第2-31話 僅かな光の出口
「待たせた!」
俺は少しの不安を持ちながら、熱気に包まれた二階部分にたどり着く。
江尻だか石田だかもわからない防火衣を掴んだとき、振り向く動きに安堵した。
空気呼吸器を彼らに渡し、俺はエンジンカッターでドアのヒンジを切断した。
ドアノブにロープをかけ、それを三人で引っ張る。
ガコンとドアが外れ、横たわる女性が見えた。その女性にはマスクが装着されており、容態は分からなかったが、確認している暇もない。
俺が女性の脇を掴んだとき、
「お待たせました!補助します!」
佐原が姿を見せた。
「エジ、イシ!先行しろ!」
そう声をかけ、猛スピードで玄関へと向かった。
真っ暗な室内では、燃え盛る炎の色と、僅かに差し込む玄関からの光だけが見える。俺達はその光に向かってひたすらに這いつくばった。
光がひらけたとき、ビシャーと冷たい水がかかった。
視界の悪いマスクごしに、ホースのノズルを持つ消防士と、その隣には霧島小隊長の姿が見えた。清水はしご隊が待ち構えてくれていた。
俺の肩をポンポンと叩いて「替わるぞ」と誰かが合図をくれた。俺は右手を離し、玄関の脇に倒れ込んだ。
「お前らよくやった。あとは任せろ!」
そう言って俺の脇下に入り込み、無理やり立たせると、肩を貸すように安全なところまで支えて歩いてくれたのは柳小隊長の大倉隊長だった。
「敷島が繋いだぞ!この火災、絶対に延焼させるな!」
隊員たちを鼓舞する霧島隊長の声が後ろで響いていた。
火災が鎮火したのはそれから二時間が経ってのことだった。
救出活動が終わってからの俺達は、消火活動に参加するも、どこか上の空になってしまっていた。
そんなことより、救急車で運ばれていった要救助者の容態が気になって仕方なかった。
指揮隊から”引き揚げ”の下命がかかり、撤収作業が終わりを迎えた頃、佐原が近づいてきて声をかけてきた。
「すいません。俺のせいで、また命令違反で怒られちゃいますかね」
と言ってきたが、その表情にはまったく反省の色が見られなかった。
「てめぇ、”また”ってなんだよ!」
俺はふざけながらも、親指で指揮本部の方を指差した。
そこには数人の大人が集まっており、そのなかに鈴木隊長や相本隊長の姿が見えた。
何を話しているかは聞こえないが、鈴木隊長が頭を下げていないことだけはわかった。
「そんなん、大人に任せときゃ良いんだよ」
そう言って笑った。
帰りは、疲れと少しの気まずさから、無言で走り出した。
少し走ったところで、俺が切り出した。
「隊長、すいませんでした」
「てめぇら・・・本番でバディブリなんてやりやがって・・・」
その声の調子を聞いて安心し、鈴木隊長に向かってボケーッとした顔を向けた。
隊長は「ケッ」と言って呆れ、胸ポケットからタバコを取り出した。
「あ、消防車の中でタバコなんて吸って・・・また怒られますよー」
江尻が食いつくように茶化した。
「うるせぇ!もう散々怒られたわ!」
消防車の中は、タバコの煙と火事と戦ったあとの”すす”の匂いが充満した。
出張所までもう少しのところで、鈴木隊長が真顔になって発した。
「サハラ!」
感傷に浸る佐原が飛び上がって反応した。
「はい!」
「な?言ったろ?お前には、誰も救えない!」
「はい」
バックミラーには佐原の満足そうな顔が映っていた。
「でもお前がいなきゃ、両脇の二人は、いまここには乗ってない」
後部座席の両脇に座る二人はそれぞれ窓の外を見つめた。
江尻が外を見つめたまま、佐原の肩を組んだ。
「必ず戻ってくるって信じてた・・・」
佐原は下を向いて、手袋で目を覆った。
出張所に着いて資器材の片付けをしていると、救急隊が帰ってきた。
佐原が真っ先に救急車に向かって走っていく。
渡部隊長が座る助手席に近づいていく佐原。
助手席の窓は開かなかった。
救急車が車庫の中で停車し、渡部隊長が降りてきた。渡部隊長は立ち尽くす佐原に何も声をかけなかった。佐原も何も聞けないでいた。
俺達はそのやり取りを気配で感じながらも片付けの手を止めなかった。
佐原は立ち尽くし、下を向きながら悲しげに戻ってきた。
しばらく黙ってロープを片付けていると、佐原が震える声で口を開いた。
「やっと、ムラさんが言う”諦めなくていい”って言葉の意味がわかりました」
俺は相槌も打たず手を動かし続けた。
鼻をすする音だけが車庫の中に響く。
「消防署の仕事ってさ、だいたい言い訳できんだよ。危険な仕事だから、特殊な仕事だから、切迫する仕事だから・・・あのときはこうだったから、このときはああだったからって、なんとでも言い訳できちゃう。失敗しても、諦めても、逃げ出しても誰も責めない。誰も責めてくれない・・・。後悔しないようになんてそんなの無理だ。こんな仕事してて、後悔しないなんてできるわけない。毎日後悔したって良い。毎日諦めたっていい。後ろを振り返りながらでいいから、進み続けろ」
俺は手を止めずに呟くように話した。
「”お前はよくやった”とか”十分頑張った”なんて慰めねぇぞ。単に俺達は助けられなかった。それ以上でもそれ以下でもない。今にも消えてしまいそうな命の灯火を、一つ一つ丁寧に拾い上げていかなければならない。お前のそんな小さな手でこぼれないように、溢れてしまわないように大事に抱えたって、そんなの限界がある。俺達はそういう世界で生きてるんだ」
佐原もロープを片付けながら聞いていたが、その手は止まっていた。
「反省なんかするなよ。そんなのしたら、それに満足して溺れる。そんなんじゃなくて、何も考えずに続けろ。消防署には賢いやつじゃなくて、バカなヤツが必要なんだよ」
「はい」
佐原は小さく答えた。
結局、俺達が助けた要救助者の詳しい予後はわからなかった。
きっと渡部救急隊長は鈴木隊長には話したのだろうが、俺達も聞かないし、俺達に話すこともない。
ときには悲しい現実を突きつけられることもある。
それでも俺達にできることはない。
よく「消防士になると命に慣れる」などと言うが、俺はまったくそんなことを感じたことがない。
人が死ねば悲しいし、それに対して落ち込みもする。それでいい。「切り替える」なんてただの言い換えだと思っている。
確かにそれで消防署の空気が悪くなることもある。もしかしたら、次の活動に支障をきたすかもしれない。しかし、それで良いと思っている。
俺達はいつまでも人間らしくあるべきだし、そんなことで「プロじゃない」と否定されるなら、プロじゃなくて構わない。
佐原の姿を見ていると、「かつてそんなことで言い合いしたこともあったな」と物思いにふけった。
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