なお園児の有無については確認中、以上」
「保育園」という単語が聞こえてから、ずっと言葉も発さずに眉間にシワを寄せていることに気がついて、深く息を吸おうとしが、空気が肺の深部に入り込んでこない。
この「桃谷」という地区は敷島出張所と清水出張所のちょうど境界線にある地区だった。
「ここだとどっちが先着するかわからねぇ。どっちでも動けるように準備しといてくれ!」
隊長からの指示が飛ぶ。
石田が周辺の水利を調べて進言してくれたが、そんなもの頭に入っている。
久しぶりに脳が働かない感覚になった。
「ムラ・・・おい!ムラ!」
「はい!」
諭されてやっとシワが取れた。
「らしくねぇ・・・十時十分、やめれ!」
そう言われて、自分が礼儀正しくハンドルを持っていることに気がついた。いつもならシフトレバーに手を置いている。
江尻がコンピューターを見て他隊の動態を知らせた。
「ウチと清水がほぼ同着ですかねぇ」
火点の方角を見ると、薄っすらと黒煙が上がっているのが見えた。
「ミナトって池上のところのか?」
俺は少し考えてから短く答えた。
「はい。でも問題ないっす」
隊長はそれ以上聞かなかった。
「直近します!」
わずかに敷島小隊の方が早かった。
消防車を誘導する保育士についていき、俺は消防車を保育園の敷地内に進めた。
消防車を停車させ「着車」と合図した。後ろの二人が降り、俺も続こうとしたが、助手席の隊長が止まっていた。
俺は気にせずに降りようとしたが、声を掛けられた。
「身内だからって俺がお前を止めるとでも思ったか?」
俺は降りかけた姿勢のまま止まった。
「俺をナメるな」
そう言うと隊長は颯爽と助手席から降り、保育士の元へと走った。
俺はそのまま固まった。
(あ、見誤ったわ・・・)
思わず笑みがこぼれた。
(俺がいるのは・・敷島だった)
「ミナトくん!ミエちゃん!」
園庭に園児と数人の大人がごった返し、そのうちの一人が絶望の表情を浮かべていた。
「ミナトくん!ミエちゃん!ミナトくん!ミエちゃん!」
何度も聞き覚えのある名前を叫び続けていた。
俺は人混みを掻き分け、その保育士の元へと向かった。
時間が惜しいと思って、短く聞いた。
「どこにいる?」
「わからない・・・最初は一緒に居たんです」
俺は泣き崩れる保育士の顔を両手で挟み、無理矢理こちらに向けた。
「だいたいでいい!どこにいる?」
「たぶん、二階・・・」
保育士は泣きながら答えた。
「どっち側?」
「わからない・・・たぶん、あっち・・・」
そう言って建物の左側を指差した。
「先生・・・先生!よくやった!任せろ!」
俺は走りながら無線機に手を掛けた。
「敷島村下から各隊員へ、建物西側二階部分に要救助者二名ある模様、敷島隊にて救出にかかる!」
「エジ!積載はしご用意!イシ!検索ロープ持ってこい!出火箇所は東側だ!西側からならまだ入れる!」
俺が江尻達に指示したときだった。無線機が鳴った。
「指揮隊長から敷島小隊長、救助隊現着まで屋内進入は待て、どうぞ」
「チッ!」
思わず舌を打った。
「敷島小隊長から指揮隊長、先着代行指揮隊長として進入可能と判断します、どうぞ」
鈴木隊長が消防車に向かって来ながら無線を返した。
「指揮隊長命令において進入禁止とする、どうぞ」
あきらかに口調が強くなった。
鈴木隊長は、見つめる俺達に「続けろ」と顎を振って合図した。
「敷島小隊長から指揮隊長、繰り返す、先着代行指揮隊長として進入可能と判断します、どうぞ」
「だから進入禁止命令だ!どうぞ」
指揮隊長からの無線言葉が崩れた。
鈴木隊長が大きく溜め息をつき、続けようとしたとき、
「清水はしご隊長から指揮隊長、指揮権は先着代行指揮隊長にあるはずです、なお間もなく現着、どうぞ」
霧島隊長の声だった。
この度は第3-35話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
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