第2-32話 渡せぬ勲章
敷島出張所にいる江尻という男は天才的に間が良い。ときに抜群のタイミングでボケをかまし、それはどんよりと立ち込める重い空気を一瞬にして追い払ったりする。
夜が明け、仮眠室に朝日が差し込む。
俺はベッドの上で大きく伸びをした。
ドアがガラッと開くと、
「おはようございます!みなさん朝ですよ!起きてください!」
石田が元気よく仮眠室に入ってきた。
俺はあくび混じりに「おはよう」と返事したが、めずらしく江尻が二度寝をかましている。
佐原も「おはようございます」と言いながら仮眠室のブラインドを開けた。
それでもまだ江尻は寝ている。
三人が江尻のベッドの周りを囲った。
横向きに寝る江尻が「・・・ちゃん・・」と寝言を言いながら寝返りをうつ。
俺達は笑いをこらえながらも、静かに仮眠室を出た。三人で車庫に行き、喫煙所にいた鈴木隊長に身振り手振りで合図をした。
俺は消防車に乗り込みサイドブレーキを解除し、石田が消防車を後ろから押した。
ようやくここで佐原が流れを掴んだらしく、佐原も石田を手伝った。
消防車を一旦前に出し、鈴木隊長が助手席に乗り込んだらエンジンをかける。石田が大きな声で「オーライ、オーライ」と消防車を車庫入れする合図を送った。
合わせて佐原も「オーライ、オーライ」と合図するが、二人の掛け声は消防車ではなく仮眠室に向けられていた。
消防車の車庫入れが完了したところで、慌てた江尻が仮眠室から飛び出てきた。
呆然と立ち尽くす江尻に鈴木隊長が「行ってきましたー」とぶっきらぼうに声を掛けた。
俺達も「おつかれしたー」と言って用もないのに片付けするフリをする。
「え?えぇ?ええぇ?」
江尻がこの世の終わりかのような顔をしたところで、佐原がたまらなくなって吹き出した。
それを見て江尻も意識がクリアになったようで、俺達が装備していないことなどに気づき始めた。
俺は江尻に近づいていき、頭をパシンッとはたいた。
「てめぇ、いつまで寝てんだよ!」
そう言って江尻を置き去りにし、すべての茶番を切り上げた。
「イシー、朝メシできてるー?」
と聞きながら事務室に入って行くと、みんなもゲラゲラと笑いながら消防署の中に戻っていった。
「もう、出動置いていかれたのかと思いましたよー!」
江尻の文句と安堵した声が、車庫の中で大きく響いた。
「ごちそうさまでした!」
朝食は終始、江尻の話題で持ちきりだった。これがここ敷島で佐原と食べる最後の食事だということには誰も触れなかった。
「あの・・・みなさん・・・」
佐原が立ち上がって切り出した。
「本当にありがとうございました!みなさんのおかげで、僕・・やっと消防士になれました!」
そう言うと佐原は深々と頭を下げ、ポケットから何かを取り出した。佐原は鈴木隊長に近づいていくと、
「それから鈴木隊長!エジさんから聞きました!僕を引き取ってくれて、本当にありがとうございました!」
佐原は目を見て強く言ったが、鈴木隊長は相変わらず「いや、俺に礼言うなよ」とサラリとかわした。
佐原は負けずに目を見たまま、ポケットから取り出したモノを前に差し出した。
「コレ・・・」
佐原が持っていたのは防火衣に付けられているはずのワッペンだった。それは佐原がここで勤務し始めたときに鈴木隊長から貸与されていたワッペン。
「コレなんですが・・本来貸与品なのでお返ししなければならないのですが・・・」
佐原が言葉を選ぶように考えていると、先に鈴木隊長が返した。
「ダメだ!」
全員が驚くように反応した。佐原はきっと「ください」とでも言うつもりだったのだろう。
「ダメだ・・・お前のゴールはここじゃない。こんな所を思い出にするな。いつか・・いつかもっと強い部隊を作れ!ムラやエジに負けないくらいの隊員になれ!俺なんかよりもっと優秀な隊長のもとで戦え!お前がこんな所を振り返らなくていいくらい・・前に進め!」
隊長は言い終わる前に朝食の皿を片付け始めた。
全員が隊長の言葉を噛みしめた。
消防署での別れはことさらすんなりと流れていく。
反対番にとっては、俺達の物語など知る由もないので、彼らが出勤してくれば消防署の中はなめらかに勤務終了へと移行していく。
名残惜しさも寂しさも、まるで何かを諦めるかのように、消防署に残していく。それは「またいつか現場でな!」というお決まりの挨拶とともに「一生このメンバーで消防車に乗ることはない」という現実を叩きつける。
佐原を別としても、鈴木隊長や江尻、石田と一緒に勤務できるのにも限りがあるということも、このとき同時に突きつけられた。
家に帰ると、俺はサキちゃんに電話をかけた。
何度かの呼び出し音のあと、留守番電話サービスに繋がる。
(出ないか・・・)
そう思って一旦切ろうかと思ったが、留守電に残すことにした。
佐原が一緒に勤務していることは話していたが、ここ数日はサキちゃんの話を聞くだけで、俺の話はあまりしていなかった。
佐原が少しずつ変わっていったこと、感情を露わにするようになったこと、佐原が泣いたこと、一緒に火災に行ったこと、訓練でやってきたことを実践できたこと。俺はサキちゃんに話すように伝言を残した。
できるだけサキちゃんの時間を取りたくないと思った。時間のあるときに聞いてくれれば良かった。
サキちゃんがアメリカに行ってから、少なからず寂しい思いはしていたものの、少しずつ慣れてきた。その慣れが怖くもあったが、あまり寂しさに沈み込むのも良くない気がして気丈に振る舞った。
冷静に考えると、サキちゃんと付き合う前の生活に戻っただけなのだが、それでも心の中にある違和感を埋めるため、俺は必要以上に忙しくした。
暇があればトレーニングをしたり、サーフィンに行った。本来石田や江尻が行くべき下っ端の買い出しにも積極的に行った。その代わり食事に付き合ってもらったり、遊びに出かけたりした。
そんな暇人な俺を嗅ぎつけて、俺の元にはさまざまな依頼が舞い込んできた。
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