第3-2話 震災対策
公園からの帰り道、たまたま江尻から電話がかかってきて、ついでに夕食に江尻を誘った。俺とミナトと江尻は三人でファミレスに行った。
遊び疲れたミナトは夕食の途中で眠ってしまい、食べかけのお子様プレートの残りは江尻が片付け、俺達はミナトを丁重に池上家へ送り届けた。
それから数日が経った勤務の日。
俺は江尻、石田と三人で消防車の後ろで資器材のメンテナンスをしながら雑談をしていた。
「子供ってさ、不思議な生き物だよな」
俺は石田に話しかけた。
石田には兄弟がたくさんいる。
「そうですね。見てるだけで楽しいですよ」
「ホント不思議だよな。なに考えてんのかわからねぇ。エジ、レンチ取って!」
「はい」
江尻が俺にレンチを手渡そうとした瞬間、
「カタカタカタカタ」
消防署が揺れだした。
全員が「地震だ」と言う間もなく立ち上がった。
江尻が車庫の入り口に引っ掛けてある消防車の鍵を取りに走った。石田は車輪止めを外し、俺はドアを開けたまま運転席に乗り込んで、後方に顔を出した。消防車の後ろから江尻が顔を出した瞬間に「パス!」と声を掛け、江尻が鍵を投げた。それを受け取ると、消防車のエンジンをかけ、車庫の前へと動かした。
時間にしておよそ十数秒。
地震はまだ収まらない。
「震度4くらいですかね」
江尻が電柱の揺れを見ながら言った。
俺達は消防車を潰すわけにはいかない。
有事の際、いくら消防士といえど消防車がなければ何もできない。「例え消防署が潰れたとしても消防車だけは守る」これが俺達消防士にとって震災対策の第一歩だ。
そのうち、消防署から鈴木隊長が出てきた。
「隊長、遅いっすよ。大地震だったらこのオンボロ庁舎と一緒に潰れてますよ」
「うるせぇ。いいんだよ!そんときはここと一緒にいくさ。本望だ」
隊長は目を細めて庁舎を見上げた。ふざけている。
「最近、地震多いですね・・・」
石田が不安げな顔をした。
「日本なんてこんなもんだろ」
江尻がそう言って流そうとしたが、確かにここ最近やや大きめの地震が多い。
もちろん大震災の発生や緊急地震速報の発達により、地震に関心が向けられることが多くなっただけかもしれない。
「ムラさん、もし大地震が発生したら、俺達は何をしなければならないんですか?」
俺は石田から向けられた目線をそのまま江尻に流した。
「何をしなければならないですか?」
江尻は困ったように答えた。
「そ、そりゃ・・・人命救助とか、津波から逃げるとか、大規模火災の防止とか・・・」
一同が静かになった。
「はい、抽象的ー。もっと具体的に答えてください!」
俺は揶揄するように江尻に返した。
江尻も石田も釈然としない顔をした。
「隊長、今日の午後は特に予定もないので、講義をやっていいですか?」
「えぇ、では本日は”震災対応”に関して講義をしていきまーす」
その日の午後、救急隊も交えて講義を行うことになった。今日はめずらしく鈴木隊長も着座している。
全員が着席し、俺は講師として前に立った。
「ではイシ、大地震が発生したとき、まず俺達はどうするべきだと思う?」
「・・・今日みたいに消防車を車庫の外に出します」
「そうだな。間違ってない。それができるのであれば、それが第一任務になる」
次は江尻に目を向けた。
「ではエジ、消防車を外に出したら、その次は何をする?」
「・・・そうですね・・・被害状況や津波の情報を調べます」
「どうやって?」
「テレビとかラジオとか・・・本署に連絡取るとか・・・」
俺はニヤリとした。
「そう!そこなんだよ!エジが想像しているのは俺達が無傷な状態なんだよ」
みんなが苦い顔をするなか、鈴木隊長と渡部救急隊長だけがうなずいた。
「まずな・・この庁舎が崩れればテレビは見れなくなる。電波塔が倒れればラジオや無線が使えなくなる。そうなるとどこにも判断基準がなくなるんだ。俺達がどうするべきかは俺達自身が決めなきゃならなくなる」
江尻はポカンと口を開けた。
「じゃあどうすればいいんですか?」
「そこそこ!まずさ、人に聞くのやめようぜ!震災対応ってのは全部自分が決めなきゃならなくなる。そこから始めよう!」
俺は明るい顔を見せたが、縦社会の消防署で育った江尻にとってはまだ理解できない部分が多かった。
「誰も答えを教えてくれない。例えば・・何らかの手段で津波が来るということがわかったら、どうする?」
「消防車を避難させます!」
石田が割ってきた。
「そうだな!でもさ、市民がみんな車で避難したら渋滞が起きるな?消防車だからって緊急走行で我先に避難する?」
「いえ・・・それは・・・じゃあ、身一つで走って避難します!」
「いいね、いいね!じゃあ、その途中で倒壊建物に挟まった要救助者を見つけたらどうする?」
「んー・・・困りましたね」
ここで話が止まった。俺は話を振り出しに戻した。
「わりぃわりぃ!困るような質問ばっかぶつけて!いいんだ!そんなものに答えなんて出さなくて!きっとそのときの状況によって変わる!いくつもの選択肢をすべて想定しておく必要はないんだ。ただな、俺が言いたかったのは、有事と平時は違うってこと。当たり前だけど。俺達は縦社会だから、命令がなければ動けない、動いちゃいけないと教わってきた。でも有事にそれを守っていると何もできなくなる。だから、何が正しいかはわからないけど、いろんな選択肢を持っておくってこと」
江尻も納得の表情をした。
「もしかしたらさ、地震で俺や隊長が動けなくなるかもしれない。人が足りなくて分散して活動しなければならないかもしれない。そのとき、”隊長や上司が居ないので何もできません”じゃなくて、君達が持っている力を発揮してほしいと思う。君達は消防士であり救士だ。階級が何であろうと、歳がいくつであろうと、そんなこと市民や国民には関係ない」
全員の姿勢が前向きになったところで講義を始めた。
そのあと、俺は震災対応に関する講義の本題を話し始めた。
公表されているハザードマップの確認、大規模火災への検討、狭隘空間救助の基本的知識、津波が発生するメカニズムの解説、津波避難ルートの策定、避難所開設運営体制の説明。
消防士と震災は切っても切れない縁で結ばれている。それでも不透明な部分が多すぎて、どうしても目を伏せてしまいがちだ。なんとなくわかっているフリをしてしまったり、理解している気になってしまう。なんとかそれを打破する必要があった。
自分自身にも答えは出ていないし、わからないことが多かったが、それを仲間たちと共有することが重要だと思った。
途中休憩をはさみながらも、講義を終えるのに四時間もかかった。通常、四時間も講義を聞いていれば飽きる。それでも今日の彼らにそんな素振りは見られなかった。
「最後にもう少しだけ話したいことがある」
俺はみんながボールペンをペンケースにしまったところで付け加えた。
「実際に震災が起きたら、どうなるのかなんて俺にもわからない。だから、いつも言っているように、常識を疑ってくれ。”俺がこう言ってたから”とか”隊長がこう言ってたから”じゃなくて、それが本当に正しいのか、自分はどうしたいのか、きちんと状況を見つめ直す洞察力を磨いてほしいと思う」
みんなが堅く口を結んで険しい表情で聞いた。
「それから・・・そんな状況で俺達に出来ることなんて限られる。俺達七人にこの街が守れるわけがない。だから、隊長がいつも言っているように、市民との関わり合いを大切にしてほしい。できるだけ俺達に協力してくれるように。色んな人を仲間につけて、たくさんの人を救士にしてしまうことが、震災対策の大きな武器になると思う。以上、長々とご清聴ありがとうございました」
普段なら、講義が終わるとそそくさと撤収作業に取り掛かるはずの消防職員が動かなかった。
「いやぁ・・・なんかジンときたわ」
渡部隊長が腕組みして感心した。
「なんか自分・・今日一日でものすごく強くなった気がします!」
石田は目を輝かせた。
「浅はかでした・・・」
江尻が落胆しながらもどこか前向きに呟いた。
「ムラ・・・勉強になったよ!・・ところでさ・・腹減ったなぁ」
武林がそう言うと笑いが起きたが、講義中に一番うなずいていたのは彼だった。
みんなが笑い合いながら部屋を出ていき、会議室には隊長と俺だけになった。
「そのうち来るだろうな、デカいの」
「そうっすね」
隊長がめずらしく悲しげな表情を見せた。
「でも、俺にとってもっと怖いのは、今年に来ないことですね・・・」
「ん?」
「隊長があなたじゃなくなると、力を発揮できない」
「買いかぶりすぎだ」
隊長の目は嘘をついていた。
隊長もわかっている。俺が、この人の元じゃないと活躍できないことを。
この度は第2-34話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
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